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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中41-60件を表示しています。

奈良県開運

畝尾坐健土安神社

うねおにますたけはにやすじんじゃ

奈良県橿原市下八釣町、天香久山の北西麓・赤埴山の麓に鎮座する。祭神は健土安比売神で、公式には天児屋根命を併せ祀るとする。『延喜式』神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社 大、月次新嘗」に比定される式内大社で、近世には天照大神社と称した(旧村社)。『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇が天香山の埴土を取って多くの平瓫を造り、自ら斎戒して諸神を祭って国土を安定させ、土を取った所を「埴安」と名づけたとあり、当社はその埴安に鎮まる土の霊とされる。天平2年(730年)には神戸の租稲九十束のうち四束が祭神料に充てられ(『大倭国正税帳』)、天安3年(859年)1月27日に従五位下から従五位上へ昇叙された(『日本三代実録』)。神社と天香久山の間には赤埴山と呼ばれる小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。令和元年からは天香山神社とともに、神武天皇の埴採りの神話にもとづく神事を毎年斎行している。

所在地
奈良県橿原市下八釣町138
御祭神
健土安比売命
京都府勝負運厄除け

宇治上神社

うじがみじんじゃ

宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建の由来になったと伝える。京都府の説明によれば、本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材を用いた一間社流造の三殿からなり、神社建築としては日本最古の本殿とされる。拝殿(国宝)は鎌倉時代前期に伐採された桧を使った優れた建物遺構である。「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。御神徳は学業成就・武運隆昌・家内安全で、祭神名の「菟」にちなみうさぎの授与品でも知られる。

所在地
京都府宇治市宇治山田59
御祭神
菟道稚郎子命、応神天皇
系統
八幡
大阪府商売繁盛金運

露天神社

つゆのてんじんしゃ

大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。

所在地
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
御祭神
大己貴大神、少彦名大神
系統
天神
滋賀県交通安全美容

都久夫須麻神社

つくぶすまじんじゃ

琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座し、竹生島神社とも呼ばれる。市杵島比売命(弁財天)、宇賀福神、産土神の浅井比売命、龍神を祀る。『総国風土記』は雄略天皇3年(459年)に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのを始まりとし、縁起では神亀元年(724年)に天照大神の神託によって市杵島姫命が当島に祀られ、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝して神殿を新築し、社前に天忍穂耳命・大己貴命を祀ったと伝える。天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では当社の神護によって乱が治まったとして神位が授けられたと記される。平安期に神宮寺の宝厳寺が島内に建立されて以降、天台の僧の参詣を通じて弁才天信仰が盛んになり、寿永2年(1183年)に平経正が当社拝殿で琵琶の秘曲を弾じた逸話は『平家物語』などに伝わる。数度の火災を経て再建され、現在の本殿は慶長7年(1602年)に伏見桃山御殿の一部を移して造営されたもので、国宝に指定されている。

所在地
滋賀県長浜市早崎町1665
御祭神
市杵島比売命、宇賀福神
系統
厳島
大阪府開運

積川神社

つがわじんじゃ

延喜式内社で、中世以前には和泉国内でも有数の大社として和泉五社の一社に数えられた古社。牛滝川の上流に鎮座し、水利の神として流域の人々の信仰を集めた神社であったと考えられている。現在の本殿は豊臣秀頼が再建したと伝えられ、三間社流造・正面千鳥破風付・桧皮葺の建築で、国の重要文化財に指定されている。このほか鎌倉期の木造男女神像8体と、熊野街道沿いの遥拝鳥居に掲げられ白河院の宸筆と伝わる木造扁額が大阪府指定文化財となっており、淀殿の寄進と伝わる神輿も伝存する。岸和田市域を代表する式内社として、現在も地域の信仰を集めている。

所在地
大阪府岸和田市積川町350
御祭神
生井神、栄井神
和歌山県開運厄除け

鬪雞神社

とうけいじんじゃ

社伝によれば、允恭天皇8年(419)に熊野権現をこの地に勧請し「田辺の宮」と称し奉ったのが起源とされる。別の古文書では天武天皇の時代(684)に十二殿を構え「新熊野證誠十二所大権現」と称したとも伝わり、本殿の裏手にある仮庵山は古くから龍神信仰の中心地、あるいは祭祀の場・御神体として信仰されてきた。平安時代後期には別当・長範によって熊野三所権現が勧請され、1147年に第18代熊野別当・湛快が就任した際には天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称したという。社名は、源平合戦の折に熊野別当・湛増が紅白7羽の鶏を闘わせて神意を占い、白(源氏)が勝ったことから源氏に加勢して熊野水軍を率いたという『平家物語』の故事に由来する。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に追加登録されており、社殿は国の重要文化財。

