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近畿の神社一覧

近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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近畿の神社一覧

394件中61-80件を表示しています。

和歌山県勝負運厄除け

広八幡神社

ひろはちまんじんじゃ

和歌山県有田郡広川町に鎮座する八幡宮で、社伝では欽明天皇の御代に河内国の誉田八幡宮から勧請されたと伝える。御祭神は誉田別命・足仲津彦命・気長足姫命。神功皇后が三韓征伐の帰途に有田の広村へ行幸したという縁起を持つ。室町時代初期の応永年間に土豪の梅本覚言が現在地へ遷宮したと記録され、摂社の棟札から応永20年(1413年)頃の造営が推定されている。天正年間の豊臣氏による紀州征伐で一部を焼失したが、江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受けて興隆した。本殿や楼門など複数の建物が国の重要文化財に指定されている。安政の津波の際には濱口梧陵が村人とともに逃れた避難場所となり、「稲むらの火」の舞台として知られる。境内には勝海舟が撰文と題額を手がけた濱口梧陵碑が立つ。

系統
八幡
奈良県商売繁盛金運

御霊神社

ごりょうじんじゃ

公式サイトの由緒によれば、延暦19年(800年)に桓武天皇の勅命で創祀された勅願社。奈良時代に無実の罪を着せられて薨去した井上内親王(光仁天皇の皇后)と御子の他戸親王の霊を慰め、都に流行した疫病の侵入を防ぐため、街道沿いの防疫施設として造営された井上御霊社が前身とされる。本殿に井上皇后と他戸親王、東西の社殿に早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊予親王・橘逸勢・文屋宮田麻呂を祀り、あわせて八所御霊大神と称する。宝徳3年(1451年)の土一揆で元興寺の金堂以下主要堂宇が焼失したのち現在地へ遷座し、元興寺の鎮守社として広く信仰を集めた。豊臣秀吉の時代以降は氏子地域70余町を守護する氏神として、ならまち一帯の信仰を担ってきた。

所在地
奈良県奈良市薬師堂町24
御祭神
井上皇后、他戸親王
系統
恵比寿
滋賀県厄除け開運

鉛練比古神社

えれひこじんじゃ

滋賀県長浜市余呉町中之郷に鎮座する、余呉のなかでも古い歴史と格式をもつとされる神社。現在の主祭神は大山咋大神だが、余呉観光ガイドの解説によれば、もとは天日槍を祀る神社として創建されたと伝える。天日槍は『古事記』に新羅の王子・天之日矛として登場する神で、当社では天日槍が坂口の山を崩して余呉の平野を開拓したと伝えられている。神社の周辺には「日槍屋敷」という地名や、日槍塚と呼ばれる古墳が残り、開拓伝承が地名や遺構として今も土地に刻まれている。

所在地
滋賀県長浜市余呉町中之郷108
御祭神
大山咋神
系統
日吉
三重県商売繁盛金運

大津神社

おおつじんじゃ

伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の末社の一社。外宮には末社が八社あり、そのひとつにあたる。祭神は葦原神。伊勢神宮崇敬会の解説によれば五十鈴川の河口を守る神とされ、港口の潮の神であることが社名からうかがえるという。現在は外宮境内の北御門側の参道から脇道へ入り、摂社・度会国御神社の先に鎮座する。神宮125社をめぐる参拝の一社として訪れる人が多い。

所在地
三重県伊勢市豊川町
御祭神
葦原神
系統
伊勢・神明
大阪府勝負運厄除け

野田恵美須神社

のだえびすじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、永久元年(1113年)11月20日、この地の開発にあたって大神を勧請し氏神として奉ったのが起源とされる。境内に伝わる御影石の建石には「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三乙未年三月」(1115年)の年紀があることから、平安時代末期には鎮座していたとみられる。祭神は恵美須大神(事代主大神)・天照皇大神・八幡大神の三柱で、創建以来「えびす様」として信仰されてきた。大阪湾が深く入り込んでいた時代にこの地を開いたのは漁業を営む人々だったと伝わる。元亀元年(1570年)には三好氏が野田城を築き、当社を城の守護神として武士の信仰も集めた。江戸時代には商都大坂の発展とともに「福の神」として商人の崇敬を受けるようになった。

所在地
大阪市福島区玉川4丁目1番1
御祭神
恵美須大神、天照皇大神
系統
八幡
和歌山県縁結び開運

淡嶋神社

あわしまじんじゃ

公式サイトの社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰路に瀬戸の海上で嵐に遭い、船の苫を海に投げてその流れに従えという神託のとおりに進んだところ、友ヶ島にたどり着いた。島には少彦名命と大己貴命が祀られており、皇后は救われた礼として持ち帰った宝物を供えたという。のちに孫の仁徳天皇が同島を訪れ、島では不自由であろうと対岸の加太へ社を遷して社殿を建てたのが当社の起こりと伝える。祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)。少彦名命は医薬の神とされ、女性の病気平癒や安産・子授けの信仰を集めてきた。境内には紀州徳川家から奉納された雛人形などを収める宝物殿や、針供養の針塚がある。

