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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中101-120件を表示しています。

大阪府開運

高須神社

たかすじんじゃ

堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門にゆかりの深い神社です。境内の案内板によれば、理右衛門は慶長14年(1609)に徳川家康の命を受け、国内で初めての鉄製大型大砲を鋳造しました。さらに慶長19年(1614)の大坂冬の陣に際しては短期間で多数の鉄砲を仕上げるよう命じられ、その功により元和元年(1615)に高須の地を与えられます。芝辻家は自家と堺の鉄砲鍛冶の繁栄を願い、この地に稲荷明神を勧請して当社を建てたと伝えられます。祭神は豊受大神・猿田彦命・大宮姫命・大物主命の四柱で、豊受大神が稲荷神と重ねて信仰されることから「高須のお稲荷さん」と呼ばれ親しまれてきました。社名は阪堺電気軌道の停留場名にも採られ、鉄砲鍛冶の町として栄えた堺北部の歴史を今に伝えています。

所在地
大阪府堺市堺区北半町東3-5
御祭神
豊受大神、猿田彦命
京都府開運

崇道神社

すどうじんじゃ

桓武天皇の弟・早良親王を祭神とする。親王は藤原種継暗殺事件に連座して廃太子となり、淡路へ配流される途上で没した。その後、都で疫病や近親者の不幸が相次いだことが親王の祟りとされ、鎮魂のために当社が創建されたと伝わる。創建年は詳らかでないが、御霊信仰が広まった貞観年間(859〜877)頃とされる。鎌倉から室町期にかけて周辺の廃絶した社を合わせ、上高野一帯の産土神となり、江戸時代には「高野御霊」と呼ばれた。明治41年(1908)には式内社・伊多太神社を境内へ遷座し、大正4年(1915)には出雲高野神社と小野神社を再興して合祀している。崇道天皇のみを祭神とする神社としては京都で唯一とされる。

所在地
京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
御祭神
早良親王(崇道天皇)
滋賀県開運

吉御子神社

よしみこじんじゃ

東海道石部宿の西に鎮座する式内社。社伝によれば第十代崇神天皇68年に石部山へ神が降り、垂仁天皇2年に宇加之彦の子である吉比古・吉比女の神を黒の御前に神籬を建てて祀り、谷黒乃御前大明神と称したという。嵯峨天皇の弘仁3年(812年)、山崩れによって現在の鎮座地へ移り、承平5年(935年)に吉比古・吉比女の神を末社から本社へ遷座して社号を吉御子神社と改めた。本殿は元治元年(1864年)に大破したため、京都の上賀茂神社の旧社殿を移築し、翌慶応元年(1865年)に遷座祭を執り行った。この本殿は国の重要文化財に指定されている。近隣の吉姫神社と対をなす社として知られる。

所在地
滋賀県湖南市石部西一丁目15-1
御祭神
吉彦命、鹿葦津姫命
兵庫県開運

清水神社

しみずじんじゃ

創建の年代は明らかでない。江戸時代の初めに、古くからこの地で祀られていた帝釈天と、他村から迎えた王子権現を合わせ祀ったのが始まりと伝えられ、近世を通じて王子権現宮と称された。主祭神は大己貴命で、顕宗天皇と仁賢天皇を配祀する。明治44年(1911)には元清水神社を合祀している。新田開発の進んだ魚住の地で村の鎮守として信仰され、田植えを終えた6月下旬には豊作を祈る「おくわはん」の神事が今も続けられている。この行事は江戸時代に始まったとされ、明石市の無形民俗文化財に指定されている。例祭は10月17日。現在は近隣の住吉神社が兼務している。

