大国主命を祀る神社
国土経営・縁結びの神。大己貴命の別名。出雲大社の主祭神として縁結びのご利益がある。 代表的な神社としては出雲大社、常陸国出雲大社、当別神社などが挙げられます。 総本社格としては出雲大社がよく知られ、各地の出雲系神社の中心的存在です。 別名として「大己貴命」とも記されます。 検索時は 大己貴命 でも参照できます。
大国主命とは?
国土経営・縁結びの神。大己貴命の別名。出雲大社の主祭神として縁結びのご利益がある。 代表的な神社としては出雲大社、常陸国出雲大社、当別神社などが挙げられます。 総本社格としては出雲大社がよく知られ、各地の出雲系神社の中心的存在です。 別名として「大己貴命」とも記されます。 検索時は 大己貴命 でも参照できます。
大国主命を祀る有名な神社
有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。
出雲大社
出雲大社は大国主大神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、神代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 島根県出雲市大社町杵築東195
- 御祭神
- 大国主命
- 系統
- 出雲
気多大社
気多大社は大己貴命を祀る神社。縁結びのご利益で知られ、崇神天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 石川県羽咋市寺家町ク1-1
- 御祭神
- 大国主命
- 系統
- 出雲
出雲大神宮
出雲大神宮は、丹波国一宮として崇敬される古社。大国主命と三穂津姫命を主祭神とし、社伝では出雲信仰と深く関わる元出雲の社として伝えられている。御蔭山を神体山とし、古くから縁結び・長寿・金運の信仰を集めてきた。
- 所在地
- 京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地
- 御祭神
- 大国主神、三穂津姫尊
- 系統
- 出雲
高瀬神社
高瀬神社は大己貴命を祀る神社。縁結び・医療のご利益で知られ、景行天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 富山県南砺市高瀬291
- 御祭神
- 大国主命
- 系統
- 出雲
常陸国出雲大社
常陸国出雲大社は大国主大神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、1992年(平成4年)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 茨城県笠間市福原2001
- 御祭神
- 大国主命
- 系統
- 出雲
大国主命を祀る神社一覧
74件中21-40件を表示しています。
気多神社
兵庫県豊岡市日高町上郷に鎮座する式内社で、但馬国の総社にあたる。旧社格は郷社。主祭神は大己貴命で、地元では「けたさん」と呼ばれ、近世までは「総社気多大明神」と称された。総社とは一国の主要な神社の神々を集めて祀る神社のことで、但馬国府が置かれたこの地域の中心的な社として崇敬されてきた。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には但馬国気多郡の「気多神社」として記載され、式内社に列している。『播磨国風土記』宍禾郡御方里条には、葦原志許乎命(大己貴命)と天日槍命が黒葛を投げ合って国を占う争いをし、葦原志許乎命の投げた黒葛3本のうち1本が但馬の気多郡に落ちたという伝承が記され、郡名を冠するこの社が相当古くから鎮座していたことをうかがわせる。鎌倉時代の『但馬国太田文』によれば、大般若田4町、三十講田1町5反という社領があったとされる。
- 所在地
- 兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
- 御祭神
- 大己貴命
- 系統
- 出雲
愛宕神社
京都府亀岡市千歳町国分に鎮座する式内社で、旧社格は村社。火の神である火産霊神を主祭神とし、伊邪那美神・大国主神をあわせて祀る。社伝では、この社の分霊が京都の鷹ヶ峰に祀られ、のちに和気清麻呂によって嵯峨の愛宕山へ遷されて現在の愛宕神社になったと伝えることから、「元愛宕」あるいは「愛宕の本宮」と呼ばれ、全国に数多い愛宕社の総本宮ともいわれる。檜皮葺の一間社流造である本殿は鎌倉時代後期の建立と伝えられ、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されている。火伏せ・防火の神として広く信仰され、4月24日には鎮火祭が営まれる。愛宕山の愛宕神社と同様に「愛宕の三つ参り」の信仰が伝わり、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとされている。
- 所在地
- 京都府亀岡市千歳町国分南山ノロ1
- 御祭神
