ご利益

勝負運・必勝祈願の神社

勝負運・必勝祈願で知られる神社を200件掲載。勝負の神様や地域から参拝先を比較できます。代表的な神社は亀戸香取神社です。

勝負運で知られる御祭神

勝負運で有名な神社

茨城県勝負運出世

鹿島神宮

かしま じんぐう

鹿島神宮は武甕槌大神を祀る神社。勝運・必勝祈願のご利益で知られ、紀元前660年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神
武甕槌神
千葉県勝負運スポーツ

香取神宮

かとりじんぐう

香取神宮は、千葉県香取市に鎮座する香取信仰の総本社。経津主神を祀り、下総国一宮・勅祭社として篤く崇敬される、勝運・交通安全・災難除けで知られる神宮です。

所在地
千葉県香取市香取1697-1
御祭神
経津主神
系統
香取
大分県開運勝負運

宇佐神宮

うさ じんぐう

宇佐神宮は八幡大神・比売大神を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、725年(神亀2年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
大分県宇佐市南宇佐2859
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
京都府厄除け

八坂神社

やさか じんじゃ

八坂神社は素戔嗚尊・櫛稲田姫命を祀る神社。厄除け・疫病退散のご利益で知られ、656年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
京都府京都市東山区祇園町北側625
御祭神
素戔嗚尊、奇稲田姫命
系統
八坂
山形県心願成就開運

上杉神社

うえすぎ じんじゃ

上杉神社は上杉謙信公を祀る神社。開運招福・諸願成就のご利益で知られ、1871年(明治4年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
山形県米沢市丸の内1-4-13
御祭神
上杉謙信公、毘沙門天(多聞天)

勝負運の神社一覧

200件中41-60件を表示しています。

広島県勝負運厄除け

草津八幡神社

くさつはちまんじんじゃ

推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を軍津浦と伝える。大永4年(1524年)に修造。明治25年に厳島神社から市寸島姫命・湍津姫命を勧請し、明治末期の神社統廃合で素盞嗚神・倉稲魂神・金刀比羅神を合祀した。社殿はもと海浜近くにあり再建のたびに高所へ移され、現在は力箭山(行者山)中腹に鎮座する。現社殿は昭和6年に近郷六箇村の氏子により再建されたもので、広島市西区一帯の総氏神として崇敬される。

所在地
広島県広島市西区田方1丁目11-18
御祭神
品陀和気命、帯中津日子命
系統
八幡
大分県勝負運厄除け

薦神社

こもじんじゃ

別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。

所在地
大分県中津市大字大貞209
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

川上山若宮八幡宮

かわかみさんわかみやはちまんぐう

三重県津市美杉町川上、伊勢・伊賀・大和の国境に近い雲出川水源の地に鎮座する。創建の年代は明らかでないが、社伝によれば、家城から奥の一帯は磐之媛皇后の御領地「岩野郷」で、仁徳天皇がこの郷の開拓に努めたという。履中天皇の御代(5世紀初め)、郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓のこの清らかな地を選んで社を設け、両者の御魂を祀ったのが日本最古の若宮八幡宮であると伝えられる。社殿の創始以前から、修験業山の自然の磐座である高宮に国津神・天津神・八百萬神を尊崇してきたことが創建の淵源とされる。中世は修験道の霊場となり、伊勢国司北畠氏は当社の加護を頼って隣村多気に居城を構え、春秋の大祭には自ら参詣した。江戸時代の津藩主藤堂家も北畠氏の故事にならって篤く崇敬し、代々の祈願所とした。

系統
八幡
京都府勝負運厄除け

離宮八幡宮

りきゅうはちまんぐう

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡宮。平安時代初め、僧・行教が宇佐八幡宮の神霊を勧請したのが始まりで、社伝では貞観2年(860)に人々の平和を願って造営されたとする。この地が嵯峨天皇の離宮「河陽宮」の跡であったことから、後に離宮八幡宮と改称された。平安時代末に神官が「長木(ながき)」という搾油器を発明して荏胡麻油の量産を可能にし、灯明用の油として朝廷や社寺に納めた。室町時代には油の専売を担う「油座」の本拠地となり、諸国の油商人は当宮の許状なしには油を販売できなかったほどの富と権力を集めた。元治元年(1864)の禁門の変では長州藩の屯所となって社殿を焼失し、現在の社殿は昭和初期の再建である。今も「油の神様」として、全国の製油会社や油販売会社の関係者から篤い信仰を集めている。

