近畿の神社一覧
近畿の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。
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近畿の神社一覧
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石作神社・玉作神社
創祀の年代は遠く、詳らかでない。石作神社の祭神・天火明命は石作連の祖神で、この地はかつて石作郷と称し、『延喜式神名帳』の近江国伊香郡46座のなかに石作神社の名が見える。玉作神社も同帳に載る古社で、玉作連の祖とされる玉祖命を祭神とする。付近の水田の中には「石作」と呼ばれる小丘が残り、古来より浄地として犯してはならないと伝えられてきた。石作部・玉作部は上代文化を地方へ伝えた人々とされ、両社がこの地に並び立つことは、伊香郡の上代文化の中心がどこにあったかを示すものだという。中世以降はたびたび戦禍に遭って社運が傾いたが、その都度再建・再興が試みられて今日に至る。明治9年に村社、明治18年に郷社、大正11年には県社へ昇格した。
- 所在地
- 滋賀県長浜市木之本町千田793
- 御祭神
- 天火明命、玉祖命
高天彦神社
金剛山の東山麓に鎮座し、平安時代に編纂された『延喜式』において最高位の名神大社に列せられた古社。御祭神は古代豪族・葛城氏の最高神で、記紀神話のなかで出雲へ国譲りの使者を遣わすよう命じた高皇産霊神。ほかに市杵嶋姫命と菅原道真を祀る。神社の形態は古く、社殿の背後にそびえる白雲峰そのものを御神体とし、参道の両側には樹齢数百年という杉の巨木が立ち並んで神さびた雰囲気を漂わせる。一帯に広がる「高天」の台地は、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台、すなわち神々が住んだとされる高天原の伝承地ではないかと言い伝えられてきた。
- 所在地
- 奈良県御所市北窪158
- 御祭神
- 高皇産霊神、市杵嶋姫命
- 系統
- 天神
伊奈冨神社
社伝では崇神天皇5年に神路ヶ岡へ三社が鎮祭されたことに始まると伝える古社。主祭神の保食大神は「稲生の大神」と称され、あらゆる食物、とりわけ稲の稔りを守る神として五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・厄除開運の信仰を集めてきた。平安時代の天長年間には弘法大師が参籠して菩薩堂を建てたと伝え、貞観7年(865年)に従四位下を授けられ、『延喜式』神名帳に載る式内社となった。鎌倉時代には正一位に昇り、文永11年(1274年)には三社それぞれに勅額が下賜された。江戸時代には紀伊徳川家から造営料銀が寄進されて三社の大造営が行われている。明治6年に郷社、明治37年に県社に列した。男神坐像と扁額三面は国の重要文化財。境内は「つつじ山」とも呼ばれ、約5000株の紫つつじが群生する三重県指定名勝である。
- 所在地
- 三重県鈴鹿市稲生西2-24-20
- 御祭神
- 保食神大国道命
生国魂神社
「難波大社」「いくたまさん」と呼ばれる大阪最古級の古社。社伝では、神武天皇が東征の途上で難波碕(現在の大阪城付近にあたる石山碕)に至り、日本の国土そのものの神である生島大神・足島大神を祀って国家の安泰を祈ったことに始まるとされる。『日本書紀』孝徳天皇即位前紀には、難波宮の造営に際して「生國魂社の樹」が伐られたという記事が見え、『延喜式』神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」として名神大社に列している。中世は現在の大坂城の地に鎮座していたが、天正8年(1580年)の石山合戦の兵火で焼失。豊臣秀吉による大坂城築城にともない、社領三百石の寄進と社殿の造営を受けて天正13年(1585年)に西成郡西高津村の現在地へ遷座した。相殿に大物主大神を祀る。
- 所在地
- 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
- 御祭神
- 生島大神、足島大神
往馬坐伊古麻都比古神社
生駒山を御神体として仰ぐ生駒谷十七郷の氏神で、通称は往馬大社。社伝では雄略天皇の御代の創祀と伝え、文献上は奈良時代の文書にみえる「往馬神」が初見とされる。祭神は伊古麻都比古命・伊古麻都比賣命をはじめとする七柱。古くから火を司る神として崇敬され、天皇一代一度の大嘗祭に際して火をおこすための火燧木を献上する習わしがあった。神域は小明から小平尾までの十七村におよぶ生駒谷一帯で、上大座・北方座・壱分座・下大座・六ツ座などの宮座によって祭祀が担われてきた。のちに八幡信仰が広まると気長足比賣命・譽田別命なども合祀された。スポーツの日の前日に行われる秋の火祭りは「勝負まつり」とも呼ばれ、松明を担いだ若者が石段を駆け下りる速さを競う行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されている。
