御祭神おうじんてんのう

応神天皇を祀る神社

第15代天皇。八幡神として信仰される武運の神。全国の八幡宮の祭神として最も広く祀られる。 代表的な神社としては鶴岡八幡宮、宇佐神宮、函館八幡宮などが挙げられます。 八幡信仰の総本宮としては大分の宇佐神宮が名高く、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮も代表社として知られます。

応神天皇とは?

第15代天皇。八幡神として信仰される武運の神。全国の八幡宮の祭神として最も広く祀られる。 代表的な神社としては鶴岡八幡宮、宇佐神宮、函館八幡宮などが挙げられます。 八幡信仰の総本宮としては大分の宇佐神宮が名高く、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮も代表社として知られます。

応神天皇の主なご利益

応神天皇を祀る神社では、厄除け、勝負運、出世のご利益がよく見られます。神社ごとの由緒や地域の信仰もあわせて確認すると、仕事や暮らしの節目、心身を整えたい場面など、願意に合う参拝先を選びやすくなります。

応神天皇とは

神話上の位置づけと信仰の広がりを整理します。

応神天皇は、八幡神として全国の八幡宮に祀られる御祭神です。武家の守護神、国家鎮護の神として信仰され、勝負運や厄除け、地域守護の祈願先として知られます。

八幡信仰では、比売神や神功皇后と合わせて祀られることも多く、地域の総鎮守としての役割も担ってきました。

参拝のポイント

応神天皇を祀る神社を訪れる前に押さえたい観点です。

応神天皇を祀る八幡宮では、勝負や試験の結果だけでなく、正しい判断力と落ち着きを願う参拝が向いています。地域守護の神として、家族や地域の安泰を祈るのも自然です。

応神天皇を祀る有名な神社

有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。

有名神社大分県開運勝負運

宇佐神宮

うさ じんぐう

宇佐神宮は八幡大神・比売大神を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、725年(神亀2年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
大分県宇佐市南宇佐2859
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
福岡県勝負運厄除け

高良大社

こうらたいしゃ

高良大社は、高良玉垂命・八幡大神・住吉大神を祀る筑後国一之宮。延喜式では名神大社に列し、筑後地方の総鎮守として朝廷や武家から崇敬された。高良山に鎮座し、九州最大級の社殿と長い信仰史を伝える。

所在地
福岡県久留米市御井町1番地
御祭神
高良玉垂命、八幡大神
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

住吉神社

すみよしじんじゃ

長門国一宮で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社と並ぶ「日本三大住吉」の一社。社伝では、神功皇后が三韓出兵の折に住吉大神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」という神誨を受けて創祀したと伝え、住吉三神の荒魂を祀るのが大きな特色である。相殿に応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命を祀る。『延喜式』神名帳には名神大社として載る。本殿は応安3年(1370年)に大内弘世が造進したもので、五つの社殿を檜皮葺の屋根で連ねた九間社流造という全国的にも特異な形式をもち、室町初期の社寺建築として昭和28年に国宝に指定された。拝殿は天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもので、室町末期の手法をよく伝え昭和29年に国の重要文化財に指定されている。歴代の領主から手厚い保護を受けてきた古社である。

所在地
山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
御祭神
住吉三神、応神天皇
系統
八幡
佐賀県勝負運厄除け

千栗八幡宮

ちりくはちまんぐう

公式サイトによれば、神亀元年(724年)に肥前国養父郡司・壬生春成が神託を受けて創建したと伝わり、令和6年に御創建千三百年を迎えた。祭神は應神天皇・仲哀天皇・神功皇后のほか、難波皇子・宇治皇子・住吉明神・武内宿禰を合わせ祀る。古くから宇佐神宮の別宮として知られ、平安時代には五所別宮の一社として朝廷の崇敬を受け、肥前国一の宮とされてきた。筑後川を望む段丘上に鎮座し、社前の石段が参道をなす。境内社には手足の神として信仰される武雄神社と、郡司が狩猟中に八幡神の使いである鳩が弓の上にとまったという創建伝承にちなむ鳩森稲荷神社がある。3月15日の「お粥試し」は日本有数の粥占神事として知られる。

