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九州の神社一覧

九州の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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九州の神社一覧

125件中21-40件を表示しています。

長崎県勝負運厄除け

厳原八幡宮神社

いずはらはちまんぐうじんじゃ

長崎県対馬市厳原の中心部、清水山の麓に鎮座する古社で、対馬国一宮の論社とされる。応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・姫大神・武内宿禰の五柱を祀る。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ登り、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を供えて天神地祇を祀り、異国の侵入からこの地を守るよう祈ったことに始まると伝える。のち天武天皇6年(677年)に勅命によって山麓に社殿が造営され、八幡神が祀られたという。中世以降は対馬を治めた宗氏をはじめ島民の崇敬を広く集め、近代には明治7年(1874年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列格した。旧暦8月15日を本祭とする古式大祭では、宮司や氏子らが長い行列を組み、神輿とともに厳原港を目指して練り歩く神幸式(おさがり)が行われ、前夜祭・本祭ともに浦安の舞と命婦の舞が奉納される。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
宮崎県勝負運開運

白鳥神社

しらとりじんじゃ

平安時代中期の天徳3年(959年)創建と伝わる。霧島山で修行していた性空上人の前に日本武尊が現れ、「私は今白鳥になっているが、この地に祀ってほしい」と告げたという伝説にちなみ、白鳥山の北面に「白鳥権現社」として建てられた。室町時代初期に社殿が現在地へ移され、文化6年(1809年)の火災で焼失したのち現在の本殿が再建された。この一帯は景行天皇や日本武尊の伝説の地とされ、島津家代々の崇敬を受けて武運祈願の参詣が重ねられたと伝わる。明治の廃仏毀釈までは金剛乗院満足寺を別当寺とする神仏習合の社であった。元禄16年(1703年)には境内で長さ23.5mのアカマツ2本が伐り出され、翌宝永元年から9か月をかけて奈良・東大寺へ運ばれ大虹梁に用いられたという歴史も持つ。諸建造物は昭和45年2月20日にえびの市指定有形文化財となっている。

所在地
宮崎県えびの市大字末永1479
御祭神
日本武尊
系統
熱田
大分県勝負運厄除け

薦神社

こもじんじゃ

別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。

所在地
大分県中津市大字大貞209
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
宮崎県開運家内安全

天岩戸神社

あまのいわとじんじゃ

宮崎県高千穂町岩戸に鎮座し、天照皇大神が弟・素盞鳴尊を避けてこもったと『古事記』『日本書紀』が伝える天岩戸そのものを御神体として祀る。岩戸川の渓谷を挟んで西本宮と東本宮が向かい合い、西本宮は大日霎尊(天照皇大神の別称)を、東本宮は天照皇大神を祀る。西本宮の社殿背後の断崖中腹に御窟があり、古くからその神域を御神体として拝してきた。東本宮に伝わる昌泰年間の記録には、天照皇大神が岩戸から出た際、思兼神がその手を取って当地に造営した社殿へ鎮まるよう願ったと記される。弘仁の頃には三田井氏の遠祖・大神大太惟基が荒廃した社殿を再興したと伝わる。約500m上流には八百萬神が集って相談したという天安河原があり、間口40m・奥行30mの大洞窟「仰慕窟」に願をかける信仰が全国に広がっている。

所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1
御祭神
(西本宮)大日孁尊、(東本宮)天照皇大神
系統
伊勢・神明
大分県開運

弥栄神社

やさかじんじゃ

大分市の上野丘に鎮座する旧県社。社伝では宝亀2年(771年)、豊後国府にほど近い岩屋寺の境内に祀られたのが起こりとされる。鎌倉時代には豊後を治めた大友氏の初代・能直が国中の疫病退散を願って京都の祇園社を勧請したと伝わり、以後は大友氏の厚い崇敬を受けた。天正14年(1586年)の島津軍による府内侵攻で社殿を焼失したが、元和4年(1618年)に府内藩主・竹中重義が現在地へ移して再建している。江戸期を通じて祇園社(祇園宮)と呼ばれ、明治の神仏分離を経て弥栄神社と改称。明治6年(1873年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列した。寛永年間の建立と伝わる楼門が今も残る。