所在地
兵庫県明石市魚住町清水886
御祭神
大己貴命、顕宗天皇
系統
出雲
京都府開運

福王子神社

ふくおうじじんじゃ

光孝天皇の女御で宇多天皇の母である班子女王を祀る。昌泰3年(900年)に68歳で崩じた班子女王の陵墓が付近にあったことに由来し、多くの皇子皇女を生んだことから「福王子」の社名がついたとも伝える。前身は『延喜式』に名の見える深川神社とされるが、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468年)に焼失した。寛永21年(1644年)に徳川家光と仁和寺の覚深法親王によって社殿が再建され、以後は宇多天皇が開いた仁和寺の鎮守神、また近隣旧6か村の氏神として信仰されてきた。寛永再興の本殿・拝殿・鳥居は1973年に国の重要文化財に指定されている。境内には、氷室から宮中へ氷を運ぶ途中で命を落とした役夫の霊を慰める夫荒神社が末社として祀られている。

所在地
京都府京都市右京区宇多野福王子町58
御祭神
班子女王
滋賀県開運

三大神社

さんだいじんじゃ

創祀年代は不詳。社伝では天智天皇の御代に風の神である志那津彦命・志那津姫命を祀ったのが始まりで、のちに応徳年間(1084〜1087年)に大宅公主命が合祀されたと伝える。『延喜式神名帳』にみえる伊冨伎神社の論社の一つ。明治に入って現在の社号に改められ、明治9年に村社に列した。本殿の傍らに立つ高さ約2メートルの六角石燈籠は正応4年の刻銘をもち、鎌倉時代の石造美術を代表する作として国の重要文化財に指定されている。境内の藤は樹齢400年を超える古木で、花穂が地面を擦るほど長く伸びることから「砂擦りの藤」と呼ばれ、滋賀県指定自然記念物および草津市指定天然記念物となっている。

所在地
滋賀県草津市志那町309
御祭神
志那津彦命、志那津姫命
滋賀県開運家内安全

坂田神明宮

さかたしんめいぐう

滋賀県米原市宇賀野に鎮座し、内宮に天照皇大神、外宮に豊受毘売命を祀る。社伝によれば垂仁天皇8年、天照大神を淡海の甲可日雲宮からこの地へ遷して2年間奉斎したとされ、その御分霊を祀る旧社として古くは坂田宮・坂田大神宮とも称され、坂田郡の総社として信仰を集めた。大神の鎮座地を求めて諸国を巡った倭姫命の神徳を偲び、倭姫命を祀ったことが当宮の起源とも伝えられる。江戸時代には彦根藩井伊家の崇敬が篤く、享保18年(1733)に藩主井伊直惟が社殿を造営して神殿を寄進、以後も社殿修復の費用が献じられ、奥方からは鏡・絵馬・石燈籠などが奉献された。明治14年(1881)に郷社、昭和20年(1945)に県社へ列した。社宝として後陽成天皇宸筆の御神号懸軸(重要文化財)を伝える。

所在地
滋賀県米原市宇賀野835-2
御祭神
天照皇大神、豊受毘売命
系統
伊勢・神明
三重県開運

志氐神社

しでじんじゃ

四日市市羽津の氏神で、罪・穢れを祓い去る祓戸四神の一柱である気吹戸主神を主祭神とし、伊邪那岐命・伊邪那美命ほか九柱を合わせ祀る。社伝では垂仁天皇の御代の鎮座と伝え、古くは「高野御前」と称した。壬申の乱の際、のちの天武天皇が吉野から桑名へ向かう途次、迹太川のほとりで伊勢の皇大神宮を遥拝し、その際に「シデ」(御幣)を垂らして禊祓いを行ったことから「志氐」の名が起こり社名になったと伝わる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に載る式内社で、明治維新までは羽津・吉沢・別名・八幡・鵤の各村の総社とされた。明治6年に郷社、明治39年に神饌幣帛料供進社と定められ、明治40年以降は白須賀の神明社・住吉社、八幡の八幡神社、別名の長谷神社・荒神社など周辺各字の神社を合祀した。昭和6年には県社に列している。