- 所在地
- 奈良県生駒市壱分町1527-1
- 御祭神
- 伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神
伊香具神社
古くは「伊香神」と称された式内名神大社で、伊香郡の開拓神を祀る。社伝では、この地がまだ湖水で田里の開けていなかった頃に伊香津臣命が至り、「ここに留まって永く末代を守ろう」と子孫に告げて土地を拓いたという。のち子孫の伊香宿禰豊厚が天武天皇の白鳳10年以前に社殿を創立して祖神を祀ったと伝える。『日本三代実録』には貞観年間に伊香神へ神階が授けられた記事が見え、社伝には寛平7年(895年)に菅原道真が写経を納めて勅額を賜ったとも記す。建武3年(1336年)には足利尊氏が祈祷を依頼する朱印状を寄せ、これに基づく祈祷が今も正月と9月に営まれている。社殿と宝物は賤ヶ岳の戦いの兵火で焼失し、現在の本殿・拝殿は正徳年間の再建。明治8年に郷社、明治32年に県社へ昇格した。
- 所在地
- 滋賀県長浜市木之本町大音688
- 御祭神
- 伊香津臣命
粒坐天照神社
社伝では推古天皇2年(594年)、この地の有力者・伊福部連駁田彦が神託を受けて創祀したと伝える。神託とともに稲種と水田を授かって耕したところ一粒万倍の大豊作となり、そこから一帯が「イイボ(粒・飯穂・揖保)」と呼ばれるようになったという伝承が残る。社名の「粒坐」は「粒(揖保の郡)に坐す」の意で、揖保の地名の語源ともされる。主祭神は天照国照彦火明神で、稲穂が熟して赤らむ「穂明かり」に由来する稲作・五穀豊穣の神として信仰されてきた。『延喜式』神名帳に載る名神大社にして朝廷の崇敬も厚く、近代社格では県社に列した。伊和神社・海神社とともに播磨三大社と称される。明治12年(1879年)に神仏分離を受けて現在の社号に復し、龍野の町を見下ろす日山(白鷺山)に鎮座している。
- 所在地
- 兵庫県たつの市龍野町日山449-1
- 御祭神
- 天照国照彦火明神
- 系統
- 伊勢・神明
坐摩神社
大阪市中央区久太郎町に鎮座する旧官幣中社で、生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比岐神の五柱を総称して坐摩大神と称する。『古語拾遺』などによれば神武天皇の即位に際して神勅により宮中に奉斎されたのが起源とされ、社名は土地や居住地を守る「居所知」が転じた名称という。社伝では神功皇后が新羅からの帰還の折、淀川南岸の田蓑島(現在の天満橋西方、石町付近)に奉祀したのが始まりとされる。『延喜式』には摂津国西成郡唯一の大社と記され、天慶2年(939年)以降は祈雨十一社の一つに列した。天正10年(1582年)の豊臣秀吉による大坂築城に際して替地を命じられ、寛永年間に現在地へ遷座した。鎮座地名の「渡辺」は旧社地の地名を移したもので、渡辺姓発祥の地とされる。現在の社殿は昭和11年(1936年)の官幣中社列格時に造営されたものを、昭和34年(1959年)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のまま復興したもの。
- 所在地
- 大阪府大阪市中央区久太郎町 4丁目渡辺 3号
- 御祭神
- 坐摩神、(生井神
志磨神社
和歌山市中之島に鎮座する式内名神大社で、旧社格は県社。御祭神は中津島姫命(市杵島姫命の別名)。伊達神社(和歌山市園部)・静火神社(同和田)とともに「紀三所社」と称された。天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州攻めで被災したのち、寛永5年(1628年)に再興された。現在の本殿は延宝6年(1678年)の建立で、間口1.8メートルの一間社春日造、銅板葺(もとは檜皮葺)。正面の梁を省いて唐破風を設ける独特の形式をとり、各所に鳥獣の彫刻を配して全体に漆や絵具で塗装を施した華やかな造りである。元禄元年(1688年)に紀伊藩の命を受けて「志磨神社」を称するようになり、藩の関与が強まった。昭和19年(1944年)建築の拝殿は神門・袖塀などとともに、和歌山市中心部に残る数少ない良質な近代和風建築として令和6年(2024年)に国の登録有形文化財となった。
- 所在地
- 和歌山県和歌山市中之島677
- 御祭神
- 中津島姫命
大笹原神社