所在地
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗
御祭神
応神天皇、仲哀天皇
系統
八幡
長崎県勝負運厄除け

厳原八幡宮神社

いずはらはちまんぐうじんじゃ

長崎県対馬市厳原の中心部、清水山の麓に鎮座する古社で、対馬国一宮の論社とされる。応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・姫大神・武内宿禰の五柱を祀る。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ登り、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を供えて天神地祇を祀り、異国の侵入からこの地を守るよう祈ったことに始まると伝える。のち天武天皇6年(677年)に勅命によって山麓に社殿が造営され、八幡神が祀られたという。中世以降は対馬を治めた宗氏をはじめ島民の崇敬を広く集め、近代には明治7年(1874年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列格した。旧暦8月15日を本祭とする古式大祭では、宮司や氏子らが長い行列を組み、神輿とともに厳原港を目指して練り歩く神幸式(おさがり)が行われ、前夜祭・本祭ともに浦安の舞と命婦の舞が奉納される。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡

応神天皇を祀る神社一覧

89件中21-40件を表示しています。

東京都勝負運厄除け

八幡神社

にしくぼはちまんじんじゃ

寛弘年間(1004〜12年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請し、霞ヶ関のあたりに創建したと伝わる。太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座した。徳川秀忠の正室崇源院が戦勝祈願の報賽として社殿建立を遺し、その意により寛永11年(1634年)に社殿が造営されている。江戸時代には「江戸八所八幡」の一つに数えられ、八八幡詣として多くの参詣を集めて門前町が栄えた。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の火災で被害を受け、昭和20年3月の戦災では社殿を焼失したが昭和28年に復興。平成27年には失われていた御本社神輿を復興し、平成29年に神幸祭を斎行した。令和元年からは「令和の御造替事業」として施設を再建し、令和3年10月29日に本殿遷座祭が斎行された。境内は縄文期の西久保八幡貝塚としても知られる。

所在地
東京都港区虎ノ門5-10-14
御祭神
品陀和気命、息長帯比売命
系統
八幡
広島県勝負運厄除け

草津八幡神社

くさつはちまんじんじゃ

推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を軍津浦と伝える。大永4年(1524年)に修造。明治25年に厳島神社から市寸島姫命・湍津姫命を勧請し、明治末期の神社統廃合で素盞嗚神・倉稲魂神・金刀比羅神を合祀した。社殿はもと海浜近くにあり再建のたびに高所へ移され、現在は力箭山(行者山)中腹に鎮座する。現社殿は昭和6年に近郷六箇村の氏子により再建されたもので、広島市西区一帯の総氏神として崇敬される。

所在地
広島県広島市西区田方1丁目11-18
御祭神
品陀和気命、帯中津日子命
系統
八幡
大分県勝負運厄除け

薦神社

こもじんじゃ

別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。

所在地
大分県中津市大字大貞209
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
香川県開運

白羽神社

しらはじんじゃ

高松市牟礼町牟礼と大町一帯の氏神で、旧社格は郷社。文明年間(1469〜1487)の創建と伝わり、当初は楠窪神と称した。社伝によれば、当郷の領主・中村氏宗が「八幡大神である」との夢告を受け、さらに白い矢が東方から飛来して城北の林中へ入るという神示があったことから、現在地に社殿を営んで白羽八幡宮と称するようになったという。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長足姫命の八幡三神である。源平合戦の古戦場・屋島の東に位置し、秋祭りでは境内での獅子舞の奉納と、ちょうさと呼ばれる太鼓台の練りが地域の一大行事となっている。

所在地
香川県高松市牟礼町牟礼1354
御祭神
誉田別命、足仲彦命
大阪府勝負運厄除け

澤田八幡神社

さわだはちまんじんじゃ

藤井寺市沢田に鎮座する旧村社で、祭神は品陀和気命(応神天皇)。江戸時代初期に、近隣の誉田八幡宮から八幡神を勧請したものと伝わる。太閤検地によって沢田村が誉田八幡宮の神領となり、のちにその神領が隣接する古室村へ配置換えされた際、村人たちの意思で改めて八幡神を迎えたのが始まりとされる。拝殿には明暦元年(1655年)11月付の棟札が残り、旧地から一町ほど西の現在地へ遷宮したことが記されている。安永6年(1777年)付の棟札もあり、江戸期に複数回の造替が行われたことがわかる。明治5年(1872年)に村社に列格した。1922年(大正11年)に開通した近鉄南大阪線が町中を避けて敷設された結果、線路が参道を横切ることになり、境内に踏切がある神社として広く知られている。

