地域

関東の神社一覧

関東の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

都道府県から絞り込む

7件の都道府県ページがあります。

関東の神社一覧

219件中21-40件を表示しています。

神奈川県開運家内安全

皇大神宮

こうたいじんぐう

神奈川県藤沢市鵠沼神明に鎮座し、天照皇大神を主祭神に、相殿として天手力男命・天太玉命・天児屋根命・天宇受売命・石凝刀売命を祀る。淳和天皇の天長9年(832年)に社殿を造立した記録が残り、勧請の時期はさらに遡ると考えられている。延喜式が撰進された醍醐天皇の頃には、藤沢・西富・大鋸・鵠沼・辻堂などを含む相模国土甘郷の総社とされ、「相模国土甘郷総社神明宮」と称された。長治元年(1104年)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮へ寄進して大庭御厨が成立すると、その広大な神領の総鎮守と定められ、いっそう篤い崇敬を受けた。寿永3年(1184年)には那須与一宗高が屋島で扇の的を射た弓と残りの矢を奉納したと伝わる。社殿は天喜3年(1055年)・元亨2年(1322年)・天正13年(1585年)・昭和60年と造営を重ねている。

所在地
神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5
御祭神
天照皇大神、他5柱
系統
伊勢・神明
群馬県商売繁盛金運

桐生西宮神社

きりゅうにしのみやじんじゃ

群馬県桐生市宮本町、桐生ヶ丘に抱かれた美和神社の境内に鎮座する。織物業で栄えた桐生では各地から移り住んだ職人をまとめる要として旦那衆が福の神・えびす信仰を奨励し、江戸末期には兵庫県西宮市の西宮神社へ参る代参講が盛んになり、本社には明治2年以降の桐生からの参拝者名簿が残る。明治31年(1898年)に本町三丁目一帯で63戸を焼く大火が起こると、「災いを転じて福となす」との気運が高まり、えびす宮総本社である西宮神社へ御分霊の勧請を願い出た。これが認められ、明治34年(1901年)11月20日に蛭子大神の御分霊が奉遷され、美和神社の祭神・大物主命(大黒様)と同格の相殿神として祀られた。関東で唯一の西宮神社直系分社として「関東一社」の称号を受けている。

所在地
群馬県桐生市宮本町2丁目1番1号
御祭神
蛭子大神
系統
恵比寿
栃木県安産子宝

唐沢山神社

からさわやまじんじゃ

栃木県佐野市の唐沢山山頂、唐沢山城の本丸跡に鎮座し、平安時代の武将・藤原秀郷公を祀る。秀郷公は延長5年(927年)に下野国の押領使に任じられて父祖伝来のこの地に入り、唐沢山に城を築いて治めたと伝わる。天慶3年(940年)には平貞盛と力を合わせて平将門を討ち(天慶の乱)、その功により下野守に進んで武蔵守も兼ねた。以後およそ700年にわたり子孫の佐野氏が城主を務めたが、慶長年間に居城を春日岡へ移し、慶長19年(1614年)に佐野信吉が改易となって大名家としては断絶した。明治13年(1880年)、子孫の佐野氏と旧臣が秀郷公の遺徳を顕彰するため沢英社・東明会を組織し、明治16年(1883年)に古城本丸跡へ社殿を創建、同年10月25日に御霊を奉斎した。明治23年(1890年)12月1日に別格官幣社に列せられ、以後この地方の守護神として崇敬されている。

所在地
栃木県佐野市富士町1409
御祭神
藤原秀郷公
系統
浅間
埼玉県厄除け病気平癒

金子神社

かねこじんじゃ

埼玉県に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は素盞嗚尊。厄除け・病気平癒のご利益で知られます。