滋賀県野洲市大篠原に鎮座する旧郷社。創建年代は明らかでないが平安時代中期と伝え、寛和2年(986年)に越智諸実が社殿を再建して社領を寄進したという。現在の本殿は室町時代中期の応永21年(1414年)の建立で、六角氏の家臣で岩倉城主の馬淵定信を願主として再建されたと伝わる。桁行三間・梁間三間、一重の入母屋造、向拝一間、檜皮葺。彩色を施さない素木造だが、欄間や戸の意匠、各所に配された彫刻の手法が優れ、東山文化の装飾性をよく伝えている。小規模ながら中世の神社建築として屈指の傑作と評価され、明治34年(1901年)に重要文化財、昭和36年(1961年)に国宝に指定された。参道を進むと左手に拝殿、その右手に寄倍の池、奥に本殿と境内社の篠原神社本殿が並ぶ。良質のもち米を産する土地柄にちなみ、鏡餅の起源を祀るという「餅の宮」も境内にある。
- 所在地
- 滋賀県野洲市大篠原2375
- 御祭神
- 速須佐之男命、稲田姫命
- 系統
- 八坂
大村神社
三重県伊賀市阿保に鎮座する式内社。主祭神の大村の神は第11代垂仁天皇の皇子・息速別命で、『古事記』『日本書紀』には伊許婆夜和気命、池速別命と記される。伊勢の神宮を奉鎮した倭姫命の弟にあたり、この地に宮室を築いて一帯を開拓した神として、また土地の鎮め・地震除災の守り神として古くから信仰を集めてきた。『日本三代実録』には863年に神階が正六位上から従五位下へ昇叙されたとあり、『延喜式』神名帳(927年)にも社名が載る。相殿の武甕槌命・経津主命は、神護景雲元年(767年)に常陸・下総から奈良の三笠山へ遷る途次に当社で休息し、その際に霊石「要石」が奉斎されたと伝える。要石は地下深くまで広がって大地を揺るがす大なまずを押さえているという。天正15年(1587年)建立の旧本殿「宝殿」は国の重要文化財。
- 所在地
- 三重県伊賀市阿保1555
- 御祭神
- 大村神
廣瀬大社
奈良盆地を流れる川が合流する河合の地に鎮座し、水を司る神として信仰されてきた。社伝では崇神天皇9年、廣瀬の河合の里長への神託により沼地が一夜で陸地に変わって橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てて祀ったのが始まりという。『日本書紀』には天武天皇4年(675年)に大忌神を廣瀬の河曲に祀ったとあり、これが毎年4月と7月に営まれた大忌祭の起こりとされる。龍田の風神と一対をなす祭祀として朝廷に重んじられた。『延喜式』神名帳の名神大社で、朝廷奉幣二十二社のうち中七社の一社。弘仁13年に従五位、永保元年(1081年)に正一位を授けられ、明治4年に官幣大社へ列した。現在は神社本庁の別表神社である。
平野神社
京都市北区に鎮座する旧官幣大社。奈良時代末期の創建で、『続日本紀』の延暦元年(782年)に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」との記載があり、当初は平城宮の宮中に祀られていた。延暦13年(794年)の平安遷都と同時に現在の平野の地へ遷座した。御祭神は今木皇大神・久度大神・古開大神・比賣大神の四座で、それぞれ源気新生と活力生成、竈と生活安泰、邪気を振り開く平安、生産力の神とされる。創建当初の境内は平安尺で1500メートル四方に及び、現在の京都御所とほぼ同じ広さだったが、時代とともに縮小して今は200メートル弱四方となっている。本殿は寛永2年(1625年)と同9年(1632年)に建てられた二殿一体の「平野造」で国の重要文化財、拝殿は慶安3年(1650年)の建立。境内では神職と桜保存会が桜の保存・育成を続けている。
- 所在地
- 京都府京都市北区平野宮本町1
- 御祭神
- 今木皇大神、久度大神
- 系統
- 伊勢・神明
広八幡神社
和歌山県有田郡広川町に鎮座する八幡宮で、社伝では欽明天皇の御代に河内国の誉田八幡宮から勧請されたと伝える。御祭神は誉田別命・足仲津彦命・気長足姫命。神功皇后が三韓征伐の帰途に有田の広村へ行幸したという縁起を持つ。室町時代初期の応永年間に土豪の梅本覚言が現在地へ遷宮したと記録され、摂社の棟札から応永20年(1413年)頃の造営が推定されている。天正年間の豊臣氏による紀州征伐で一部を焼失したが、江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受けて興隆した。本殿や楼門など複数の建物が国の重要文化財に指定されている。安政の津波の際には濱口梧陵が村人とともに逃れた避難場所となり、「稲むらの火」の舞台として知られる。境内には勝海舟が撰文と題額を手がけた濱口梧陵碑が立つ。
- 系統
- 八幡
御霊神社
公式サイトの由緒によれば、延暦19年(800年)に桓武天皇の勅命で創祀された勅願社。奈良時代に無実の罪を着せられて薨去した井上内親王(光仁天皇の皇后)と御子の他戸親王の霊を慰め、都に流行した疫病の侵入を防ぐため、街道沿いの防疫施設として造営された井上御霊社が前身とされる。本殿に井上皇后と他戸親王、東西の社殿に早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人・伊予親王・橘逸勢・文屋宮田麻呂を祀り、あわせて八所御霊大神と称する。宝徳3年(1451年)の土一揆で元興寺の金堂以下主要堂宇が焼失したのち現在地へ遷座し、元興寺の鎮守社として広く信仰を集めた。豊臣秀吉の時代以降は氏子地域70余町を守護する氏神として、ならまち一帯の信仰を担ってきた。