所在地
大阪府藤井寺市沢田4丁目2-3
御祭神
品陀和気命
系統
八幡
静岡県勝負運厄除け

守山八幡宮

もりやまはちまんぐう

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
御祭神
誉田別命、大山祇命
系統
八幡
愛知県勝負運厄除け

鳴海八幡宮

なるみはちまんぐう

名古屋市緑区、旧鳴海村の氏神として祀られてきた神社。創建年代は不詳だが、貞永元年(1232年)に久野家の初代が社職に就いたという記録が伝わり、境内には樹齢千年を超えると伝えられる大楠が御神木としてそびえる。この大木の存在から、当社が平安時代以前にさかのぼる古社である可能性が指摘されている。『延喜式』神名帳の尾張国愛智郡「川原神社」の比定社の一つにも挙げられている。長く八幡社と呼ばれてきたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で社殿が被害を受け、昭和43年(1968年)に本殿・拝殿を新築した際に鳴海八幡宮と改称した。主祭神は品陀和気命(応神天皇)で、息長帯日売命(神功皇后)ほか計五柱を祀る。

所在地
愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23
御祭神
品陀和気命、息長帯日売命
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

水戸八幡宮

みとはちまんぐう

文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化財に指定されている。日光連山や久慈の山並みを望む高台にあり、茨城百景・茨城観光百選・市民が選ぶ水戸百景にも選ばれている。

所在地
茨城県水戸市八幡町8-54
御祭神
誉田別尊、息長足日売尊
系統
八幡
富山県健康祈願開運

上梨白山宮

かみなしはくさんぐう

五箇山の上梨集落に鎮まる古社で、伝承では奈良時代の泰澄が人形山に開いた堂塔にはじまり、のちに山麓の上梨へ移されたと伝えられます。本殿には文亀2年(1502年)の棟札が残り、富山県内に現存する最も古い木造建築とされ、国の重要文化財に指定されています。規模は小さな一間社流造で、豪雪から守るため鞘堂に覆われています。白山信仰の菊理媛命を主祭神に、諏訪と八幡の神をあわせ祀っています。五箇山を代表する古い民謡「こきりこ」は、古くからこの白山宮の祭礼で歌い継がれてきたもので、現在も秋の祭りで奉納されています。

所在地
富山県南砺市上梨654
御祭神
菊理媛命、諏訪大明神
系統
白山
長崎県勝負運厄除け

八幡宮神社

はちまんぐうじんじゃ

対馬の中心・厳原の清水山麓に鎮座する対馬国一宮の論社で、旧県社。正式な社名は「八幡宮神社」で「厳原」の地名は入らないが、他所の八幡宮と区別するため「厳原八幡宮」とも呼ばれ、楼門にかかる扁額も「八幡宮神社」と記す。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ行啓し、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったのが起こりとされる。677年(天武天皇6年)、天武天皇の勅命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのが創建と伝わる。上県郡の上津八幡宮(現在の海神神社)に対して当社は下津八幡宮と並び称され、戦国時代頃からは府中八幡宮と呼ばれるようになった。1871年(明治4年)に式内名神大社「和多都美神社」に比定されて改称したことがあったが、1890年(明治23年)に元の八幡宮へ戻している。1874年(明治7年)に郷社、1916年(大正5年)に県社へ昇格した。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
三重県開運