所在地
埼玉県入間市西三ツ木23
御祭神
素盞嗚尊
系統
八坂
東京都学業成就

亀戸天神社

かめいどてんじんしゃ

太宰府天満宮の神官で菅原道真公の末裔にあたる菅原大鳥居信祐が、正保3年(1646年)に神託を受けて飛梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため諸国を巡ったのち江戸の本所亀戸村にたどり着き、村にあった天神の小さな祠に神像を祀ったのが始まりと伝えられる。四代将軍徳川家綱は明暦の大火からの本所復興事業に際して現在の社地を寄進し、寛文2年(1662年)10月25日、太宰府天満宮にならって社殿・回廊・心字池・太鼓橋が整えられた。古くは「東宰府天満宮」「亀戸宰府天満宮」とも呼ばれ、本社である太宰府天満宮に対して東国天満宮の宗社として崇敬を集めてきた。御祭神は天満大神(菅原道真公)で、相殿に菅原家の祖神である天菩日命を祀る。境内は梅・藤・菊の名所として知られ、季節ごとにまつりが催される。

所在地
東京都江東区亀戸3丁目6番1号
御祭神
天満大神、天菩日命
系統
天神
東京都勝負運開運

鷲神社

おおとりじんじゃ

社伝によれば、天照大御神が天岩戸にこもられた折、天宇受売命が岩戸の前で舞った際に弦という楽器を司った神があり、天手力男命が岩戸を開いたとき、その弦の先に鷲がとまった。神々はこれを世を明るくする瑞兆と喜び、以来この神は鷲の一字を冠して鷲大明神、天日鷲命と称されるようになったという。天日鷲命は諸国の土地を開き、開運・殖産・商売繁昌に霊験の高い神としてこの地に祀られた。のちに日本武尊が東征の途上で戦勝を祈願し、志を遂げた帰りに社前の松へ武具の熊手を掛けて勝ち戦を祝った。その日が11月の酉の日であったことから例祭日と定められ、これが酉の市の起源とされる。この故事により日本武尊も祭神の一柱に加えられた。江戸時代は鷲大明神社と称し、宝暦・明和年間にはすでに酉の祭が相当な賑わいを見せていた。

所在地
東京都台東区千束三丁目18番7号
御祭神
天日鷲命、日本武尊
系統
熱田
神奈川県厄除け病気平癒

鶴見神社

つるみじんじゃ

創建は推古天皇の御代(7世紀初め)と伝えられ、横浜・川崎間で最も古い社とされる。往古は杉山大明神と称し、植林や成長を司り子どもを守護する神として五十猛命を祀ってきた。相殿の天王宮には素盞鳴尊(牛頭天王)を祀り、安全守護・厄除けの神として信仰されている。『続日本後紀』の承和5年(838年)条には、武蔵国都筑郡の杉山神社が霊験によって官幣にあずかったとの記事があり、古代からの由緒をうかがわせる。昭和37年(1962年)には境内から弥生時代後期から古墳時代を中心とする土師器などの祭祀遺物が出土し、平成20年(2008年)には貝層も見つかって横浜市の史跡に指定された。大正9年(1920年)に社名を鶴見神社と改めている。

所在地
神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1
御祭神
五十猛命、素戔嗚尊
系統
八坂
東京都勝負運厄除け

富岡八幡宮

とみおかはちまんぐう

東京都江東区富岡に鎮座し、「深川の八幡様」として親しまれてきた江戸最大の八幡宮。公式の由緒によれば、寛永4年(1627年)に当時永代島と呼ばれていた現在地へ御神託により創建され、周辺の砂州一帯を埋め立てて社地と氏子の居住地を開き、あわせて六万五百八坪の社有地を得たという。江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊のほか尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けた。明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に治定し、勅使を遣わして幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念した。御祭神は応神天皇(誉田別命)ほか八柱。毎月1日・15日・28日の月次祭は縁日として賑わい、門前仲町駅周辺に露店が並ぶほか、境内では骨董市やフリーマーケットも開かれる。