所在地
和歌山県和歌山市加太116
御祭神
少彦名命、大己貴命
系統
出雲
滋賀県縁結び開運

大國主神社

おおくにぬしじんじゃ

滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座し、大己貴神を主祭神とする神社。火産霊神・豊受大神・天児屋根命・小毘古神・菅原道真公を配祀する。社伝によると慶応4年(1868年)までは山王大権現と称し、その後に大國主神社と改号した。勧請の年代は不詳だが、天授6年(1380年)に田井から現在地へ遷座したと伝える。永正8年(1511年)の「御宮年中行事」には、4月初申日に上郷・下郷によって例祭が行われた旨が記されている。延宝年間には甲府宰相から東西32間・南方143間の土地が寄進された。貞享年間の明細帳では境内社が7社あったが、慶応4年の山崩れで5社となり、さらに大正元年(1912年)にすべて天神社へ合祀された。明治9年(1876年)からは例祭を5月12日と定め、午前に祭典、午後に神輿渡御と流鏑馬・走馬の奉納が行われた。神輿は応永元年(1394年)に3基が寄進されたと伝える。

所在地
滋賀県高島市新旭町饗庭619
御祭神
大己貴神
系統
出雲
滋賀県開運

大皇器地祖神社

おおきみきじそじんじゃ

滋賀県東近江市君ヶ畑町に鎮座し、木地師の祖神とされる惟喬親王を祀る神社。旧社格は村社で、御神紋は十六菊。社伝によれば、貞観年間に惟喬親王がこの山へ入り、寛平9年(897年)2月に薨去した。親王の入山以前は小松村畑と称したこの地は、以後「君ヶ畑」と改められ、親王のために造営された御殿は高松宮・高松御所と呼ばれた。翌寛平10年(898年)4月に神殿を造営して親王の神霊を鎮祭したのが当社の起源で、このとき天皇から勅使が立てられ「大皇大明神」の社号を賜ったと伝える。親王が在世中、小椋信濃守久長・小椋伯耆守光吉の両名に命じて木地の器物を作らせたことから、親王は木地の祖神と仰がれ、当社は全国の木地師の発祥の社とされる。明治5年(1872年)までは正月・5月・9月に国家安泰と皇室永続を祈る祈禱符を宮中へ献上していた。明治15年(1882年)に社号を大皇器地祖神社へ復旧する認可を得た。

所在地
滋賀県東近江市君ヶ畑町977
御祭神
惟喬親王
兵庫県縁結び開運

気多神社

けたじんじゃ

兵庫県豊岡市日高町上郷に鎮座する式内社で、但馬国の総社にあたる。旧社格は郷社。主祭神は大己貴命で、地元では「けたさん」と呼ばれ、近世までは「総社気多大明神」と称された。総社とは一国の主要な神社の神々を集めて祀る神社のことで、但馬国府が置かれたこの地域の中心的な社として崇敬されてきた。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には但馬国気多郡の「気多神社」として記載され、式内社に列している。『播磨国風土記』宍禾郡御方里条には、葦原志許乎命(大己貴命)と天日槍命が黒葛を投げ合って国を占う争いをし、葦原志許乎命の投げた黒葛3本のうち1本が但馬の気多郡に落ちたという伝承が記され、郡名を冠するこの社が相当古くから鎮座していたことをうかがわせる。鎌倉時代の『但馬国太田文』によれば、大般若田4町、三十講田1町5反という社領があったとされる。

所在地
兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
御祭神
大己貴命
系統
出雲
京都府縁結び開運

愛宕神社

あたごじんじゃ

京都府亀岡市千歳町国分に鎮座する式内社で、旧社格は村社。火の神である火産霊神を主祭神とし、伊邪那美神・大国主神をあわせて祀る。社伝では、この社の分霊が京都の鷹ヶ峰に祀られ、のちに和気清麻呂によって嵯峨の愛宕山へ遷されて現在の愛宕神社になったと伝えることから、「元愛宕」あるいは「愛宕の本宮」と呼ばれ、全国に数多い愛宕社の総本宮ともいわれる。檜皮葺の一間社流造である本殿は鎌倉時代後期の建立と伝えられ、昭和52年(1977年)1月28日に国の重要文化財に指定されている。火伏せ・防火の神として広く信仰され、4月24日には鎮火祭が営まれる。愛宕山の愛宕神社と同様に「愛宕の三つ参り」の信仰が伝わり、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとされている。