- 所在地
- 奈良県奈良市薬師堂町24
- 御祭神
- 井上皇后、他戸親王
- 系統
- 恵比寿
鉛練比古神社
滋賀県長浜市余呉町中之郷に鎮座する、余呉のなかでも古い歴史と格式をもつとされる神社。現在の主祭神は大山咋大神だが、余呉観光ガイドの解説によれば、もとは天日槍を祀る神社として創建されたと伝える。天日槍は『古事記』に新羅の王子・天之日矛として登場する神で、当社では天日槍が坂口の山を崩して余呉の平野を開拓したと伝えられている。神社の周辺には「日槍屋敷」という地名や、日槍塚と呼ばれる古墳が残り、開拓伝承が地名や遺構として今も土地に刻まれている。
- 所在地
- 滋賀県長浜市余呉町中之郷108
- 御祭神
- 大山咋神
- 系統
- 日吉
大津神社
伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の末社の一社。外宮には末社が八社あり、そのひとつにあたる。祭神は葦原神。伊勢神宮崇敬会の解説によれば五十鈴川の河口を守る神とされ、港口の潮の神であることが社名からうかがえるという。現在は外宮境内の北御門側の参道から脇道へ入り、摂社・度会国御神社の先に鎮座する。神宮125社をめぐる参拝の一社として訪れる人が多い。
- 所在地
- 三重県伊勢市豊川町
- 御祭神
- 葦原神
- 系統
- 伊勢・神明
野田恵美須神社
公式サイトの社伝によれば、永久元年(1113年)11月20日、この地の開発にあたって大神を勧請し氏神として奉ったのが起源とされる。境内に伝わる御影石の建石には「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三乙未年三月」(1115年)の年紀があることから、平安時代末期には鎮座していたとみられる。祭神は恵美須大神(事代主大神)・天照皇大神・八幡大神の三柱で、創建以来「えびす様」として信仰されてきた。大阪湾が深く入り込んでいた時代にこの地を開いたのは漁業を営む人々だったと伝わる。元亀元年(1570年)には三好氏が野田城を築き、当社を城の守護神として武士の信仰も集めた。江戸時代には商都大坂の発展とともに「福の神」として商人の崇敬を受けるようになった。
- 所在地
- 大阪市福島区玉川4丁目1番1
- 御祭神
- 恵美須大神、天照皇大神
- 系統
- 八幡
淡嶋神社
公式サイトの社伝によれば、神功皇后が三韓からの帰路に瀬戸の海上で嵐に遭い、船の苫を海に投げてその流れに従えという神託のとおりに進んだところ、友ヶ島にたどり着いた。島には少彦名命と大己貴命が祀られており、皇后は救われた礼として持ち帰った宝物を供えたという。のちに孫の仁徳天皇が同島を訪れ、島では不自由であろうと対岸の加太へ社を遷して社殿を建てたのが当社の起こりと伝える。祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)。少彦名命は医薬の神とされ、女性の病気平癒や安産・子授けの信仰を集めてきた。境内には紀州徳川家から奉納された雛人形などを収める宝物殿や、針供養の針塚がある。
- 所在地
- 和歌山県和歌山市加太116
- 御祭神
- 少彦名命、大己貴命
- 系統
- 出雲
大國主神社
滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座し、大己貴神を主祭神とする神社。火産霊神・豊受大神・天児屋根命・小毘古神・菅原道真公を配祀する。社伝によると慶応4年(1868年)までは山王大権現と称し、その後に大國主神社と改号した。勧請の年代は不詳だが、天授6年(1380年)に田井から現在地へ遷座したと伝える。永正8年(1511年)の「御宮年中行事」には、4月初申日に上郷・下郷によって例祭が行われた旨が記されている。延宝年間には甲府宰相から東西32間・南方143間の土地が寄進された。貞享年間の明細帳では境内社が7社あったが、慶応4年の山崩れで5社となり、さらに大正元年(1912年)にすべて天神社へ合祀された。明治9年(1876年)からは例祭を5月12日と定め、午前に祭典、午後に神輿渡御と流鏑馬・走馬の奉納が行われた。神輿は応永元年(1394年)に3基が寄進されたと伝える。
- 所在地
- 滋賀県高島市新旭町饗庭619
- 御祭神
- 大己貴神
- 系統
- 出雲
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