所在地
東京都江東区富岡一丁目20番3号
御祭神
品陀和気命他八柱
系統
八幡
東京都交通安全美容

厳嶋神社

いつくしまじんじゃ

東京都新宿区余丁町に鎮座し、「抜弁天(ぬけべんてん)」の通称で広く知られる。新宿観光振興協会の解説によれば、その昔、源義家が戦勝を祈願した厳嶋神社であり、この付近を旧鎌倉街道が通っていたために義家の伝説が残るのだという。境内が南北に通り抜けできること、また義家が苦難を切り抜けたことにちなむ弁天社であることから「抜弁天」として庶民の信仰を集め、江戸六弁天、新宿山ノ手七福神の一つに数えられた。御祭神は市杵島姫命で、仏教の弁財天と習合し、七福神で唯一の女神として金運・縁結び・芸事上達の神とされる。水の神でもあり、農作物に不可欠な水をもたらすことから五穀豊穣の守り神ともいわれる。神社付近一帯には、江戸時代に犬御用屋敷が置かれていた。

所在地
東京都新宿区余丁町8-5
御祭神
市杵島姫命(弁財天)
系統
厳島
埼玉県開運商売繁盛

大杉神社

おおすぎじんじゃ

埼玉県ふじみ野市、新河岸川のほとりに鎮座する小社。ふじみ野市の文化財解説によれば、明治11年(1878年)に船の守り神として創建され、新河岸川の舟運に従事した船頭や船問屋の信仰を集めた。御祭神は大物主大神。明治18年(1885年)には、新河岸川・荒川・江戸川・利根川・鬼怒川など関東一円の船頭・船問屋およそ100人が協賛して奉納額が納められた。天狗の面を付けた木製のもので、縦100センチメートル・横215センチメートルの大きさがあり、ふじみ野市の有形民俗文化財に指定されている。奉納額は、新河岸川の舟運を支えた船頭たちの厚い信仰心を今に伝える文化財として大切に守られてきた。

所在地
埼玉県ふじみ野市福岡新田
御祭神
大物主大神
系統
三輪
千葉県安産子宝

稲毛浅間神社

いなげせんげんじんじゃ

社伝では大同3年(808年)、富士山本宮浅間大社の御分霊を奉斎したことに始まると伝える富士信仰の古社。祭神は木花咲耶姫命・瓊々杵尊・猿田彦命の三柱で、木花咲耶姫命は安産・子育て、瓊々杵尊は国土平安・家内安全・産業発展、猿田彦命は道開き・交通安全・厄難除けの神として信仰されている。源頼朝や千葉氏の崇敬が厚かったとの記録が残る。約6400坪におよぶ広い神域には松林が広がり、境内には厳島神社・稲荷神社・三峯神社・香取神社・大宮神社・八坂神社・小御嶽神社・小室神社・神明神社・若宮神社など多くの境内社が鎮座し、それぞれの例祭が年間を通じて営まれている。7月14日・15日の夏の大祭は「家内安全 安産子育大祭」として斎行され、14日の前夜祭、15日の本祭を経て22日に例祭終了奉告祭が行われる。

所在地
千葉県千葉市稲毛区稲毛1-15-10
御祭神
木花咲耶姫命、瓊々杵命
系統
浅間
千葉県勝負運厄除け

飯香岡八幡宮

いいがおかはちまんぐう

社伝では白鳳4年(675年)の創祀と伝え、当初は六所御影神社と称したという。天平宝字3年(759年)には諸国の放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、やがて上総国の総社として尊崇された。石清水八幡宮の別宮・市原八幡宮と記す史料も残る。源氏をはじめ千葉氏・足利氏・徳川氏など武家の崇敬を受け、歴代将軍から神輿や社殿の寄進を重ねている。祭神は誉田別尊ほか。本殿は室町時代の建立とされ国の重要文化財、拝殿は千葉県指定文化財で、県内の神社建築で本殿が国の重要文化財に指定されているのは香取神宮と当宮の二社のみである。境内には推定樹齢800年を超える県指定天然記念物の大イチョウ(夫婦銀杏)がある。秋の大祭で子育てや虫封じの祈願を受ける習わしから「子育て八幡」とも呼ばれる。