- 大国主神、火産霊神
- 系統
- 出雲
有明山神社
長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。
- 所在地
- 長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
- 御祭神
- 大己貴命、手力雄命
- 系統
- 出雲
山国神社
京都市北部の京北地域、旧山国郷に鎮座する延喜式内社です。社伝では光仁天皇の宝亀年間(770〜780)の鎮座と伝えられ、延暦13年(794)の平安遷都にあたって大内裏造営の用材がこの郷から徴されたため一帯が御杣料地と定められ、修理職の官人が本殿を造営し、和気清麻呂が祭主を務めたといいます。以後、大嘗祭の悠紀殿・主基殿の用材を調える役も担いました。長和5年(1016)には三条天皇から正一位を賜り、御祈願所として菊花の紋章を許されたと伝わります。源平の争乱や元弘の乱でたびたび社殿を失いましたが、細川頼之の執奏により応永6年(1399)に復旧し、このとき足利義満が奉納した丸に二つ引きが以後の神紋となりました。慶長元年(1596)に後陽成天皇によって再建され、明治6年(1873)に郷社、明治33年(1900)に府社へ列格。幕末に官軍として東征した山国隊ゆかりの社としても知られます。
- 所在地
- 京都府京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1番地
- 御祭神
- 大己貴命、大国主命
- 系統
- 出雲
弥栄神社
大分市の上野丘に鎮座する旧県社。社伝では宝亀2年(771年)、豊後国府にほど近い岩屋寺の境内に祀られたのが起こりとされる。鎌倉時代には豊後を治めた大友氏の初代・能直が国中の疫病退散を願って京都の祇園社を勧請したと伝わり、以後は大友氏の厚い崇敬を受けた。天正14年(1586年)の島津軍による府内侵攻で社殿を焼失したが、元和4年(1618年)に府内藩主・竹中重義が現在地へ移して再建している。江戸期を通じて祇園社(祇園宮)と呼ばれ、明治の神仏分離を経て弥栄神社と改称。明治6年(1873年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列した。寛永年間の建立と伝わる楼門が今も残る。
- 所在地
- 大分県大分市上野丘738
- 御祭神
- 大己貴命、素盞嗚尊
- 系統
- 出雲
綱神社
益子町北部の上大羽、大羽山の山あいに鎮座する古社です。鎌倉時代の建久5年(1194)、下野の武将・宇都宮朝綱が創建したと伝えられます。朝綱は公田横領の嫌疑で土佐へ流された際、土佐国一宮の賀茂社に帰郷を祈願し、願いがかなって下野へ戻れたことから、宇都宮氏の氏寺であった尾羽寺の寺域にこの社を建てたといいます。主祭神は味耜高彦根命で、大国主命をあわせて祀ります。現在の本殿は室町時代後期の大永年間(1521〜1528)の建立で、三間社流造・茅葺という全国的にも例の少ない形式をとり、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。境内には大同2年(807)の創建と伝わる摂社・大倉神社が愛宕山から移されており、その本殿も同じく国の重要文化財に指定されています。
- 所在地
- 栃木県芳賀郡益子町上大羽
- 御祭神
- 大国主命、味耜高彦根命
- 系統
- 出雲
高砂神社
社伝によれば、神功皇后が外征からの帰途にこの地へ船を寄せ、加護を受けた大己貴命を国家鎮護のために祀ったのが始まりとされる。天禄年間(970〜972)に疫病が流行した際、神託により素盞嗚命と奇稲田姫命を合わせ祀ったところ疫病が鎮まったと伝わる。文禄元年(1592)には豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して参拝し、戦勝を祈願したと伝えられる。慶長6年(1601)、姫路城主の池田輝政が社地に高砂城を築くことを定めて社領を寄進し、慶長10年(1605)の築城にともなって社殿は西北の松林へ移された。元和元年(1615)の一国一城令で高砂城が廃されたのち、寛永2年(1625)に姫路藩主本多忠政が社領を寄進して旧地へ戻している。境内の「相生の松」は一つの根から雌雄二本の幹が立つ松で、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)が宿る霊松と伝えられ、謡曲『高砂』ゆかりの社として知られる。現在の松は5代目にあたる。旧社格は県社。
- 所在地
- 兵庫県高砂市高砂町東宮町190
- 御祭神
- 大己貴命、素盞嗚命
- 系統
- 出雲
清水神社
創建の年代は明らかでない。江戸時代の初めに、古くからこの地で祀られていた帝釈天と、他村から迎えた王子権現を合わせ祀ったのが始まりと伝えられ、近世を通じて王子権現宮と称された。主祭神は大己貴命で、顕宗天皇と仁賢天皇を配祀する。明治44年(1911)には元清水神社を合祀している。新田開発の進んだ魚住の地で村の鎮守として信仰され、田植えを終えた6月下旬には豊作を祈る「おくわはん」の神事が今も続けられている。この行事は江戸時代に始まったとされ、明石市の無形民俗文化財に指定されている。例祭は10月17日。現在は近隣の住吉神社が兼務している。