所在地
和歌山県田辺市東陽1-1
御祭神
熊野三所神
系統
熊野
奈良県開運

立石海神社

たていしかいじんじゃ

奈良県吉野郡下市町の立石に鎮座する、立石の産土神。下市町の資料によれば、『神社記』の天保3年(1832)6月の調査には、当社の祭神は雨の神として祀られる氏神であり「竜王宮社」と名づけられていたと記され、その後に石神社を合祀して「海神社」と称するようになったと伝えられる。もとは下立石の垣内にあった八大竜王と、上立石字石神にあった石神の二社を合わせ祀ったもので、本殿に向かって右が八大竜王、左が石神であると地元では伝えている。社前の右側には稲荷神社も合祀されている。山上に鎮座する旧村社で、水の神・雨の神への信仰が集落の暮らしと結びついてきた神社である。

所在地
奈良県吉野郡下市町大字立石1260
御祭神
八大龍王
大阪府厄除け病気平癒

須佐之男命神社

すさのおのみことじんじゃ

大阪府に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は須佐之男命、天児屋根命、事代主命。厄除け・病気平癒・開運のご利益で知られます。

所在地
大阪府摂津市千里丘3丁目15-15
御祭神
須佐之男命、天児屋根命
系統
八坂
滋賀県開運

苗村神社

なむらじんじゃ

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸に鎮座する式内社で、延喜式神名帳の「長寸(なむら)神社」にあたる。社伝では垂仁天皇の代にこの地を開拓した祖神を祀ったのが創祀とされ、神域の東に祀られたその社を後に東本殿と呼ぶようになった。御祭神は那牟羅彦神・那牟羅姫神と國狹槌尊で、國狹槌尊は安和2年(969)に大和国吉野金峯山から神域の西へ遷座したと伝え、その社殿を西本殿と称する。西本殿は徳治3年(1308)の棟札とともに国宝に指定され、東本殿・楼門・神輿庫・八幡社本殿・十禅師社本殿などは重要文化財。社名は寛仁元年(1017)に朝廷へ門松用の松苗を献上した縁で後一條天皇から「苗村」の号を賜ったことによると伝え、天文5年(1536)には後奈良天皇から正一位を授けられた。近郷三十三か村に氏子を持つ大宮である。

大阪府厄除け病気平癒

大津神社

おおつじんじゃ

大阪府羽曳野市高鷲に鎮座し、素盞嗚尊・奇稲田姫命・天日鷲命を祀る。延長5年(927)にまとめられた『延喜式』に「大津神社」と明記された式内社で、「丹下の郷の大宮」「河内の大宮」と称えられた。応神天皇の頃、難波と大和を結ぶ要路にあたるこの地には渡来系の葛井氏・船氏・津氏が勢力を張っており、そのうち津氏一族がこの地を「大宮山」と称して守護神を奉斎したのが創祀と伝えられる。津氏が朝廷に召されて大和へ移った後は、周辺九か村の氏神として受け継がれた。仏教の隆盛に伴い本地垂迹説に基づいて「午頭天王社」と称し、宮寺・大宮山南之坊が置かれて神仏混淆となり、「北宮の午頭さん」と親しまれた。明治5年(1872)に村社に列格して大津神社に復し、現在は羽曳野市西部・南西部の氏神として信仰されている。配祀神は大山咋命と菅原道真公。

所在地
大阪府羽曳野市高鷲8丁目1-2
御祭神
素盞嗚尊、奇稻田姫命
系統
八坂
三重県縁結び開運

久留真神社

くるまじんじゃ

三重県鈴鹿市白子に鎮座し、大己貴尊を主祭神に須世理姫命と漢織姫命を配祀する。社伝では、古くは現在の白子・御殿町一帯にあたる「伊勢の森」と呼ばれる神域に大己貴尊と須世理姫尊を祀って「福徳さん」と称え、樹齢千年を超える福徳の松がそびえていたという。雄略天皇の代に渡来した漢織(あやはとり)らが伊勢の人々に紡績や衣縫の技術を伝えた功績を称え、漢織姫命を福徳の女神として合祀したと伝える。延長5年(927)に集大成された延喜式の神名帳に載る式内社で、寛永11年(1634)3月には御殿と代官所の設立用地として伊勢の森の境内を上地し、現在地へ遷座した。その際に2代目・3代目の福徳の松が植えられている。昭和18年(1943)4月に村社から県社となった。