所在地
大分県大分市上野丘738
御祭神
素盞嗚尊、大己貴命
系統
出雲
宮崎県開運

榎原神社

よわらじんじゃ

日南海岸に近い榎原の地に鎮座する旧県社。万治元年(1658年)、飫肥藩3代藩主の伊東祐久が、神女として崇められた内田万寿姫の進言を受け、鵜戸神宮の分霊を勧請して地福寺の境内に創建したと伝える。もとは榎原大権現と称し、飫肥藩の鎮守として厚い保護を受けた。明治元年に榎原神社と改称し、同6年に郷社、昭和5年に県社へ昇格している。朱塗りの本殿は複雑に入り組んだ屋根を持つ八ツ棟造で、宮崎県内では唯一の遺構とされ、鐘楼や楼門とともに県の有形文化財に指定されている。神仏習合の名残を色濃くとどめる境内には、万寿姫を祀る摂社の桜井神社があり、縁結びを願う参拝者が訪れる。主祭神の天照大神のほか、天忍穂耳命・彦火瓊瓊杵命など皇統系の神々を祀り、大己貴命などを配祀する。

所在地
宮崎県日南市南郷町榎原甲1134-4
御祭神
天照大神、天忍穂耳命
福岡県開運

戸明神社

とあけじんじゃ

天岩戸神話で岩戸開きに力を尽くした天手力雄大神と天児屋根大神を主祭神とする神社です。創建の年代は明らかではありませんが、天文5年(1536年)に記された社記に、もとは岩屋と柏原の間の「戸明浜」に厳めしい社殿を構えていたものを享禄年間(1528〜1532年)に現在地へ移したと伝えられており、遅くとも室町時代後期には当地に鎮座していたことがわかります。若松区西部一帯の広い氏子区域を持ち、安屋・有毛・大鳥居・高須に鎮座する戸明神社の本宮であるとともに、稲国・岩屋・脇田・竹並・払川・塩屋・小敷などに鎮座する産土神社の総社として古くから崇敬されてきました。社号の「戸明」は、天岩戸が開かれた神話にちなむものです。

所在地
福岡県北九州市若松区蜑住974
御祭神
天手力雄大神、天児屋根大神
佐賀県開運

須賀神社

すがじんじゃ

小城市街の北、標高約90メートルの城山の西斜面に鎮座する旧県社で、地元では「祇園さん」の名で親しまれている。社伝では桓武天皇の延暦22年(803年)の創建と伝え、当初は「清祠」と称して肥前国の佐賀・杵島・小城三郡の宗廟として栄えたと古記にある。鎌倉時代、幕府の命により下総国から下向した肥前千葉氏が山城国の祇園社(現在の八坂神社)の分霊を勧請して「祇園社」となり、山上に築かれた千葉城(牛頭城・祇園城)の守護神として歴代城主が篤く奉斎した。戦国期に千葉氏が東西に分裂して衰え、天文15年(1546年)の合戦で城と城下町は焼失したが、代わって当地を領した龍造寺隆信が社地・社領を寄進し、天正18年(1590年)には鍋島直茂が本殿を再建した。江戸時代は小城藩主の崇敬を受け、明治期に須賀神社と改称、大正13年(1924年)に県社へ列格した。麓の神門から社殿までは153段の急な石段が一直線に延び、途中には肥前鳥居が立つ。

所在地
佐賀県小城市小城町松尾3594
御祭神
健速須佐之男大神、櫛稲田姫大神
熊本県開運

宮原三神宮

みやはらさんじんぐう

八代平野の北部、氷川町宮原に鎮座する旧郷社。伊勢神宮内宮の天照皇大神、近江日吉社の国常立尊、山城下鴨社の神武天皇の三神を祀ることから三神宮と称する。社伝では平治元年(1159年)、二条天皇の勅命を受けた平重盛が平盛俊に命じて社殿の造営を始め、応保元年(1161年)に落成、盛俊の弟盛房が社司となって神霊を勧請したと伝え、当初は三宮社と呼ばれた。天正16年(1588年)にキリシタン大名小西行長の焼き討ちで社殿を失うが、慶長年間に加藤清正によって復興され、その後は細川氏の保護を受けた。現在の社殿は天保10年(1839年)の造営である。明治の神仏分離により別当の神蔵寺を廃して社号を宮原三神宮と改め、八代北部一帯の総鎮守として崇敬されてきた。

所在地
熊本県八代郡氷川町宮原491
御祭神
天照皇大神、国常立尊
鹿児島県開運

宮浦宮

みやうらぐう

延喜式神名帳に名を連ねる大隅国の式内社で、神武天皇に天神七代・地神五代を合わせた計18柱を祀ります。宝暦2年(1752年)に正一位の神階を授けられ、「正一位宮浦大明神」の勅額が掲げられたと伝えられますが、それ以前の詳しい沿革は明らかになっていません。寛政3年(1791年)、桜島の噴火に伴う大火で社殿を焼失し、薩摩藩主の島津斉宣によって再興されました。明治6年(1873年)に県社に列格し、明治10年(1877年)の西南戦争でも被害を受けています。本殿の前には南北に分かれて2本の大イチョウがそびえ、「福山の夫婦イチョウ」として昭和39年(1964年)に鹿児島県の天然記念物に指定されました。樹齢は千年を数えるとも伝えられ、晩秋の黄葉の時期には多くの人が訪れます。