系統
八幡
富山県勝負運厄除け

宇佐八幡宮

うさはちまんぐう

JR城端線福光駅の西、旧福光町の市街地に鎮座する。社伝によれば天平勝宝2年(750年)、大伴家持が越中守であった頃にその子・大伴持豊が福光城において、石黒庄の総社として豊前の宇佐から分霊を勧請したことに始まるという。古くから痘瘡除けの守護神として広く信仰を集め、寛仁元年(1017年)には別当寺である寛仁寺が建立された。春の福光春季例大祭は220年以上の歴史をもつ祭礼で、厄年の男性が神輿を担いで丸1日かけて市街地を巡行する行事として知られる。

所在地
富山県南砺市福光6865
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

若宮八幡宮

わかみやはちまんぐう

応永年間(1394〜1428)、佐竹氏12代の佐竹義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、太田城内に守護神として祀ったのが始まりと伝わる。以後は佐竹氏歴代の祈願所となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ移封された際には、分霊が大館城の守護神として奉持された。江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、慶長14年(1609)に初代藩主徳川頼房の病気平癒祈願が成就したと伝えられる。水戸藩が領内の八幡社を整理した「八幡改め」の際にも存続を許された四社の一つに数えられ、宝永5年(1708)に現在地へ遷座した。祭神は仁徳天皇にあたる大鷦鷯尊で、倉稲魂命を併せ祀る。境内には樹齢500年を超えるケヤキの巨木群があり、最大のものは高さ約30m、幹周約8.5mで茨城県の天然記念物に指定されている。

所在地
茨城県常陸太田市宮本町2344
御祭神
大鷦鷯尊(仁徳天皇)、倉稲魂命
系統
八幡
大阪府勝負運厄除け

澤田八幡神社

さわだはちまんじんじゃ

藤井寺市沢田に鎮座する旧村社で、祭神は品陀和気命(応神天皇)。江戸時代初期に、近隣の誉田八幡宮から八幡神を勧請したものと伝わる。太閤検地によって沢田村が誉田八幡宮の神領となり、のちにその神領が隣接する古室村へ配置換えされた際、村人たちの意思で改めて八幡神を迎えたのが始まりとされる。拝殿には明暦元年(1655年)11月付の棟札が残り、旧地から一町ほど西の現在地へ遷宮したことが記されている。安永6年(1777年)付の棟札もあり、江戸期に複数回の造替が行われたことがわかる。明治5年(1872年)に村社に列格した。1922年(大正11年)に開通した近鉄南大阪線が町中を避けて敷設された結果、線路が参道を横切ることになり、境内に踏切がある神社として広く知られている。

所在地
大阪府藤井寺市沢田4丁目2-3
御祭神
品陀和気命
系統
八幡
静岡県勝負運厄除け

守山八幡宮

もりやまはちまんぐう

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
御祭神
誉田別命、大山祇命
系統
八幡
愛知県勝負運厄除け

鳴海八幡宮

なるみはちまんぐう

名古屋市緑区、旧鳴海村の氏神として祀られてきた神社。創建年代は不詳だが、貞永元年(1232年)に久野家の初代が社職に就いたという記録が伝わり、境内には樹齢千年を超えると伝えられる大楠が御神木としてそびえる。この大木の存在から、当社が平安時代以前にさかのぼる古社である可能性が指摘されている。『延喜式』神名帳の尾張国愛智郡「川原神社」の比定社の一つにも挙げられている。長く八幡社と呼ばれてきたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で社殿が被害を受け、昭和43年(1968年)に本殿・拝殿を新築した際に鳴海八幡宮と改称した。主祭神は品陀和気命(応神天皇)で、息長帯日売命(神功皇后)ほか計五柱を祀る。

所在地
愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23
御祭神
品陀和気命、息長帯日売命
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

水戸八幡宮

みとはちまんぐう

文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化財に指定されている。日光連山や久慈の山並みを望む高台にあり、茨城百景・茨城観光百選・市民が選ぶ水戸百景にも選ばれている。

