ご利益

厄除けの神社

厄除けのご利益で探せる神社を277件掲載。代表的な神社は須佐之男神社です。

厄除けで知られる御祭神

厄除けで有名な神社

京都府厄除け

八坂神社

やさか じんじゃ

八坂神社は素戔嗚尊・櫛稲田姫命を祀る神社。厄除け・疫病退散のご利益で知られ、656年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
京都府京都市東山区祇園町北側625
御祭神
素戔嗚尊、奇稲田姫命
系統
八坂
長野県家内安全勝負運

諏訪大社 上社本宮

すわ たいしゃ かみしゃ ほんみや

諏訪大社 上社本宮は建御名方神・八坂刀売神を祀る神社。勝運・家内安全のご利益で知られ、神代(古事記)に創建された由緒ある神社です。

所在地
長野県諏訪市中洲宮山1
御祭神
建御名方神、八坂刀売神
系統
諏訪
愛媛県交通安全商売繁盛

大山祇神社

おおやまづみじんじゃ

大山祇神社は大山積神を祀る神社。海の守護・戦勝祈願のご利益で知られ、推古天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
御祭神
大山祇神
系統
三島・大山祇
茨城県勝負運出世

鹿島神宮

かしま じんぐう

鹿島神宮は武甕槌大神を祀る神社。勝運・必勝祈願のご利益で知られ、紀元前660年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
御祭神
武甕槌神
三重県開運厄除け

伊勢神宮 内宮

いせじんぐう ないくう

伊勢神宮 内宮は天照大御神を祀る神社。国家安泰・開運のご利益で知られ、紀元前4年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
三重県伊勢市宇治館町1
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明

厄除けの神社一覧

277件中41-60件を表示しています。

山梨県勝負運厄除け

武田八幡宮

たけだはちまんぐう

社記によれば、弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅命により、武田武大神(日本武尊の御子)を祀る祠を桜の御所から現在地へ遷宮し、九州の宇佐神宮(八幡総本宮)を勧請・合祀して創建されたのが起こりで、地名から武田八幡宮と称したと伝わる。貞観年間(859〜877年)には京都の石清水八幡宮の御霊も社中に勧請された。保延6年(1140年)、新羅三郎義光の曾孫にあたる龍光丸が13歳でこの社の神前で元服し「武田太郎信義」と名乗ったことが甲斐武田氏の発祥とされ、韮崎市が甲斐武田氏発祥の地といわれる由来となっている。信義は当社を氏神として尊崇した。御祭神は武田武大神(日本武尊の御子)・誉田別命・足仲津彦命・息長足姫命。現在の本殿は天文10年に武田晴信(信玄)が再興したもので、三間社流造・檜皮葺、木割が雄大で装飾的意匠に優れ室町時代の特色を示すとして国の重要文化財に指定されている。石鳥居・若宮八幡宮本殿・二の鳥居は山梨県指定文化財。

所在地
山梨県韮崎市神山町北宮地1185
御祭神
誉田別命、足仲津彦命
系統
八幡
和歌山県勝負運厄除け

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代々両職を務めた。鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も整い栄えたが、永禄3年(1560年)松永久秀の攻略で社殿を焼失し慶長年間に再建。江戸時代は隅田荘十六か村の産土神として紀州徳川家の崇敬を受けた。文政2年(1819年)に再び焼失し同5年に再建されている。明治の神仏分離で神宮寺の大高能寺が分離され、大正5年に県社となった。境内には国宝「人物画象鏡」の記念碑が立つ。

御祭神
誉田別尊、足仲彦尊
系統
八幡
東京都勝負運厄除け

八幡神社

にしくぼはちまんじんじゃ

寛弘年間(1004〜12年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請し、霞ヶ関のあたりに創建したと伝わる。太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座した。徳川秀忠の正室崇源院が戦勝祈願の報賽として社殿建立を遺し、その意により寛永11年(1634年)に社殿が造営されている。江戸時代には「江戸八所八幡」の一つに数えられ、八八幡詣として多くの参詣を集めて門前町が栄えた。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の火災で被害を受け、昭和20年3月の戦災では社殿を焼失したが昭和28年に復興。平成27年には失われていた御本社神輿を復興し、平成29年に神幸祭を斎行した。令和元年からは「令和の御造替事業」として施設を再建し、令和3年10月29日に本殿遷座祭が斎行された。境内は縄文期の西久保八幡貝塚としても知られる。