所在地
千葉県市原市八幡1057-1
御祭神
誉田別尊、息長帯姫尊
系統
八幡
栃木県商売繁盛金運

大前恵比寿神社

おおさきえびすじんじゃ

栃木県真岡市の延喜式内社・大前神社の若宮社(別宮)で、平成元年(1989年)12月9日に本社から事代主神の御神霊を分ける分祀祭、翌10日に鎮座奉祝祭を斎行して成った社である。御祭神は恵比寿様こと事代主神で、大前神社の主祭神である大国主神(大国様)の御子神にあたる。親子で産業発展の礎を築いた神とされ、大前神社の大国様とあわせて「二福神」と称される。境内には大谷石造りの台座に立つ巨大なえびす像がそびえ、高さ20メートルで「日本一えびす様」と呼ばれる。金運招福・商売繁盛・健康長寿・災難厄除の神徳で知られ、宝くじの当選や商売の成就を願う参拝者が全国から訪れる。境内には回遊式日本庭園「五行神水園」と五行福銭水、幸せの黄金釜、おもかるコイ石などが設けられている。

所在地
栃木県真岡市東郷943
御祭神
恵比寿(事代主神)
系統
恵比寿
埼玉県開運

聖神社

ひじりじんじゃ

和銅元年(708年)の創建と伝わる。慶雲5年(708年)に武蔵国秩父郡黒谷から自然銅(にきあかがね)が産出して朝廷に献上され、元明天皇はこれを喜んで年号を「和銅」と改元した。この年に発行されたのが日本最初の流通貨幣とされる「和同開珎」である。献上に際して朝廷から遣わされた勅使が近くの祝山に鉱山の神・金山彦命を祀り、のちに現在地へ遷座して聖神社が創建されたと伝えられる。社の周辺には露天掘りの跡が残る和銅遺跡が広がり、高さ約5メートルの和同開珎のモニュメントが立つ。貨幣発祥の地に鎮座することから地元では「銭神様」と呼ばれて親しまれ、金運や商売繁盛、宝くじの当選を願う参拝者が各地から訪れる。

所在地
埼玉県秩父市黒谷字菅仁田2191
御祭神
金山彦命、国常立尊
東京都商売繁盛金運

小野神社

おのじんじゃ

武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。

所在地
東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
御祭神
天下春命、瀬織津比咩命
系統
稲荷
栃木県勝負運交通安全

塩竃神社

しおがまじんじゃ

創建の時期は明らかでないが、古くは「日本一社下野国鹽竈神社」と称した。社伝によれば主祭神の塩土翁命はこの地で人々に岩塩による製塩、安産、畜産の方法を授け、それらの業が成ると奥州千賀浦へ赴いて海水による製塩を授けたと伝えられる。天正8年(1580年)9月に現在地へ遷座した。主祭神は塩土翁命・武甕槌命・経津主命の三柱で、天照大神・素盞鳴命・別雷命・火具土命・事代主命・少彦名命・大物主命を配祀する。伊達政宗が参拝して討伐の必勝祈願が成就したと伝わり、勝海舟も篤く崇敬して社額を揮毫奉納したという。

所在地
栃木県矢板市上町6-11
御祭神
塩土翁命、武甕槌命
系統
香取
東京都勝負運厄除け

八幡神社

にしくぼはちまんじんじゃ

寛弘年間(1004〜12年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請し、霞ヶ関のあたりに創建したと伝わる。太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座した。徳川秀忠の正室崇源院が戦勝祈願の報賽として社殿建立を遺し、その意により寛永11年(1634年)に社殿が造営されている。江戸時代には「江戸八所八幡」の一つに数えられ、八八幡詣として多くの参詣を集めて門前町が栄えた。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の火災で被害を受け、昭和20年3月の戦災では社殿を焼失したが昭和28年に復興。平成27年には失われていた御本社神輿を復興し、平成29年に神幸祭を斎行した。令和元年からは「令和の御造替事業」として施設を再建し、令和3年10月29日に本殿遷座祭が斎行された。境内は縄文期の西久保八幡貝塚としても知られる。