波氐神社

はてじんじゃ

創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。

所在地
三重県津市一志町波瀬4248
御祭神
火雷神、安閑天皇
系統
出雲
茨城県勝負運厄除け

馬場八幡宮

ばばはちまんぐう

社伝では天喜4年(1056年)、前九年の役に向かう源頼義が当地にあった熊野神社の境内に陣を張り、社前に据えた2枚の平石に石清水八幡宮の神霊を勧請して戦勝を祈願したのが始まりとされる。以後この地で勢力を伸ばした佐竹氏が守護神として崇敬し、初代昌義が社殿を造営して太田郷の総社とした。佐竹氏は代々当社の神前で元服の儀を行うのを家例とし、天正2年(1574年)の落雷で社殿を焼失した後、同8年に19代義重が現在の本殿を再建している。本殿は常陸太田市指定文化財。20代義宣は天正20年(1592年)に分霊を水戸八幡宮へ、慶長7年(1602年)の秋田移封の際には八幡秋田神社へ遷した。

所在地
茨城県常陸太田市馬場町574
御祭神
誉田別尊、息長足比咩命
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

八幡神社

はとのもりはちまんじんじゃ

鳩森八幡神社の創建には、いにしえの瑞祥にまつわる伝承が残る。かつてこの地の森にたびたび瑞雲が現れ、村人が分け入ると多くの白い鳩が西へ飛び立ったといい、この不思議な出来事にちなんで祠が建てられ「鳩森」と名付けられたと伝わる。貞観2年(860年)、関東巡教中の慈覚大師円仁がこの地に立ち寄った際、村民の願いを受けて神功皇后と応神天皇の御尊像を祀り、「正八幡宮」として崇敬されるようになったという。現在も応神天皇・神功皇后の二柱を御祭神とする。社殿は弘化2年(1845年)に上棟した欅造りであったが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、戦後の復興を経て平成5年(1993年)に戦前の姿へと復元された。戦火をくぐり抜けたご神木の銀杏は、今も境内で命をつないでいる。境内には都内最古とされる富士塚(鳩森八幡神社富士塚)や将棋堂もあり、多くの参拝者に親しまれている。

所在地
東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目1番24号
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

鷲神社

わしじんじゃ

鷲神社は東京都足立区島根に鎮座し、主祭神の日本武尊は『子育てわし大明神』とも称される。相殿には誉田別命(安産福徳の神)・国常立命(国土主宰の神)を祀り、須佐之男命・天照大御神もあわせて奉斎する。かつてこの一帯は海岸線に近く、島の根のような地形をなしていたことから『浮島明神』とも呼ばれ、ご祭神が船でこの地に着いたという伝承が残る。文保2年(1318)に中興されたと伝わり、応永年間の文書には足利将軍家からの寄進が記されている。元禄8年(1695)には村内に点在していた七つの祠のうち八幡社・明神社の二柱が合祀され、享保元年(1716)には8代将軍徳川吉宗が鷹狩りの途中に立ち寄ったとも伝えられている。

所在地
東京都足立区島根4-25-1
御祭神
日本武尊、誉田別命
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

津八幡宮

つはちまんぐう

建武年間(1334〜38)に山城国男山の石清水八幡宮の分霊を垂水村千歳山に勧請したのが起源と伝わる。津藩2代藩主・藤堂高次が鷹狩の際に当社で雨宿りをした縁で崇敬を寄せ、寛永9年(1632)正月に藤方村の現在地へ社殿を遷して造営し、藩祖・藤堂高虎の神霊も合祀された。寛永21年(1644)には垂水村・藤方村のうちから300石が神領として寄進されている。御祭神は応神天皇・神功皇后で、相殿に住吉大神・藤堂高虎公を祀る。寛永12年(1635)に始まった当宮の祭礼が津まつりの起こりとされ、城下町津の伝統行事として今日まで続いている。

所在地
三重県津市藤方2339
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
奈良県勝負運厄除け

手向山八幡宮

たむけやまはちまんぐう

天平勝宝元年(749)、東大寺の大仏(盧舎那仏)造立にあたり、豊前国(現・大分県)の宇佐八幡宮から勧請され、東大寺の鎮守社とされた古社。御祭神は応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇。現在の本殿は元禄4年(1691)の再建と伝わる。東大寺に隣接する手向山の麓に鎮座し、古くから紅葉の名所として知られる。毎年10月5日には勧請ゆかりの祭事である転害会(てがいえ)が行われ、東大寺転害門でも神事が営まれる。