- 所在地
- 兵庫県明石市魚住町清水886
- 御祭神
- 大己貴命、顕宗天皇
- 系統
- 出雲
中標津神社
北海道東部、中標津町の市街地に鎮座する神社。祭神は天照大御神・大国主神・倉稲魂神の三柱。1913年(大正2年)8月、当時の標津村に入植した人々が開拓の守護神として小祠を建てたのが始まりで、当初は現在の丸山公園付近にあった。その後たびたび移転を重ね、1919年(大正8年)に現在地へ落ち着いた。1933年(昭和8年)に本殿・幣殿・拝殿が造営され、1942年(昭和17年)に内務省から公認神社として認可された。1975年(昭和50年)には老朽化した社殿を建て替え、今日の姿となっている。旧共成神社を合祀しており、その祭神も併せて祀る。開拓の歴史がそのまま社史となっている、比較的新しい北海道らしい神社である。
- 所在地
- 北海道標津郡中標津町西1条南4丁目1番地
- 御祭神
- 大国主神、天照大御神
三吉神社
明治11年(1878)、秋田県出身の木村藤吉が郷里の太平山三吉神社(秋田市)の御分霊を豊平川東詰に奉斎したことに始まる。翌明治12年(1879)4月、当時の渡島通121番地(現在の中央区南1条西8丁目)へ遷座した。毎月8日に小祭を営み、例大祭は当初5月8日と定められたが、大正13年(1924)に三代目宮司・佐藤桂が5月15日へ改めている。昭和5年(1930)には県社に昇格した。開拓・医薬の神である大己貴神・少彦名神とともに、勝利成功や事業繁栄の神として信仰される藤原三吉神を祀る。札幌の中心市街に鎮座し、5月15日の例大祭は多くの市民に親しまれている。
- 所在地
- 北海道札幌市中央区南1条西8丁目17番地
- 御祭神
- 大己貴神、少彦名神
美作総社宮
美作国の総社にあたる神社で、国司が国内の神々をまとめて祀るために設けられた社に始まります。社伝では欽明天皇25年(564年)の創建と伝えますが、確実な文献に現れるのは戦国時代の永禄年間からです。美作国内の多数の神社を合わせ祀っており、中山神社・高野神社とともに美作三大社の一社に数えられてきました。現在の本殿は永禄5年(1562年)に毛利元就が再建したもので、明暦3年(1657年)に大規模な改修を受けています。桁行三間・梁間三間の入母屋造妻入・こけら葺で、美作地方独自の「中山造」と呼ばれる形式を伝える建築として、1914年(大正3年)に国の重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定されました。江戸時代には津山藩主から篤い崇敬を受けています。
- 所在地
- 岡山県津山市総社427
- 御祭神
- 大己貴命、鏡作命
- 系統
- 出雲
菅大臣神社
社地は菅原道真の邸宅であった紅梅殿・白梅殿と、学問所「菅家廊下」の跡と伝えられ、道真誕生の地ともされています。境内には産湯に用いたと伝わる井戸が保存されており、大宰府へ左遷される道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花」と詠みかけた飛梅の地であるとも伝えられます。創建は道真の没後まもなくと伝えられますが、その後たびたび兵火にさらされ、鎌倉時代には南北二つの社に分かれました。応仁の乱によって荒廃したのち、慶長19年(1614年)に再興されています。現在の本殿は天保6年(1835年)に造られたもので、明治2年(1869年)に他所からこの地へ移築されたものです。学問の神として、また道真ゆかりの地として参拝者を集めています。
- 所在地
- 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
- 御祭神
- 大己貴命、菅原道真公
- 系統
- 出雲
波氐神社
創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。
- 所在地
- 三重県津市一志町波瀬4248
- 御祭神
- 大国主命、火雷神
- 系統
- 出雲
小槻大社
創祀年代は不詳です。この地の古代豪族・小槻山君の祖神である落別命(於知別命)を祀る式内社で、栗太郡八座の一つに数えられます。小槻氏は奈良時代に宮廷へ采女を出し、平安時代から明治に至るまで千年近く官務家として朝廷に仕えました。『日本三代実録』には貞観5年(863年)に従五位下、元慶6年(882年)に従五位上を授けられた記録があり、『日本紀略』には延喜11年(911年)に従四位下を受けたと見えます。中世には青地庄に拠った近江守護佐々木氏の分流・青地氏が篤く崇敬し、弘安4年(1281年)に青地基氏が本殿内陣の元宮殿を新造、康永年間には正一位の神位授与を朝廷に願い出て許されました。現在の本殿は永正16年(1519年)に青地元真が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。配祀の大己貴命は、境内に接していた天台宗音楽寺との関わりから日吉西本宮を勧請合祀したものと推察されています。
