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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中121-140件を表示しています。

大阪府開運

日部神社

くさべじんじゃ

大阪府堺市西区草部に鎮座し、彦坐王・神武天皇・道臣命を主祭神とする。彦坐王は、この一帯を拠点とした豪族・日下部首氏の祖神とされる。創建の経緯は詳らかでないが、本居宣長『古事記伝』は、神武天皇が東征の際に上陸し長髄彦と最初の戦いをした「日下の蓼津」をこの一帯に比定している。明治44年(1911)に近隣の八坂神社・熊野神社・菅原神社を合祀し、旧八坂神社の社地へ遷座した。現在の社地・本殿・神門は旧八坂神社のもので、拝殿は旧菅原神社から移築されたものである。本殿は、その前にあった石燈籠に「正平二十四年卯月八日」(正平24年/1369年)の銘が刻まれていることや建築様式から、その頃の建立と考えられ、石燈籠とともに大正6年(1917)に国の重要文化財に指定された。本殿の蟇股には多彩な彫刻が施される。神門は江戸時代の作で堺市指定文化財。

所在地
大阪府堺市西区草部262
御祭神
彦坐王、神武天皇
滋賀県開運

菌神社

くさびらじんじゃ

滋賀県栗東市中沢に鎮座し、意富斗能地神・意富斗乃辨神を祀る。社伝では舒明天皇9年(637)の勧請と伝え、古くは口狭比良(くさひら)大明神と称した。のちに草平大明神と呼ばれ、安土桃山時代からは菌大明神の社号が用いられるようになったという。江戸時代には膳所城主の崇敬が篤く、境内一町四方が除地とされたほか、城主戸田氏が神領三反を寄進し、以後も本多氏・菅沼氏・石川氏ら歴代の城主が神領を安堵した。明治9年(1876)に村社へ列格。現在の本殿は一間社流造で江戸時代中期の建築とされ、拝殿は入母屋造。正月の「おこない」と5月の例祭には特殊神饌が供えられる。境内社として八幡神社と春日神社が鎮座する。

所在地
滋賀県栗東市中沢1-11-15
御祭神
意富斗能地神、意富斗乃辨神
滋賀県開運

萱野神社

かやのじんじゃ

大津市大萱、JR瀬田駅のすぐ近くに鎮座する神社。かつては九帝王宮(九帝王社)、九大王社と呼ばれ、神紋は蓑亀を用いる。祭神は第九代・開化天皇(稚日本根子彦大日日天皇)で、九帝王大明神とも称される。社伝によれば、彦坐王命の四世にあたる治田連が淡海の国造としてこの地に住み、土地の開発と人々の暮らしの基盤を築いたのち、治田一族の遠祖である開化天皇の神霊をこの里の守護神として祀ったのが始まりで、雄略天皇6年(462年)のことと伝える。明治の神仏分離を経て、明治3年(1870年)に社号を現在の萱野神社と改めた。長寿・厄除・開運の信仰を集め、瀬田北地区の氏神として親しまれている。

所在地
滋賀県大津市大萱2丁目21-1
御祭神
開化天皇
奈良県開運

葛木倭文座天羽雷命神社

かつらきしとりにいますあめのはいかずちのみことじんじゃ

二上山の東麓、葛城市加守に鎮座する式内大社の論社。主祭神の天羽雷命は、機織や裁縫の技術を各地に伝えたとされる倭文(しとり)氏の祖神で、当社は全国の倭文神社の根本社と位置づけられてきた。創建年代は不詳だが、『日本三代実録』貞観元年(859年)に神階を授けられた記事が文献上の初出で、『延喜式』神名帳では大和国葛下郡の大社に列している。現在は一つの社殿に三社が相殿として祀られ、右殿には宮中の清掃を職掌とした掃守(かもり)氏の祖神・天忍人命を祀る掃守神社、左殿には二上山雄岳に本社を置く葛木二上神社の里宮として大国魂命を祀る。明治6年に村社に列し、明治40年には神饌幣帛料供進社に指定された。地元では通称「倭文神社」と呼ばれている。