所在地
三重県鈴鹿市白子1-15-15
御祭神
大己貴尊
系統
出雲
和歌山県開運厄除け

熊野三山

くまのさんざん

熊野三山は、和歌山県南部に鎮座する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の総称で、単独の神社ではない。紀伊半島南部は古来「熊野」と総称される聖域とされ、熊野川の中洲にあった本宮は川を神格化したものとして家津御子大神を、河口近くの新宮(速玉大社)は熊野速玉大神を、大滝の聖水がもつ生産力への信仰を根源とする那智は熊野夫須美(産霊)大神を、それぞれ主神として祀る。平安後期には神仏習合により三社の神々にも本地仏があてられ、熊野三所(十二所)権現と呼ばれた。三社が互いに三所(十二所)権現を祀り合うことで一体の霊場「熊野三山」となり、「日本第一大霊験所」を称して現世と来世の救いを願う人々の崇敬を集めた。院政期には百度に及ぶ上皇の熊野御幸として信仰が花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まって「蟻の熊野詣」と形容された。

系統
熊野
京都府開運家内安全

皇大神社

こうたいじんじゃ

京都府福知山市大江町内宮に鎮座し、天照大神を祀る。三重県の伊勢神宮より54年前に、大和地方から天照大神の御神体をこの地へ遷し、4年間お祀りした場所と伝えられることから「元伊勢内宮皇大神社」と呼ばれる。全国的にも珍しい黒木の鳥居をもち、静かな森の中に茅葺・神明造の本殿が鎮座する。本殿を中心に、樹齢2000年とされる御神木「龍燈の杉」や、2社の脇宮と83の小宮が前後左右を囲んでいる。近隣の豊受大神社(元伊勢外宮)、天岩戸神社とあわせて「元伊勢三社」と総称される。

所在地
京都府福知山市大江町内宮字宮山217
御祭神
天照大神
系統
伊勢・神明
兵庫県勝負運厄除け

魚吹八幡神社

うすきはちまんじんじゃ

神功皇后摂政3年(202年)、皇后が神託を受けて宇須伎津の浄地を開き、小さな社を建てて玉依比賣命を祀り敷嶋宮と号したのが起こりと伝えられる。のちに仁徳天皇7年(319年)、応神天皇(品陀和氣命)と神功皇后(息長足比賣命)を合わせ祀り、現在の三柱となった。播磨地方でも最大級の24か町・1万数千戸におよぶ氏子圏を持ち、当社の祭礼に漁民が一斉に休漁して網を干して参詣したことが「網干」の地名の由来と伝えられる。10月21日・22日の秋季例祭は「ちょうちん祭り」として知られ、宵宮では楼門前で提灯を叩き合う「提灯練り」が繰り広げられる。本宮には18台の屋台が集まり、楼門前や本殿前で「チョーサー」の掛け声とともに練り合わされる。

所在地
兵庫県姫路市網干区宮内193
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
三重県開運

宇流富志禰神社

うるふしねじんじゃ

名張の地の氏神として信仰されてきた延喜式内社で、伊賀二十五社の一社に数えられる。主祭神の宇奈根命は水と穀物の神で、御神体である赤岩が名張川のうねりのそばにあることから「うねる」が転じて宇奈根になったと伝えられ、社名も「潤うふし水」に由来するという。『日本三代実録』には貞観15年(873年)に宇奈根神が従五位上を授けられた記事が見える。天正8年(1580年)の天正伊賀の乱で社殿・宝物・古文書をことごとく焼失したが、境内には元久2年(1205年)銘の石燈籠が残り、元和2年の棟札からこの年に再建されたとみられる。のちに伊賀領主筒井定次の重臣松倉勝重、次いで藤堂高吉から神領の寄進を受け、明治14年11月に県社に列した。藤堂家から譲り受けた能面45面は三重県の文化財に指定されている。

所在地
三重県名張市平尾3319
御祭神
宇奈根命
京都府開運

梅宮大社

うめのみやたいしゃ

橘諸兄の母である橘三千代が、酒解神と酒解子神を祀って酒造の安全と子孫の繁栄を祈願したのが始まりと伝えられ、創建は奈良時代の750年頃とされる。当初は南山城の井手のあたりに鎮座していたが、嵯峨天皇の皇后である檀林皇后(橘嘉智子)が現在の梅津の地へ遷したという。皇后がこの社に祈って皇子を授かったと伝わることから授子・安産の神として信仰を集め、境内の「またげ石」は子授けの石として今も知られる。酒解神を祀ることから醸造の守護神としても崇敬され、4月中酉日の献酒報告祭(中酉祭)、11月上卯日の醸造安全繁栄祈願祭(上卯祭)が営まれる。ほかにも嵯峨天皇祭・檀林皇后祭・橘清友公祭など、橘氏ゆかりの人々を偲ぶ祭典が受け継がれている。