所在地
茨城県水戸市八幡町8-54
御祭神
誉田別尊、息長足日売尊
系統
八幡
愛媛県勝負運厄除け

日招八幡大神社

ひまねきはちまんだいじんじゃ

松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に入国した佐々木盛綱(高綱とも伝える)が戦いに臨んだ際、勝敗が決しないまま日没が迫るなか当社に祈願して軍扇で入日を招くと日が差し戻り勝利したという故事から、日招八幡宮と改めたと伝える。明治5年(1872年)に郷社に列した。平成12年(2000年)の火災で本殿・拝殿を焼失したが、平成27年(2015年)に社殿が再建されている。

所在地
愛媛県松山市保免西1丁目4番3号
御祭神
市杵島姫命、湍津姫命
系統
八幡
長崎県勝負運厄除け

八幡宮神社

はちまんぐうじんじゃ

対馬の中心・厳原の清水山麓に鎮座する対馬国一宮の論社で、旧県社。正式な社名は「八幡宮神社」で「厳原」の地名は入らないが、他所の八幡宮と区別するため「厳原八幡宮」とも呼ばれ、楼門にかかる扁額も「八幡宮神社」と記す。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ行啓し、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったのが起こりとされる。677年(天武天皇6年)、天武天皇の勅命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのが創建と伝わる。上県郡の上津八幡宮(現在の海神神社)に対して当社は下津八幡宮と並び称され、戦国時代頃からは府中八幡宮と呼ばれるようになった。1871年(明治4年)に式内名神大社「和多都美神社」に比定されて改称したことがあったが、1890年(明治23年)に元の八幡宮へ戻している。1874年(明治7年)に郷社、1916年(大正5年)に県社へ昇格した。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

馬場八幡宮

ばばはちまんぐう

社伝では天喜4年(1056年)、前九年の役に向かう源頼義が当地にあった熊野神社の境内に陣を張り、社前に据えた2枚の平石に石清水八幡宮の神霊を勧請して戦勝を祈願したのが始まりとされる。以後この地で勢力を伸ばした佐竹氏が守護神として崇敬し、初代昌義が社殿を造営して太田郷の総社とした。佐竹氏は代々当社の神前で元服の儀を行うのを家例とし、天正2年(1574年)の落雷で社殿を焼失した後、同8年に19代義重が現在の本殿を再建している。本殿は常陸太田市指定文化財。20代義宣は天正20年(1592年)に分霊を水戸八幡宮へ、慶長7年(1602年)の秋田移封の際には八幡秋田神社へ遷した。

所在地
茨城県常陸太田市馬場町574
御祭神
誉田別尊、息長足比咩命
系統
八幡
香川県縁結び開運

讃岐国一之宮 田村神社

かがわ じんじゃ

讃岐国一之宮の田村神社は、五柱の御祭神を「田村大神」と総称して祀る香川県高松市の古社。縁結び・勝負運のご利益で知られ、社記に和銅2年(709年)の社殿創建を伝えます。

所在地
香川県高松市一宮町286
御祭神
倭迹迹日百襲媛命、五十狭芹彦命
東京都出世勝負運

上野東照宮

うえのとうしょうぐう

上野東照宮は寛永4年(1627年)の創建と伝わり、徳川家康公を東照大権現として祀る神社である。日光・久能山の東照宮とともに、全国に数多く分社が置かれた東照宮の一社にあたる。現在の社殿は江戸時代初期に造営されたもので、金色殿と通称される社殿をはじめとする建造物群は、戦火や震災による被害を免れ、江戸初期建築の貴重な遺構として国の重要文化財に指定されている。出世や勝利、健康長寿にゆかりのある神として参拝されているとされる。