所在地
奈良県葛城市加守1045
御祭神
天羽雷命、天忍人命
奈良県開運

金峯神社

きんぷじんじゃ

吉野山の最奥、奥千本に鎮座する古社で、金峯山の地主神とされる金山毘古命を祀る。創建の年代は明らかでないが、『延喜式』神名帳に名神大社として載る式内社で、旧社格は郷社。金峯山は黄金を蔵する山とする信仰があり、明治の神仏分離以前は金精明神と呼ばれていた。『栄花物語』には藤原道長が参詣したことが記され、中世以降は修験道の行場として重んじられた。社殿から少し下った場所には、源頼朝の追手から逃れた源義経が身を隠したと伝える義経隠れ塔があり、屋根を蹴破って逃げたという伝承から蹴抜の塔とも呼ばれる。平成16年(2004)にユネスコ世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部となった。

所在地
奈良県吉野郡吉野町吉野山1651
御祭神
金山毘古命
京都府開運

上御霊神社

かみごりょうじんじゃ

正式には御霊神社といい、京都御所の北、上京区上御霊竪町に鎮座する。下御霊神社に対して上御霊神社と通称される。延暦13年(794年)の平安遷都に際し、桓武天皇が非業の死を遂げた弟・早良親王(崇道天皇)の神霊をこの地に祀ったのが起こりと伝わる。以後、井上大皇后や他戸親王、橘逸勢、文屋宮田麻呂ら政争に倒れた人々の霊が加えられ、十三柱を祀るようになった。貞観5年(863年)には神泉苑で御霊会が営まれ、疫病を鎮める霊社として都人の厚い信仰を集めた。応仁元年(1467年)、畠山政長と畠山義就が境内の御霊の森で衝突したことから、応仁の乱の発端の地としても知られる。「こころしずめの社」と称され、厄除けや学業成就の祈願に訪れる人が多い。

所在地
京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地
御祭神
崇道天皇、井上大皇后
系統
御霊
三重県開運

官舎神社

かんしゃじんじゃ

延喜式神名帳に名を連ねる式内社で、もとは伊勢神宮の大宮司家である中臣氏の氏神であったと伝えられます。社伝では天平勝宝8年(756年)に、中臣氏の祖神を祀るため奈良の春日社を勧請したことに始まるとされます。延暦16年(797年)、伊勢へ下向する斎王らが滞在した離宮院の中に遷され、式内社「官舎神社」と称されるようになりました。戦国時代の戦乱で一度は荒廃しましたが、寛文3年(1663年)に再興されています。明治12年(1879年)に村社となり、翌年には小俣神社(八柱神社)を合祀、昭和19年(1944年)には県社へ昇格しました。離宮院にちなむ「離宮さん」の通称で親しまれ、旅の安全を願う「旅の宮」、漁業者が海上安全と大漁を祈る「大漁宮」としても信仰されています。

所在地
三重県伊勢市小俣町本町1446
御祭神
建御雷之男神、経津主神
京都府開運

菅大臣神社

かんだいじんじんじゃ

社地は菅原道真の邸宅であった紅梅殿・白梅殿と、学問所「菅家廊下」の跡と伝えられ、道真誕生の地ともされています。境内には産湯に用いたと伝わる井戸が保存されており、大宰府へ左遷される道真が「東風吹かばにほひおこせよ梅の花」と詠みかけた飛梅の地であるとも伝えられます。創建は道真の没後まもなくと伝えられますが、その後たびたび兵火にさらされ、鎌倉時代には南北二つの社に分かれました。応仁の乱によって荒廃したのち、慶長19年(1614年)に再興されています。現在の本殿は天保6年(1835年)に造られたもので、明治2年(1869年)に他所からこの地へ移築されたものです。学問の神として、また道真ゆかりの地として参拝者を集めています。

所在地
京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
御祭神
菅原道真公、尼神
系統
出雲
大阪府開運

鴨神社

かもじんじゃ

高槻市西部の赤大路町に鎮座する式内社の論社で、旧社格は村社。創建年代は不詳である。社伝では、この地に先住した鴨氏の一族が祖神を祀ったのが始まりで、のちに渡来系の三島氏が勢力を伸ばしたと伝える。『延喜式』神名帳にみえる摂津国島下郡の「三島鴨神社」について、『大阪府神社明細帳』の記述などから当社をこれにあてる説があり、同じ高槻市の三島江に鎮座する三島鴨神社とともに論社とされている。主祭神は山を司る大山積命で、ほかに伊弉諾尊・伊弉冉尊・鴨御祖大神を祀る。近隣の子安天満宮とあわせて管理されており、地鎮祭や初宮参り、七五三、安産、厄除といった祈祷を受け付けている。