所在地
京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
御祭神
酒解神、酒解子神
奈良県勝負運厄除け

津島神社

つしまじんじゃ

神仏分離以前は祇園社と称し、旧田原本村の産土神として祀られてきた。明治中期に書写された天治2年(1125年)の棟札に「建立」の文字があったとされ、平安時代後期にはすでに鎮座していたと考えられている。江戸時代には田原本の領主平野家の崇敬を受け、毎年米1石5斗の寄進を受けていた。明治2年(1869年)、平野家の本貫地である尾張国津島の津島社も牛頭天王を祭神とすることから、社名を津島神社と改めた。祭神は素戔鳴命・櫛名田姫命・誉田別命・天児屋根命で、本来は牛頭天王を祭神とする産土神であったとみられる。現在も夏には盛大な祇園祭が営まれ、地元では今も「祇園さん」の愛称で親しまれている。

所在地
奈良県磯城郡田原本町549
御祭神
素戔鳴命、櫛名田姫命
系統
八幡
三重県交通安全開運

都波岐神社・奈加等神社

つばきじんじゃ なかとじんじゃ

伊勢国一之宮とされる都波岐神社と、同じく延喜式内社である奈加等神社を合わせ祀る神社。創立は雄略天皇の御代(5世紀後半)と伝えられる古社で、みちひらきの神とされる猿田彦大神を都波岐神社の祭神、天椹野命と中筒之男命を奈加等神社の祭神として、現在は一つの社殿に相殿の形で祀っている。本殿には平安時代に弘法大師が奉納したと伝わる獅子頭二体を御神体として納め、古くから中戸流獅子舞が受け継がれてきた。同じ鈴鹿市内の椿大神社とともに伊勢国一の宮を称し、全国から一の宮巡拝の参拝者が訪れる。2021年からは手水舎を季節の花で飾る花手水を始め、獅子頭と花をあしらった季節の御朱印を月替わりで頒布している。

所在地
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
御祭神
都波岐神社:猿田彦大神、奈加等神社:天椹野命
系統
住吉
大阪府開運

泉穴師神社

いずみあなしじんじゃ

大阪府泉大津市の「穴師の里」に鎮座する式内社で、和泉五社の一社、和泉国の二ノ宮として広く崇敬を集めてきた。公式の由緒によれば御鎮座は天武天皇の白鳳元年で、およそ1350年の歴史をもつ。主祭神は農業の神・天忍穂耳尊と、紡織の神・栲幡千々姫命の夫婦二柱で、泉州の地が農耕と紡織によって栄えてきたのは両神の御神徳によるとされる。歴代天皇の崇敬が篤く、正倉院文書によれば聖武天皇が和泉国五社大明神へ社領を下賜した際、当社は大鳥神社とともに千三百石を賜った。天正3年(1575年)10月20日には織田信長から社領安堵の朱印状を受けている。古くから幼児の虫封じに霊験があるとも伝えられる。本殿は豊臣秀頼の造営によるもので、摂社の春日社・住吉社とともに国の重要文化財に指定されている。

所在地
大阪府泉大津市豊中町1丁目1-1
御祭神
天忍穂耳尊、栲幡千千姫命
奈良県商売繁盛金運

鴨都波神社

かもつばじんじゃ

第10代崇神天皇の御代、大国主命の11世の子孫にあたる大田田根子の孫・大加茂都美命が勅を奉じて葛城邑加茂の地に奉斎したのが創祀と伝わる。葛城加茂社・下津加茂社とも称され、全国の加茂(鴨)社の根源とされる。主祭神の積羽八重事代主命はもともと鴨氏一族が信仰した神で、当社は事代主神信仰の本源にあたる。桜井市の大神神社に祀られる大物主命の御子神であることから、同社の別宮とも称される。配神として下照比売命・建御名方命を祀るほか、本殿境内社に大物主櫛𤭖玉命・大国主大神を祀る。宮中八神殿の一社として鎮魂の祭礼に預かる延喜式内の明神大社であり、その神は現在も宮中三殿の一つに合祀されている。

所在地
奈良県御所市宮前町514
御祭神
積羽八重事代主命、下照姫命
系統
恵比寿

近畿に関連するご利益一覧

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