- 所在地
- 滋賀県栗東市下戸山1200
- 御祭神
- 大己貴命、於知別命
- 系統
- 出雲
伊和神社
播磨国一宮。主祭神の大己貴神は播磨国内を巡歴して国造りを行い、最後に伊和の里で「我が事業は終わった」と仰せられて鎮まったと伝えられ、人々がその神徳を慕って社殿を営んだのが創祀とされる。「我を祀れ」との神託の後、一夜のうちに草木が生い茂り、石の上に二羽の大きな鶴が眠っていた場所に社殿を造営したという伝承があり、創建は成務天皇の甲申年(144)あるいは欽明天皇25年(564)と伝わる。延喜式では明神大社に列し、神階は正一位、明治の社格制度では国幣中社。古来、農工商など産業の神、縁結び・福の神、厄除け・病気平癒・交通安全の神として崇敬されてきた。配祀神は少彦名神・下照姫神。
- 所在地
- 兵庫県宍粟市一宮町須行名407
- 御祭神
- 大己貴神
- 系統
- 出雲
馬路石邊神社
社伝によれば白鳳3年に建速須佐之男命を奉斎し、朱鳥元年(686)に大己貴命を合祀したことに始まる古社で、延喜式神名帳に記載される式内社。社名は古代の馬道(うまじ)郷の土豪・石邊君氏の氏神であることに由来する。中世には江州田中荘(吉身・守山など)の総鎮守「田中大明神」「田中天王社」と崇められ、鎮守の森は「天王の森」と呼ばれた。弘仁年間には嵯峨天皇の病気平癒祈願の功により神領などが寄進されたと伝わる。元亀・天正年間の野洲川周辺の戦乱で社殿や神宝を焼失し、江戸時代に再興されたが天明4年(1784)に再び火災に遭い、現社殿は文久2年(1862)の再建。明治9年に村社、明治14年に郷社に列した。祭礼では天下泰平・五穀豊穣を祈る古式踊「豊年踊」が奉納される。
- 所在地
- 滋賀県守山市吉身4丁目4-1
- 御祭神
- 大己貴命、建速須佐之男命
- 系統
- 出雲
草戸稲荷神社
大同2年(807)、平城天皇の御代に明王院の開基・空海上人が同寺の鎮守として祀ったのが始まりと伝えられる。当初は芦田川の中州に鎮座していたが、たびたびの洪水で社殿が流失・破損したため、寛永10年(1633)に福山藩祖・水野勝成が再建し、承応4年(1655)にはその孫にあたる3代藩主・水野勝貞が、父である2代勝俊の病気平癒を祈願して現在地に社殿を遷した。保食神・宇加之魂神・大己貴神を祀り、「平安時代より続く鎮守の杜」として備後福山の信仰を集めている。
- 所在地
- 広島県福山市草戸町1467番地
- 御祭神
- 大己貴神、保食神
- 系統
- 稲荷
大神山神社
「大神山」は御神体山である大山の古名で、奈良時代の「出雲国風土記」に「伯耆国大神岳」として現れ、延喜式神名帳にも「伯耆国会見郡 大神山神社」と記載される古社。主祭神は国造りの神・大己貴神。冬期の積雪を避けて山麓に遥拝所や冬期社殿を設けたことが本社の起こりとされ、平安末期には福万原へ遷座して社領千石を有した。神仏習合期には大己貴神の本地仏として地蔵菩薩を祀って「大山権現」と称し、三院180坊・僧兵3000を擁する一大勢力を誇った。明治の神仏分離で大神山神社と改称し国幣小社に列格。大山中腹の奥宮と米子市尾高の本社の二社からなる。
- 所在地
- (本社)鳥取県米子市尾高1025(奥宮)鳥取県西伯郡大山町大山
- 御祭神
- 大己貴神
- 系統
- 出雲
飯生神社
江戸後期の安永2年(1773)、松前藩が長万部に番屋を設けた際、その守り神として創祀されたのが始まり。文化13年(1816)には京都の伏見稲荷(現伏見稲荷大社)から御分霊を勧請した。万延元年(1860)再建時の棟札には歴代の箱館奉行や松前藩主の名が列記され、異国船退散と蝦夷地の平安が祈念されていたと伝わる。明治17年(1884)に社殿を造営し、大正15年(1926)に南部藩陣屋跡の高台である現在地へ遷座した。御祭神は天照大神・大國主命・倉稲魂命。令和5年(2023)に創祀250年を迎えた。旧社格は村社。
- 所在地
- 北海道山越郡長万部町字長万部379
- 御祭神
- 大国主命、天照大神
- 系統
- 出雲
大杉神社
神護景雲元年(767)の創建と伝わり、疫病が流行した際に僧・勝道が巨杉を神籬として三輪明神を祀ったという伝承をもつ。主祭神は倭大物主櫛甕玉大神で、仁治2年(1241)に京都・今宮神社から大己貴命と少彦名命を勧請合祀した。「あんばさま」の愛称で親しまれる、関東・東北に分布する大杉神社の総本宮。厄除け・八方除けの祈祷で知られ、享保10年(1725)に始まった「あんば囃子」は関東一円に広まり、国の選択無形民俗文化財となっている。豪華な社殿群から「茨城の日光東照宮」とも称される。
- 所在地
- 茨城県稲敷市阿波958番地
- 御祭神
- 大己貴命、倭大物主櫛甕玉命
- 系統
- 出雲