所在地
京都府亀岡市千歳町国分南山ノロ1
御祭神
火産霊神、伊邪那美神
系統
出雲
兵庫県開運

大石神社

おおいしじんじゃ

兵庫県赤穂市、旧赤穂城内の大石内蔵助屋敷跡に鎮座する神社。明治天皇の宣旨を契機として明治33年(1900年)に神社創立が公許されたが、造営資金が集まらず着工は明治43年(1910年)にずれこみ、大正元年(1912年)11月に四十七義士命を祀る神社として鎮座した。主祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と、討ち入り前に自刃した中折の烈士・萱野三平命。あわせて赤穂藩主浅野長直・長友・長矩の三代と、その後に赤穂を治めた森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀する。大石邸庭園には、元禄7年(1694年)に大石内蔵助が笠間から勧請したと伝える大石稲荷社が鎮座する。かつて藩民の信仰を集めた七つの古社は平成12年(2000年)に境内社合祀殿へまとめられ、山鹿素行命を祀る山鹿社や天満宮、八田社などが並ぶ。大願成就の神として広く信仰を集めている。

所在地
兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
御祭神
大石内蔵助良雄以下四十七士命、萱野三平
三重県開運

足見田神社

あしみだじんじゃ

三重県四日市市水沢町に鎮座する延喜式内社で、旧社格は郷社。三重県神社庁は主祭神を志那都比古命・志那都比売命・瀬織津比咩命とする。一方で『神明帳考証』は祭神を日本武尊とし、東国平定の帰路にこの地へ立ち寄った日本武尊が「吾が足は三重に曲がるようでひどく疲れた」と語ったことから「三重」の地名が足見田の地に由来するという伝承も伝えられている。創建は垂仁天皇26年とも雄略天皇21年とも伝わり、詳細は定かでない。年間には春祭・新茶祭・慰霊祭・秋祭など、茶どころ水沢の生業と結びついた祭事が営まれる。なかでも7月31日の「水まつり」は享保5年(1720年)を創始とする雨乞い祈願の祭りで、境内に奉納される「お諏訪おどり」は、瀬戸用水の完成に尽力した庄屋・辻久善の功績をたたえる詞章にもとづく踊りとして伝えられ、昭和48年(1973年)1月7日に四日市市の無形民俗文化財に指定された。

所在地
三重県四日市市水沢町707
京都府学業成就

旦椋神社

あさくらじんじゃ

式内小社で旧社格は村社。境内の由緒書によれば、養老4年(720年)の『日本書紀』に見える栗隈県の大溝(栗隈大溝)の東側、旦椋という地に古社として鎮座していたと伝えられるが、その社殿は天文19年(1550年)に焼失した。その後、永禄9年(1566年)に旧地の大久保町旦椋から天満天神が祀られていた現在地へ移されて再興されたことが、吉田兼右の『兼右卿記』に見える。延喜年間(901〜923年)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載された延喜式内社の一つに数えられる。現在の御祭神は高皇産霊神と神皇産霊神の二柱に、遷座先で合祀された天満天神の菅原道真公を加えた三柱。本殿は延宝2年(1674年)の改築によるもので、京都府の登録有形文化財となっている。

所在地
京都府宇治市大久保町北ノ山109
御祭神
高皇産霊神、神皇産霊神
系統
天神
和歌山県勝負運厄除け

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代々両職を務めた。鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も整い栄えたが、永禄3年(1560年)松永久秀の攻略で社殿を焼失し慶長年間に再建。江戸時代は隅田荘十六か村の産土神として紀州徳川家の崇敬を受けた。文政2年(1819年)に再び焼失し同5年に再建されている。明治の神仏分離で神宮寺の大高能寺が分離され、大正5年に県社となった。境内には国宝「人物画象鏡」の記念碑が立つ。

御祭神
誉田別尊、足仲彦尊
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

川上山若宮八幡宮

かわかみさんわかみやはちまんぐう

三重県津市美杉町川上、伊勢・伊賀・大和の国境に近い雲出川水源の地に鎮座する。創建の年代は明らかでないが、社伝によれば、家城から奥の一帯は磐之媛皇后の御領地「岩野郷」で、仁徳天皇がこの郷の開拓に努めたという。履中天皇の御代(5世紀初め)、郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓のこの清らかな地を選んで社を設け、両者の御魂を祀ったのが日本最古の若宮八幡宮であると伝えられる。社殿の創始以前から、修験業山の自然の磐座である高宮に国津神・天津神・八百萬神を尊崇してきたことが創建の淵源とされる。中世は修験道の霊場となり、伊勢国司北畠氏は当社の加護を頼って隣村多気に居城を構え、春秋の大祭には自ら参詣した。江戸時代の津藩主藤堂家も北畠氏の故事にならって篤く崇敬し、代々の祈願所とした。