所在地
奈良県奈良市雑司町434
御祭神
応神天皇、姫大神
系統
八幡
神奈川県勝負運厄除け

鶴嶺八幡宮

つるみねはちまんぐう

長元3年(1030)、源頼義が下総の乱平定に際し、懐島郷(現在の茅ヶ崎)に石清水八幡宮を勧請したのが創祀と伝わり、源氏が関東進出の第一歩として祀った最初の氏神社とされる。康平6年(1063)に頼義が鎌倉に鶴岡八幡宮の前身を建立すると、当宮は「本社八幡宮」と呼ばれた。弘安4年(1281)の蒙古襲来に際しては退散の祈祷が行われ、これにちなむ「晦日祭」が例祭として伝わった。江戸時代には徳川幕府から朱印地の寄進を受け、昭和9年(1934)に郷社に列格。祭神は応神天皇・仁徳天皇・佐塚大神で、菅原道真を合祀する。

所在地
〒 253-0086神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462
御祭神
応神天皇、仁徳天皇
系統
八幡
大阪府勝負運厄除け

百舌鳥八幡宮

もずはちまんぐう

主祭神に応神天皇を祀る。社伝によれば、神功皇后が三韓征討の帰途にこの地で万代までも鎮まり天下泰平を守ろうと誓願し、のちの欽明天皇の御代に八幡大神の宣託を受けて地を万代(もず)と称し、神社を創建したのが始まりと伝わる。平安時代には京都・石清水八幡宮の和泉国万代別宮として栄え、社僧四十八ヵ寺を擁した。江戸時代には歴代の大坂城代が就任時に必ず参拝したといわれ、徳川家から葵紋の使用を許された。秋には例大祭に合わせて氏子各町からふとん太鼓が奉納され、大いに賑わう。

所在地
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

忌宮神社

いみのみやじんじゃ

第14代仲哀天皇が熊襲平定のため西下した際にこの地に豊浦宮を興し、7年間政務を執ったと伝わる。天皇崩御ののち、新羅征討から帰った神功皇后が天皇の神霊を豊浦宮の地に鎮祭したのが創祀とされる。社名の「忌」は「斎」と同義で、極めて神聖・清浄な宮を意味する。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀る延喜式内社で、古くから文武の神・安産の神として崇敬され、城下町長府の中心に鎮座する。

所在地
山口県下関市長府宮の内1-18
御祭神
仲哀天皇、神功皇后
系統
八幡
千葉県勝負運厄除け

鶴谷八幡宮

つるがやはちまんぐう

平安時代初期、安房国の総社として現在の南房総市府中に創建されたと伝わる。鎌倉時代、総社信仰の衰えと源氏による八幡信仰の高まりを受けて八幡宮に改められ、現在地へ遷座した。中世には里見氏、江戸時代には徳川幕府の崇敬を受け、社殿の造営や社領の寄進を得た。本殿は享保5年(1721)に造営されたが、大正12年(1923)の関東大震災で拝殿とともに倒壊し、昭和7年(1932)に再建された。拝殿の向拝天井には、慶応2年(1866)に安房の彫工・初代後藤義光が手がけた彫刻「百態の龍」がある。昭和15年(1940)に県社に列格し、昭和51年(1976)に現社名に改称。9月の例祭「やわたんまち」(安房国司祭)は国司祭の伝統を受け継ぐ房州最大の祭りで、千葉県指定無形民俗文化財となっている。

所在地
千葉県館山市八幡68
御祭神
品陀和気命、帯中津彦命
系統
八幡

よくある質問

応神天皇についての疑問に答えます。

応神天皇と八幡神は同じですか?

八幡信仰では応神天皇が八幡神として祀られます。神社によって比売神や神功皇后を合わせて祀る場合もあります。

応神天皇を祀る代表的な神社はどこですか?

宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などが代表的です。全国の八幡宮にも広く祀られています。

応神天皇には何を祈れますか?

勝負運、厄除け、家内安全、地域守護、仕事や試験の節目などを祈れます。武家の守護神としての信仰から、勝負事に強い神として知られます。