所在地
大阪府高槻市赤大路町42-3
御祭神
大山積命、伊弉諾尊
系統
賀茂
滋賀県開運

日雲神社

ひくもじんじゃ

創祀年代は不詳。伊勢神道の五部書『倭姫命世記』が伝える元伊勢「甲可日雲宮」を起源とする社伝をもつ古社で、鎮座地の小字にちなみ古くは「上野山天神」「牧村天満宮」と呼ばれた。もとは牧・宮町・黄瀬の三村の氏神であったが、文政5年(1822)に宮町と黄瀬が氏子から離れ、以後は牧の氏神となった。別当寺の天徳寺は明治の神仏分離により廃された。明治9年(1876)に村社に列し、同18年(1885)に現在の社名へ改められた。祭神は天御中主神。本殿は三間社流造・檜皮葺で元禄4年(1691)の建造と伝わり、中世以来の近江の流造本殿の系譜を伝えるものとして国の登録有形文化財となっている。境内には嘉元4年(1306)の刻銘をもつ六角形石灯籠(甲賀市指定文化財)があり、参道を信楽高原鐵道の線路が横切る珍しい景観でも知られる。

所在地
滋賀県甲賀市信楽町牧75
御祭神
天御中主神
大阪府開運

聖神社

ひじりじんじゃ

和泉国三宮で、「信太明神」「篠田社」「信太聖社」とも呼ばれる式内社。祭神の聖大神は『古事記』に「聖神」と登場する大年神の御子神とされる。創祀については、白鳳3年(675年)8月15日に天武天皇の勅願により渡来系氏族の信太首が聖大神を祀ったとする伝承と、神武東征の際に瓊々杵尊が当地に祀られたとする伝承の二説がある。貞観元年(859年)に官社に列し、同年従四位下の神階を受けた。南北朝時代以降は大鳥神社・泉穴師神社・積川神社・日根神社とともに「五社大明神」と称された。天正3年(1575年)に織田信長から1100石を安堵されたが、同13年の豊臣秀吉の根来攻めで社殿を焼失。慶長9年(1604年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建した本殿と末社三神社・滝神社の本殿は国の重要文化財に指定されている。明治5年(1872年)に郷社、昭和18年(1943年)に府社となった。

所在地
大阪府和泉市王子町919
御祭神
聖大神
奈良県開運

平群神社

へぐりじんじゃ

創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には大和国平群郡に「平群神社五座 並大 月次新嘗」と記され、5座が式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かる社と定められた古社である。もとは古代豪族・平群氏の祖神を祀ったとされるが、5座の内訳は明らかでない。嘉吉元年(1441年)の『興福寺官務牒疏』には「平群大明神」と見え、近世には「春日大明神」と称された。境内には神宮寺として竜花山西宮密寺があったが、神仏分離により廃絶して社務所となっている。明治維新後は村社に列した。現在の祭神は大山祇神一柱で、本殿に向かって左の摂社には天照大神を祀る。俗に「西宮」と呼ばれ、城山の丘陵上の森の中に鎮座する。

所在地
奈良県生駒郡平群町西宮617
御祭神
大山祇神
奈良県開運

檜原神社

ひばらじんじゃ

三輪山の北西麓、山の辺の道沿いに鎮座する大神神社の摂社。社伝では、崇神天皇の御代に、それまで宮中に祀られていた天照大御神を皇女の豊鍬入姫命に託して倭笠縫邑に遷し、磯城神籬を立てて祀ったのが当社の始まりと伝え、「元伊勢」と呼ばれている。天照大御神はその後、永久の鎮座地を求めて各地を巡り、垂仁天皇の代に伊勢の五十鈴川上流に鎮まったとされ、これが伊勢神宮内宮の創祀と伝えられる。本殿も拝殿も設けず、三ツ鳥居(三輪鳥居)を通して御神座を拝するという、本社の大神神社と共通する古い祭祀の形を今に伝えている。『延喜式』神名帳の大和国城上郡「巻向坐若御魂神社」の論社ともされ、末社の豊鍬入姫宮には豊鍬入姫命を祀る。