所在地
三重県四日市市大宮町14-6
御祭神
気吹戸主神、伊邪那岐命
大阪府勝負運厄除け

澤田八幡神社

さわだはちまんじんじゃ

藤井寺市沢田に鎮座する旧村社で、祭神は品陀和気命(応神天皇)。江戸時代初期に、近隣の誉田八幡宮から八幡神を勧請したものと伝わる。太閤検地によって沢田村が誉田八幡宮の神領となり、のちにその神領が隣接する古室村へ配置換えされた際、村人たちの意思で改めて八幡神を迎えたのが始まりとされる。拝殿には明暦元年(1655年)11月付の棟札が残り、旧地から一町ほど西の現在地へ遷宮したことが記されている。安永6年(1777年)付の棟札もあり、江戸期に複数回の造替が行われたことがわかる。明治5年(1872年)に村社に列格した。1922年(大正11年)に開通した近鉄南大阪線が町中を避けて敷設された結果、線路が参道を横切ることになり、境内に踏切がある神社として広く知られている。

所在地
大阪府藤井寺市沢田4丁目2-3
御祭神
品陀和気命
系統
八幡
大阪府開運

狭山神社

さやまじんじゃ

狭山池の北東の高台に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建年代は不詳だが、社伝では崇神天皇の勅願により、狭山池が築かれるより前から祀られていたと伝える。『延喜式』神名帳には、現在は境内に合祀されている狭山堤神社とともに、河内国丹比郡の大社として記載されている。南北朝時代にはこの一帯が南北両軍の争う地となって社殿がたびたび兵火にかかり、現在の本殿は室町時代中期、明応2年(1493年)ごろの再建と推定されている。室町期から江戸期にかけては牛頭天王社とも称した。主祭神は天照大神と素盞嗚命で、狭山連の祖神とされる臣狭山命や天児屋根命を配祀し、明治の神社合祀により大山祇神・稲田姫命なども合わせ祀る。狭山郷の鎮守として今も崇敬を集めている。

所在地
大阪府大阪狭山市半田1丁目223
御祭神
天照大神、素盞嗚命
奈良県開運

丹生川上神社下社

にうかわかみじんじゃしもしゃ

吉野の山あいに鎮座する、水を司る闇龗神(くらおかみのかみ)を祀る古社。社伝では天武天皇の白鳳4年(675年)、「人の声の聞こえない深山に社殿を建てて祀れば、天下のために雨を降らせ、長雨を止めよう」という神託を受けて創建されたと伝える。『延喜式』神名帳の名神大社「丹生川上神社」および二十二社(下八社)の論社で、朝廷は日照りには黒馬、長雨には白馬を奉って祈願した。この馬の奉献が絵馬の起こりになったとも語り伝えられている。明治4年に官幣大社丹生川上神社と定められたが、その後に鎮座地をめぐる議論を経て上社・中社が加わり、現在は三社が並立していずれも神社本庁の別表神社となっている。祭神は大正時代に高龗神から闇龗神へ改められた。

所在地
奈良県吉野郡下市町長谷1-1
御祭神
闇龗神
系統
丹生
三重県開運

能褒野神社

のぼのじんじゃ

日本武尊を主祭神とし、妃の弟橘姫命と子の建貝児王を配祀する。古事記・日本書紀は、東国平定の帰路に伊吹山の神の怒りに触れて病に倒れた日本武尊が、この能褒野の地で亡くなったと伝える。明治12年(1879)、内務省が丁子塚(能褒野王塚古墳)を日本武尊の陵墓「能褒野墓」と治定したことを受け、その傍らに神社を創建する動きが起こった。明治16年(1883)に社号が定められ、翌17年に創建の許可を得て、明治28年(1895)に社殿が竣工し鎮座祭が営まれた。明治42年(1909)には配祀神を加え、近隣約40社を合祀して村社に列格。大正14年(1925)に県社へ昇格した。隣接する能褒野王塚古墳は墳丘長約90m、後円部の高さ約8.5mで、伊勢北部地方では最大規模の前方後円墳である。