系統
八幡
京都府勝負運厄除け

離宮八幡宮

りきゅうはちまんぐう

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡宮。平安時代初め、僧・行教が宇佐八幡宮の神霊を勧請したのが始まりで、社伝では貞観2年(860)に人々の平和を願って造営されたとする。この地が嵯峨天皇の離宮「河陽宮」の跡であったことから、後に離宮八幡宮と改称された。平安時代末に神官が「長木(ながき)」という搾油器を発明して荏胡麻油の量産を可能にし、灯明用の油として朝廷や社寺に納めた。室町時代には油の専売を担う「油座」の本拠地となり、諸国の油商人は当宮の許状なしには油を販売できなかったほどの富と権力を集めた。元治元年(1864)の禁門の変では長州藩の屯所となって社殿を焼失し、現在の社殿は昭和初期の再建である。今も「油の神様」として、全国の製油会社や油販売会社の関係者から篤い信仰を集めている。

系統
八幡
滋賀県開運

安閑神社

あんかんじんじゃ

滋賀県高島市安曇川町三尾里に鎮座し、安閑天皇を祀る。創祀の年月は不詳だが、社伝によれば文禄年間(1592〜1596)には現在の社地から北へ約20間の場所に権現堂という小さな祠があったという。文化元年(1804)に弥惣兵衛が夢のお告げを受けて小堂を再建し、明治6年(1873)に現在の社殿が建てられた。本殿は一間社流造で覆屋を備え、間口四尺三寸・奥行三尺三寸。祭礼日は4月22日である。境内には高さ約1m・幅約1.4mの碑が立ち、表面に絵とも文字とも判別しにくい陰刻があることから、俗に「神代文字」の碑と伝えられている。旧産所村(現在の安曇川町田中馬場地区)にあった三尾神社に伝わった『秀真伝(ホツマツタヱ)』の記号文字に似た点があるとも言われ、地域の歴史をめぐる伝承として語り継がれている。

所在地
滋賀県高島市安曇川町三尾里
御祭神
安閑天皇
滋賀県開運

油日神社

あぶらひじんじゃ

滋賀県甲賀市甲賀町、南鈴鹿の霊峰・油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称した。『日本三代実録』には元慶元年(877)に「油日神」が従五位下を授かったと記されており、それ以前から存在した古社であることが分かる。古くは油日岳を神体山とし、山頂には今も岳神社が祀られる。中世には一帯に成長した武士の崇敬を集め、本殿造営の奉加を記した明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵からの寄進がみえる。戦国期には上甲賀の武士が結んだ同名中・郡中惣の拠り所となったことから「甲賀の総社」と呼ばれ、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。本殿(明応2年)、拝殿(天正年間)、楼門および東西回廊(永禄9年)は国の重要文化財で、室町時代の社殿がまとまって現存する。

所在地
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
御祭神
油日大神
大阪府開運

阿部野神社

あべのじんじゃ

大阪市阿倍野区北畠に鎮座し、南北朝時代に南朝方として各地を転戦した北畠顕家と、その父・北畠親房を祀る。社地は顕家が戦った古戦場にあたり、近くの北畠公園には顕家の墓と伝えられる場所がある。この古戦場と墓所の由縁により明治18年(1885)に創建され、鎮座に際して、南朝の中心人物として活躍した父・親房も併せて祀られた。夏祭の本宮祭にあたる7月22日には、北畠公園の顕家墓所まで渡御式が斎行され、あわせて夏を無事に乗りきることを祈る夏越祓の儀式も行われる。

所在地
大阪府大阪市阿倍野区北畠3丁目7-20
御祭神
北畠親房、北畠顕家
兵庫県交通安全

阿閇神社

あえじんじゃ

兵庫県加古郡播磨町本荘に鎮座し、海上交通の守護神である住吉三神(底筒男命・中筒男命・上筒男命)と、神功皇后である息長帯姫命を祀る。江戸時代初めに建てられた本殿は、一間社春日造・檜皮葺の同形の社殿が一直線に四棟並び、それらを廊橋で結んだ全国的にも珍しい構成で、四棟まとめて兵庫県指定文化財(建造物)となっている。毎年10月に行われる秋祭りは、享保15年(1730)に東本庄村の庄屋・梅谷七右衛門清政が、100年余り途絶えていた祭りを復活させたものと伝えられ、現在まで地域に受け継がれている。

所在地
兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21
御祭神
底筒男命、中筒男命
系統
住吉

近畿に関連するご利益一覧

近畿の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。