所在地
奈良県桜井市三輪1422
御祭神
天照大神若御魂神、伊弉諾尊
三重県開運

波氐神社

はてじんじゃ

創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。

所在地
三重県津市一志町波瀬4248
御祭神
火雷神、安閑天皇
系統
出雲
滋賀県開運

波爾布神社

はにふじんじゃ

創祀年代は不詳。社伝では往古より水の神である彌都波能賣神を祀り、天平13年(741年)に阿波国那賀郡から波爾山比賣命を勧請したと伝える。『延喜式神名帳』に載る式内社で、木津荘の惣社として崇敬され、古くは土生大明神とも称された。現在の本殿は元和10年(寛永元年・1624年)の建立とされる大規模な三間社流造で、古式をよく残す新旭町最古の建築として知られる。明治初年の廃仏毀釈の際には高嶋神威隊の急進派によって多くの社宝が失われ、のちに旧郷社に列した。旧饗庭村と旧新儀村の一部を合わせた17地区の氏神として祀られている。平成30年(2018年)の台風では御神木が倒れて本殿が被害を受けたが、令和4年(2022年)春に復興を果たした。

所在地
滋賀県高島市新旭町饗庭3363
御祭神
波爾山比賣命、彌都波能賣神
奈良県開運

船山神社

ふなやまじんじゃ

創祀・由緒とも不詳ながら『延喜式』神名帳に記載される式内社で、旧社格は村社。『特選神名牒』は祭神を不詳とするが、明治12年(1879年)の神社明細帳には船山神と記される。旧社地は現在地の南西約200mにあったが、大正4年(1915年)ごろ旧安明寺村にあった春日神社へ遷り、その春日神社を船山神社として祀って現在に至る。本殿の右隣には天児屋根命を祀る春日社、左隣には天照大神を祀る大神社が並ぶ。磐座信仰を伝える古社で、拝殿脇には旧社地から移された陽石が据えられている。背後の矢田丘陵の中腹には、神が乗って天降ったという船石と伝わる三体の巨石があり、明治元年(1868年)にその付近に祀られていた船上神社を当社へ合祀したと伝えられる。

所在地
奈良県生駒郡平群町三里475
御祭神
船山神
大阪府開運

船待神社

ふなまちじんじや

もとは塩穴郷にあり、天穂日命を祀って塩穴天神社と称したと伝わる。延喜元年(901年)、大宰府へ下る途上の菅原道真が船を待つ間、遠祖にあたる天穂日命の祠に参拝し、松や榎を植えて旅立ったという伝承が残る。長保3年(1001年)、道真の子孫と伝わる菅原為紀がこの地を訪れて旧跡を調べ、朝廷に願い出て道真を合祀し、社号を船待天神社と改めた。その後、寛治年間(1087〜1094年)に塩穴郷から現在地の湊村へ遷座し、村の産土神として再建された。境内には琴平神社・春日神社・豊倉稲荷神社・瘡神社などの末社が並ぶ。

所在地
大阪府堺市堺区西湊町1丁2-18
御祭神
天穂日命、菅原道真公
三重県開運家内安全

倭姫宮

やまとひめのみや

倭姫宮は、天照大神の御杖代として諸国を巡り、伊勢の地に皇大神宮を定めた倭姫命を祀る神社。大正12年に皇大神宮別宮として創建され、神宮創祀に関わる倭姫命の功績を後世に伝えている。

所在地
三重県伊勢市楠部町字赤井谷5
御祭神
倭姫命
系統
伊勢・神明
三重県開運家内安全

月讀宮

つきよみのみや

月讀宮は、皇大神宮の別宮で、月讀尊・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮の四宮から成る。月讀尊は伊弉諾尊・伊弉冉尊の御子神と伝えられ、内宮別宮として古くから崇敬されてきた。

所在地
三重県伊勢市中村町742-1
御祭神
月讀尊
系統
伊勢・神明
滋賀県開運

近江神宮

おうみじんぐう

近江神宮は、天智天皇を祀る大津市の神社。天智天皇が近江大津宮で営んだ政治と文化の遺徳をたたえ、昭和15年に創建された。漏刻による時の制度にちなみ、時の神・かるたの聖地としても知られる。

所在地
滋賀県大津市神宮町1-1
御祭神
天智天皇

近畿に関連するご利益一覧

近畿の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。