所在地
三重県亀山市田村町1409
御祭神
日本武尊、弟橘姫命
兵庫県学業成就

西天神社

にしてんじんじゃ

兵庫県伊丹市昆陽北に鎮座し、伊弉諾尊を主祭神、伊弉冊尊を配祀神として祀る。創立年代は明らかでないが、明治6年(1873)に村社へ列格したことが記録されている。国道171号に沿った一帯、住友電工の西側に広がる社叢の中に鎮座する。同じ昆陽の地には東天神社(伊丹市昆陽4-1)も鎮座しており、いずれも兵庫県神社庁の包括神社として登録されている。

所在地
兵庫県伊丹市昆陽北1-128
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
系統
天神
大阪府開運

錦織神社

にしこおりじんじゃ

創建年代は不詳だが、昭和10年(1935)の本殿修理の際に平安時代中期の瓦が発見され、その頃までさかのぼる古社と考えられている。錦織という地名は、百済から渡来した人々が綾織・錦織の技術を伝えて朝廷に献じたことに由来するとされ、当社もその一族の氏神として祀られたと伝わる。大和川支流の石川の谷に位置することから、建水分神社・美具久留御魂神社とともに河内国の三水分社の一つに数えられ、古くは『水郡神社』とも呼ばれた。現在の本殿は正平18年(1363)に三善貞行が再建したもので、総檜皮葺・漆塗り、丸みを帯びた唐破風の上に三角形の千鳥破風を載せた装飾性の高い建築として知られる。本殿と摂社天神社本殿・摂社春日社本殿の3棟が国の重要文化財に指定されている。明治40年(1907)に現在の社名へ改称された。

所在地
大阪府富田林市宮甲田町9-46
御祭神
建速素戔嗚命、品陀別命
京都府開運

向日神社

むこうじんじゃ

向日山に鎮座していた「向神社(上ノ社)」と「火雷神社(下ノ社)」を起源とし、いずれも延喜式神名帳に載る古社である。社伝では養老2年(718)に向神社が現在地へ鎮座したとされ、火雷神社は継体天皇の頃の創建と伝わる。建治元年(1275)に両社が合わせ祀られ、現在の向日神社となった。本殿は応永29年(1422)の再建で、室町時代の三間社流造を代表する建築として国の重要文化財に指定されており、明治神宮本殿の設計に際して参考にされたと伝えられる。本殿の覆屋や幣殿、拝殿、境内の門や摂末社など多数の建物も国の登録有形文化財となっている。地元では「明神さん」の名で親しまれている。

所在地
京都府向日市向日町北山65
御祭神
向日神、火雷大神
滋賀県開運

水尾神社

みおじんじゃ

『延喜式神名帳』の「水尾神社二座(近江国・高島郡)」に比定される式内社で、高島郡では唯一の名神大社。創祀年代は不詳だが、天平神護元年(765年)にはすでに存在した記録がある。社伝によれば、垂仁天皇の皇子で三尾君の祖とされる磐衝別命が猿田彦命の天成神道を学ぶため当地に来住し、朝夕に三尾大明神を遥拝したことから、この地を「拝戸」と称するようになったという。その子の磐城別王が父を三尾山に葬り、磐衝別命を祀る河南社(現在の社地)を創建したと伝える。もう一座の比咩神は継体天皇の母である振姫にあてられ、もとは水尾川を隔てた河北社に祀られていたが、昭和46年(1971年)の台風で社殿が倒壊したため現社地へ遷座した。旧県社。