所在地
東京都港区虎ノ門5-10-14
御祭神
品陀和気命、息長帯比売命
系統
八幡
埼玉県厄除け方除け

秋葉神社

あきはじんじゃ

社伝では、聖武天皇の天平年間(729〜749)の創建と伝えられる古社。もとは駿河国に飽波神社として鎮座し、のちに遠江国へ移され、さらに当地へ遷されたと伝わる。主祭神は火之迦具土大神で、天照大神・素戔嗚尊・市杵島姫命・菅原道真ら十数柱を併せ祀る。江戸時代には指扇村三千石を知行した旗本山之内家が陣屋を当地に置き、守護神として三代にわたり崇敬した。慶安年間(1648〜1652)の頃から霊験の評判が高まり、火防・盗賊除け・病気平癒の神として関東一円の崇敬を集め、社号標には「火産霊神 関東総本社秋葉神社」と刻まれる。現在の本殿は寛文元年(1661)の建立で、八棟三手先造りの屋根と、四面を埋め尽くす豪壮な彫刻を備える。春秋の例祭には関東各地から参拝者が訪れる。

所在地
埼玉県さいたま市西区中釘818
御祭神
火之迦具土大神
系統
愛宕
埼玉県開運

芳川神社

よしかわじんじゃ

埼玉県吉川市平沼に鎮座する、吉川の総鎮守です。社伝では鎌倉時代初期の文治3年(1187年)、この地を治めた武士団の吉川氏が古くからの土着神を氏神の諏訪神社として再興したことに始まるとされます。主祭神は武勇や風雨、農耕・開拓の守護神である建御名方命で、相殿に経津主命と愛梁大神を祀ります。江戸期には香取社を相殿として平沼村の鎮守となりました。現在の拝殿は嘉永3年(1850年)の再建、本殿は明治42年(1909年)の建立と伝えられ、拝殿の軒下には方位を示す十二支の彫刻が施されています。明治6年に村社に列格し、明治41年から大正2年にかけて地内の34社を合祀したのを機に社号を芳川神社へ改めました。境内には八坂神社・稲荷神社・松尾神社・吉川天満宮・古峯神社などが並び、社殿の前後にタブノキと大クスが立ちます。裏手には旧下妻街道が通り、一帯はかつて沼地で、平沼の地名もその地形に由来するといわれます。

所在地
埼玉県吉川市平沼315-1
御祭神
建御名方命、経津主命
栃木県開運

綱神社

つなじんじゃ

益子町北部の上大羽、大羽山の山あいに鎮座する古社です。鎌倉時代の建久5年(1194)、下野の武将・宇都宮朝綱が創建したと伝えられます。朝綱は公田横領の嫌疑で土佐へ流された際、土佐国一宮の賀茂社に帰郷を祈願し、願いがかなって下野へ戻れたことから、宇都宮氏の氏寺であった尾羽寺の寺域にこの社を建てたといいます。主祭神は味耜高彦根命で、大国主命をあわせて祀ります。現在の本殿は室町時代後期の大永年間(1521〜1528)の建立で、三間社流造・茅葺という全国的にも例の少ない形式をとり、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。境内には大同2年(807)の創建と伝わる摂社・大倉神社が愛宕山から移されており、その本殿も同じく国の重要文化財に指定されています。

所在地
栃木県芳賀郡益子町上大羽
御祭神
味耜高彦根命、大国主命
系統
出雲

関東に関連するご利益一覧

関東の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。