所在地
鹿児島県霧島市福山町福山2437
御祭神
神武天皇、天神七代
熊本県開運

松井神社

まついじんじゃ

肥後細川家の筆頭家老を務めた松井家の初代・松井康之と、八代城主となった二代・興長を祀ります。明治14年(1881年)、松井家の旧家臣団やゆかりの人々によって創建された比較的新しい神社で、旧社格は郷社です。境内地はもと八代城の北の丸にあたり、元和8年(1622年)に加藤正方が母・妙慶禅尼の隠居所を建てた場所でした。加藤家改易後は茶人としても知られる細川忠興(三斎)の居所となって庭園が整えられ、興長が八代城主に任じられてからは松井家代々の居館が置かれています。境内の茶庭と心字池は市指定史跡で、忠興手植えと伝わる臥龍梅は熊本県指定天然記念物。枝が竜の臥す姿のように曲がりくねることからこの名があり、2月下旬から3月初めにかけて淡紅色の八重の花を咲かせます。

所在地
熊本県八代市北の丸町2-18
御祭神
松井康之、松井興長
熊本県開運

松橋神社

まつばせじんじゃ

松橋熊野宮、松橋権現社とも呼ばれる熊野系の社。創建については、永承4年(1049)に勅を受けて勧請されたとする伝えと、社家である下田家の祖・下田伊予守惟勝が夢のお告げを受けて熊野権現を勧請したとする伝えの二つが残る。室町時代には宇土城主の菊池氏や名和氏から寄進・保護を受けた。慶長4年(1599)、キリシタン大名・小西行長により社殿が焼き討ちに遭ったため神体を山中へ避難させ、加藤清正の時代になって現在地に復興したと伝えられる。旧社格は村社。境内には推定樹齢700〜800年とされる大楠がそびえ、恵比須社・天神社・水神社の石祠が末社として祀られている。

所在地
熊本県宇城市松橋町松橋1218
御祭神
伊邪那美命、事解男命
宮崎県開運

槵觸神社

くしふるじんじゃ

『古事記』が天孫降臨の地として記す「筑紫日向高千穂之久士布流多気」に比定される槵觸の峰に鎮座します。古くは峰そのものを御神体とし社殿を設けない祭祀が行われていましたが、元禄7年(1694年)に社殿が建立されました。創建当初は天児屋根命を「槵觸大明神」として祀っていたと伝えられ、明治期の改称を経て現在の社号となりました。現在は瓊々杵尊を主神に、天児屋根命・天太玉命・経津主命・武甕槌命の5柱を祀ります。旧社格は県社。周辺には四皇子峰や高天原遥拝所など神話にまつわる伝承地が点在し、遊歩道で結ばれた高千穂の神話めぐりの中心的な一社となっています。

所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713
御祭神
瓊々杵尊、天児屋根命
福岡県開運

葛城神社妙見宮

かつらぎじんじゃみょうけんぐう

承保3年(1076)、葛城山の天降(あまふり)の峰に向かって三つの大きな星が光を放ちながら降るのを村人が目にし、その場所へ行くと光り輝く童子が現れて「妙見三神を祀る三殿の祠を建てて崇めれば郷里は栄え五穀は豊かに実る」と告げたため、人々が力を合わせて葛城山上に祠を建てたのが創建と伝わる。祀るのは天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神の妙見三神で、北極星・北斗七星を神格化した妙見信仰の社である。永保2年(1082)に大干ばつが起きた際、神主が雨乞いの祈祷を行うと大雨が降り、その返礼に神楽を舞ったことが「岩丸神楽」の起こりとされ、現在は築上町の無形民俗文化財として伝えられている。鎮座から900年以上を数える、周防灘に面した築上の地の古社である。

所在地
福岡県築上郡築上町奈古111
御祭神
天之御中主神、高皇産霊神
大分県開運

日田神社

ひたじんじゃ

平安時代後期の武人・大蔵永季(おおくらながすえ)を祀る神社。永季は「鬼蔵大夫」の異名を持つ怪力の持ち主で、延久3年(1071)の相撲節会に召し出されて以降、宮中の節会で負けなしだったと伝えられ、地元では「日田殿(ひたどん)」の愛称で親しまれた。この故事から相撲の神として崇敬を集めている。日田市観光協会の案内では、初代日田郡司とされる大蔵永弘もあわせて祀るとされる。日田市城町に鎮座するが、創建年は明らかになっていない。