所在地
東京都台東区上野公園9-88
御祭神
徳川家康、徳川吉宗
系統
日光
東京都勝負運厄除け

八幡神社

はとのもりはちまんじんじゃ

鳩森八幡神社の創建には、いにしえの瑞祥にまつわる伝承が残る。かつてこの地の森にたびたび瑞雲が現れ、村人が分け入ると多くの白い鳩が西へ飛び立ったといい、この不思議な出来事にちなんで祠が建てられ「鳩森」と名付けられたと伝わる。貞観2年(860年)、関東巡教中の慈覚大師円仁がこの地に立ち寄った際、村民の願いを受けて神功皇后と応神天皇の御尊像を祀り、「正八幡宮」として崇敬されるようになったという。現在も応神天皇・神功皇后の二柱を御祭神とする。社殿は弘化2年(1845年)に上棟した欅造りであったが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、戦後の復興を経て平成5年(1993年)に戦前の姿へと復元された。戦火をくぐり抜けたご神木の銀杏は、今も境内で命をつないでいる。境内には都内最古とされる富士塚(鳩森八幡神社富士塚)や将棋堂もあり、多くの参拝者に親しまれている。

所在地
東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目1番24号
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

大宮八幡宮

おおみやはちまんぐう

康平6年(1063)、源頼義が前九年の役平定の途上、大空に八条の白雲がたなびくのを八幡大神の加護の瑞兆と感じ、乱の平定後に京都・石清水八幡宮から分霊を勧請して創建したと伝わる。子の八幡太郎義家も後三年の役ののち社殿を修築し、千本の若松を植えたと伝えられる。かつて「武蔵国八幡一之宮」と称された。昭和44年(1969)には境内から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、太古からの聖域であることが確認された。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。「東京のへそ」とも呼ばれ、安産・子育て厄除けの信仰を集める。

所在地
東京都杉並区大宮2-3-1
御祭神
八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇
系統
八幡
東京都開運家内安全

天祖神社

てんそじんじゃ

創建年代は明らかではないが、社伝によれば、中世にこの地が伊勢神宮の神領「葛西御厨」であった頃、領主の葛西三郎清重が皇大神宮を勧請し、氏神として祀ったのが始まりと伝わる。かつては神明社・明神社と呼ばれ、のちに三社明神、江戸時代には三社大明神と称されるようになった。江戸期の地誌『新編武蔵風土記稿』には三社明神社として記載があり、曲金村・細田村・新宿町・鎌倉新田の鎮守であったこと、別当寺が真言宗豊山派の金亀山神宮院観蔵寺であったことが記されている。明治6年(1873)、社名は現在の天祖神社に改められた。御祭神は天照坐皇大御神で、建甕槌命・経津主命を合わせ祀る。

所在地
東京都葛飾区高砂2-13-13
御祭神
天照坐皇大神、建甕槌命
系統
伊勢・神明
東京都勝負運厄除け

御田八幡神社

みたはちまんじんじゃ

和銅二年(709)、東国鎮護の神として祀られたのが始まりと伝わり、延喜式内社の稗田神社にあたるとも伝えられる。幾度かの遷座を経て寛永五年(1628)に現在地へ鎮座し、明治三十年に御田八幡神社と改称された。三田・高輪・芝浦・港南一帯の氏神として、1300年を超える歴史の中で地域の信仰を集め続けている。

所在地
東京都港区三田3-7-16
御祭神
誉田別尊命、天児屋根命
系統
八幡
東京都商売繁盛金運

花園神社

はなぞのじんじゃ

花園神社は、江戸時代に開かれた宿場町・内藤新宿の総鎮守として崇敬されてきた社で、徳川家康の江戸入府以前に大和国(奈良県)の吉野山から御分霊を勧請したのが始まりと伝わる。かつては現在の伊勢丹新宿店付近に鎮座していたが、寛永年間(1624~1645年)に尾張藩の下屋敷に囲まれる形になったことから現在地へ遷座した。遷座先には美しい花が咲き誇る庭園が広がっていたことから「花園稲荷」とも呼ばれるようになったという。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・受持神(うけもちのかみ)を祀り、日本武尊は武神としての性格から次第に商売繁盛を守る神としても信仰されるようになった。新宿の繁華街の中にありながら、今も地域住民や商人から篤い崇敬を集めている。

所在地
東京都新宿区新宿5丁目17番3号
御祭神
倉稲魂命、日本武尊
系統
稲荷

勝負運神社を都道府県から探す

47都道府県から、勝負運に関連する神社を地域別に探せます。

勝負運とは

勝負運は、試合・受験・仕事の競争など、勝負どころで力を発揮するためのご利益。武神を祀る神社や、戦国武将ゆかりの神社が強いとされ、スポーツ選手・受験生・ビジネスパーソンまで幅広い層が祈願に訪れます。