所在地
滋賀県高島市拝戸716
御祭神
磐衝別命、比咩神
兵庫県開運

御厨神社

みくりやじんじゃ

創立の年月は火災で記録を失い不詳。社伝によれば、神功皇后が西征の途中に二見浦へ船を寄せて船子を集め兵糧を調えた際、土地の人々が食物を献じたことに由来し、神饌を調える場所を意味する「御厨」が社名になったと伝える。伊勢神宮の御厨(荘園)であったとする説もある。貞観年間(859〜877)に八幡宮を勧請し、延喜元年(901)に大宰府へ左遷される途上の菅原道真が船を二見浦へ寄せて社地に上陸したという所縁から、寛和年間(985〜987)に天満宮を勧請したと伝わる。長暦年間(1037〜1040)に現在地の「卯の花の森」へ遷り、以後は誉田別命・菅原道真・素盞嗚命の三座を相殿に祀る。道真が一夜を明かしたという「仮寝の岡」の伝承が残り、船頭や回船業者など海運関係者の信仰も集めてきた。境内には紅梅・白梅があり、紅梅は2月上旬から中旬、白梅は2月中旬から3月上旬に見頃を迎える。

所在地
兵庫県明石市二見町東二見1323
御祭神
誉田別命(応神天皇)、菅原道真
大阪府開運

美具久留御魂神社

みぐくるみたまじんじゃ

『延喜式』神名帳に河内国石川郡の式内社として載る古社で、旧社格は郷社。社伝では崇神天皇10年、この地に五彩の大蛇が現れたのを大国主命の荒御魂の現れとみて祀ったのが始まりとされ、のちに丹波からの神懸かりによって「美具久留御魂」の神名を贈られたと伝える。『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)12月の条には「河内国和爾神の階を進め、従五位上を加う」とあり、当社は和爾神社の別名でも呼ばれてきた。本殿には五座を祀り、中央に美具久留御魂神、左に天水分神・弥都波廼売命、右に国水分神・須勢理比売命を配して、水を司る神への信仰を伝えている。羽曳野丘陵の東斜面中腹、標高約103メートルの地に鎮座し、富田林市の文化財解説では「下水分(しもすいぶん)神社」の通称でも紹介されている。

所在地
大阪府富田林市宮町3丁目2053
御祭神
美具久留御魂大神、天水分神
兵庫県開運

舞子六神社

まいころくじんじゃ

創建の詳しい経緯は記録の散逸により不明だが、社に伝わる神具の銘から元禄2年(1689年)にはすでに祀られていたことが分かる。江戸時代前期から中葉にかけて、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神を祀ったのが創始とされる。明治初年の神仏分離令により明神号が廃されて六社神社となり、明治7年(1874年)2月に現在の社名である舞子六神社と改称した。明治10年(1877年)には落雷による火災で社殿を焼失し、のちに再建されている。明石海峡を望む高台に鎮座し、「まいこむの宮」の呼び名でも親しまれている。

所在地
兵庫県神戸市垂水区西舞子1丁目5-7
御祭神
伊邪那岐大神、伊邪那美大神
大阪府開運

小松神社

こまつじんじゃ

正式名称は小松神社だが「星田妙見宮」の名で広く知られる。創建は平安時代の弘仁年間(810〜824年)と伝わり、弘法大師空海が交野を訪れて獅子窟寺で秘法を唱えた際、天上から七曜の星(北斗七星)が交野の三か所に分かれて降ったという降星伝説を起源とする。その一つが落ちたとされる地が当社で、大師自ら妙見を祀ったのが始まりという。江戸時代までは仏教では北辰妙見大菩薩、陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神として信仰され、明治の神仏分離を経て天之御中主大神ほかを祭神とするようになった。御神体は影向石と呼ばれる巨岩で、織女石(たなばたせき)とも呼ばれ、古代の磐座信仰の名残とされる。平成28年(2016年)には鎮座1200年の奉祝大祭が営まれた。

所在地
大阪府交野市星田9丁目60-1
御祭神
天之御中主大神、高皇産霊大神

近畿に関連するご利益一覧

近畿の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。