所在地
大分県日田市城町2-4
御祭神
大蔵永季、大蔵永弘
長崎県勝負運厄除け

八幡宮神社

はちまんぐうじんじゃ

対馬の中心・厳原の清水山麓に鎮座する対馬国一宮の論社で、旧県社。正式な社名は「八幡宮神社」で「厳原」の地名は入らないが、他所の八幡宮と区別するため「厳原八幡宮」とも呼ばれ、楼門にかかる扁額も「八幡宮神社」と記す。社伝では、神功皇后が三韓征伐からの帰途に清水山へ行啓し、神霊の宿る山として山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったのが起こりとされる。677年(天武天皇6年)、天武天皇の勅命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのが創建と伝わる。上県郡の上津八幡宮(現在の海神神社)に対して当社は下津八幡宮と並び称され、戦国時代頃からは府中八幡宮と呼ばれるようになった。1871年(明治4年)に式内名神大社「和多都美神社」に比定されて改称したことがあったが、1890年(明治23年)に元の八幡宮へ戻している。1874年(明治7年)に郷社、1916年(大正5年)に県社へ昇格した。

所在地
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645-1
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
鹿児島県開運

波留南方神社

はるみなみかたじんじゃ

正式名称は南方神社で、鎮座地の地名から波留南方神社とも呼ばれる。信濃の諏訪大社の流れをくむ諏訪系の社で、地元では「お諏訪様」と通称される。社伝では、阿久根5代領主の莫祢兵衛尉成友が、旧領である薩摩国高江郷雲田に鎮座していた諏訪社を暦応年間(1338〜1342年)にこの地へ勧請したのが始まりとされ、かつて神領は1町5反に及んだという。莫祢院司系の平兼次が大願主となって長禄2年(1458年)卯月17日銘の神鏡を寄進したと伝え、『阿久根市誌』によれば再興の棟札には天文16年(1547年)の年紀が記されている。明治に社名を諏訪から南方へ改めた。旧社格は無格社。

所在地
鹿児島県阿久根市波留3096
御祭神
建御名方命
熊本県開運

若宮神社

わかみやじんじゃ

永暦元年(1160)、当時の領主であった阿蘇大宮司惟恭が、阿蘇の神である健磐龍命の分霊を池田村亀ノ甲の地に勧請し、領内鎮護の神として創建したと伝わる。祭神は健磐龍命・国龍命・若彦神の三柱。天正19年(1591)に小西行長の兵火で社殿を焼失し、長い仮殿での奉斎を経て延宝6年(1678)に現在の片平の地へ遷宮・再建された。明治6年(1873)に郷社に列格。江戸時代前期の様式を残す楼門と狛犬は美里町指定文化財で、境内のイチョウは「ふるさと熊本の樹木」に登録されている。平成22年(2010)には鎮座850年を記念する式年祭が執り行われた。

所在地
熊本県下益城郡美里町馬場605
御祭神
健磐龍命、国龍命
熊本県縁結び

浮島神社

うきしまじんじゃ

長保3年(1001)、領主井王家三代の井王三郎直久が夢のお告げに従って屋敷の北を掘ったところ、黄金色の兜のような岩とともに水が湧き出して「神ノ池」となり、熊野の神を祀ったのが始まりと伝わる。正式には浮島熊野坐神社と称する。祭神は日本で最初に夫婦の契りを交わしたとされる伊邪那岐命・伊邪那美命の夫婦神で、安産・厄除け・縁結びの社として信仰を集める。どんな大雨や洪水に見舞われても社殿が水面に浮かんでいるように見えたことが「浮島」の名の由来。創建以来、井王家が42代にわたって神主を継承している。社殿を囲む池には阿蘇の伏流水が日々約13万トン湧き出し、アニメ「夏目友人帳」のオープニングに登場したことでも知られる。

所在地
熊本県上益城郡嘉島町井寺2827
御祭神
イザナギの尊、イザナミの尊の夫婦神
宮崎県開運

高千穂神社

たかちほじんじゃ

社伝では垂仁天皇の時代、約1900年前の創建と伝わる古社で、高千穂郷八十八社の総社とされる。御祭神は日向三代の皇神とその配偶神を祀る高千穂皇神と、三毛入野命をはじめとする十社大明神。本殿と鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されている。古くから農産業・厄祓・縁結びの神として信仰を集め、夫婦円満のご利益でも知られる。夜には境内の神楽殿で高千穂の夜神楽が奉納されるなど、神話の里・高千穂の信仰の中心となっている。

所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037番地
御祭神
高千穂皇神、十社大明神

九州に関連するご利益一覧

九州の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。