武神の系譜と勝負信仰

勝負運の信仰の根源は「武神(たけがみ)」信仰。神話で国譲り交渉の先鋒を務めた武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシ)が双璧で、平安・鎌倉以降の武家は合戦前に鹿島・香取の武神に必勝祈願を捧げる慣わしがありました。戦国武将(信長・秀吉・家康)も出陣前に各地の武神社を参拝しており、勝負事の前に神に誓う伝統は現代のスポーツ大会前参拝へと受け継がれています。

代表的な勝負運神社(地域別)

関東: 鹿島神宮(茨城・武甕槌神)、香取神宮(千葉・経津主神)、鶴岡八幡宮(鎌倉・応神天皇) 京都: 建勲神社(織田信長を祀る)、豊国神社(豊臣秀吉を祀る) 大阪: 露天神社、難波八阪神社 九州: 宇佐神宮(全国八幡宮の総本社)

勝負運祈願のシーン別使い分け

スポーツ: 試合・大会前に必勝祈願。チームで一緒に参拝するケースも 受験: 入試前日〜1週間前に。学業成就(日々の勉強)+ 勝負運(本番の力発揮)で二重祈願が効果的とされる ビジネス: 大商談・コンペ・交渉の前。プレゼン前夜に参拝する人も 選挙・昇進試験: 競争に勝つ意味合いで勝負運が向く

参拝のポイント

大切な試合・試験・商談の前(3日〜1週間前)に参拝するのが基本。「ここ一番の勝負前」に必勝祈願を受け、お守りを本番に持参します。初穂料は5,000〜10,000円。勝守(かちまもり)・必勝守を授与する神社が多く、チームTシャツやユニフォームを持参して一緒に祈祷を受けるグループも。 鹿島神宮・香取神宮は「鹿島立ち」と言い、旅立ち・新たな挑戦の前に参拝する伝統が古来から続きます。本番後は必ずお礼参りを忘れずに。

よくある質問

勝負運と仕事運はどう違いますか?

勝負運は「対戦相手や競争に勝つ短期の運」、仕事運(商売繁盛・出世)は「日々の仕事・キャリア全体の繁栄」を扱います。コンペ・商談・試合は勝負運、昇進計画・事業展開は出世・商売繁盛が向いています。

受験には学業成就と勝負運どちらが良いですか?

目的が異なるので両方が効果的です。学業成就(天神社)は日々の勉強・知識習得の神様、勝負運(武神社)は入試本番で持てる力を最大限発揮するための神様。受験シーズンに両方を参拝する受験生は多くいます。

スポーツの大会前に参拝するベストなタイミングは?

大会の3日〜1週間前が一般的。前日は緊張が高まる時期なので、心を落ち着けてから参拝するのが良いとされます。チームで揃って参拝する場合は、2〜3週間前の練習の合間が現実的です。

勝負守はいつまで持っていれば良いですか?

目標の勝負が終わったらお礼参りをして返納するのが基本。次の大会・試験に向けて新しいお守りをいただく形が伝統的です。長くても1年を目安に。

試合・試験で負けた場合、お礼参りは必要ですか?

必要です。結果に関わらず「お守りを持たせてくれたこと、一生懸命できたこと」への感謝をお伝えするのが神道の作法。「次の機会の祈願」のついでに前回のお礼参りをする形が現実的です。

鹿島神宮と香取神宮はどちらが勝負運に強いですか?

どちらも日本屈指の武神の聖地です。武甕槌神(鹿島)と経津主神(香取)は古来「二神一体」で崇敬されており、両社セットで参拝する「鹿島・香取詣り」が関東武士の習慣でした。可能なら両方参拝するのが理想です。

勝負への執着が強すぎる祈りは神様に届きますか?

「相手を蹴落としたい」「なんとしても勝ちたい」という執着より、「自分の全力を出せますように」「日頃の鍛錬を本番で発揮できますように」という真摯な祈りが神様には届くとされます。プロスポーツ選手も「感謝と謙虚さ」を基本にした祈りを大切にしています。