所在地
東京都港区虎ノ門5-10-14
御祭神
品陀和気命、息長帯比売命
系統
八幡
静岡県開運厄除け

三熊野神社

みくまのじんじゃ

文武天皇の皇后が紀州の熊野三社に「安産で皇子が誕生すれば東に三つの社を建てて日夜敬う」と誓われ、無事に皇子(のちの聖武天皇)を出産した。その誓いにより大宝元年(701年)、熊野本宮大社をこの横須賀の地へ、熊野那智大社を小笠山(現・小笠神社)へ、熊野速玉大社を高松(現・高松神社)へ遷座したのが起こりと社伝は伝え、あわせて遠州の熊野三社と称される。鎮座とともに朝廷から神領として笠原の庄を賜った。建武2年(1335年)元旦には新田義貞が戦勝祈願に参拝し楠木正成の鈴を奉納したと伝わる。天正6年(1578年)に徳川家康が横須賀城を築いて以降は歴代城主・家臣と城下近郷の信仰を集め、災難除・子授け・安産・縁結びの守り神として崇敬されてきた。御祭神は家津美御子神・伊邪那美神・事解男神。本殿は静岡県指定文化財。

所在地
静岡県掛川市西大渕5631番地の1
御祭神
家津美御子神、伊邪那美神
系統
熊野
広島県勝負運厄除け

草津八幡神社

くさつはちまんじんじゃ

推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を軍津浦と伝える。大永4年(1524年)に修造。明治25年に厳島神社から市寸島姫命・湍津姫命を勧請し、明治末期の神社統廃合で素盞嗚神・倉稲魂神・金刀比羅神を合祀した。社殿はもと海浜近くにあり再建のたびに高所へ移され、現在は力箭山(行者山)中腹に鎮座する。現社殿は昭和6年に近郷六箇村の氏子により再建されたもので、広島市西区一帯の総氏神として崇敬される。

所在地
広島県広島市西区田方1丁目11-18
御祭神
品陀和気命、帯中津日子命
系統
八幡
大分県勝負運厄除け

薦神社

こもじんじゃ

別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。

所在地
大分県中津市大字大貞209
御祭神
応神天皇、比売大神
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

川上山若宮八幡宮

かわかみさんわかみやはちまんぐう

三重県津市美杉町川上、伊勢・伊賀・大和の国境に近い雲出川水源の地に鎮座する。創建の年代は明らかでないが、社伝によれば、家城から奥の一帯は磐之媛皇后の御領地「岩野郷」で、仁徳天皇がこの郷の開拓に努めたという。履中天皇の御代(5世紀初め)、郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓のこの清らかな地を選んで社を設け、両者の御魂を祀ったのが日本最古の若宮八幡宮であると伝えられる。社殿の創始以前から、修験業山の自然の磐座である高宮に国津神・天津神・八百萬神を尊崇してきたことが創建の淵源とされる。中世は修験道の霊場となり、伊勢国司北畠氏は当社の加護を頼って隣村多気に居城を構え、春秋の大祭には自ら参詣した。江戸時代の津藩主藤堂家も北畠氏の故事にならって篤く崇敬し、代々の祈願所とした。

系統
八幡
京都府勝負運厄除け

離宮八幡宮

りきゅうはちまんぐう

京都府乙訓郡大山崎町に鎮座する八幡宮。平安時代初め、僧・行教が宇佐八幡宮の神霊を勧請したのが始まりで、社伝では貞観2年(860)に人々の平和を願って造営されたとする。この地が嵯峨天皇の離宮「河陽宮」の跡であったことから、後に離宮八幡宮と改称された。平安時代末に神官が「長木(ながき)」という搾油器を発明して荏胡麻油の量産を可能にし、灯明用の油として朝廷や社寺に納めた。室町時代には油の専売を担う「油座」の本拠地となり、諸国の油商人は当宮の許状なしには油を販売できなかったほどの富と権力を集めた。元治元年(1864)の禁門の変では長州藩の屯所となって社殿を焼失し、現在の社殿は昭和初期の再建である。今も「油の神様」として、全国の製油会社や油販売会社の関係者から篤い信仰を集めている。

系統
八幡
沖縄県開運厄除け

天久宮

あめくぐう

那覇市泊に鎮座する琉球八社の一社。『琉球神道記』(1608)に「天久権現」、『琉球国由来記』(1713)に「天久山熊野三社大権現」、『琉球国旧記』(1731)に「天久山三社」、『球陽』(1745)に「天久山権現」「天久宮」と記されるなど、古記録に繰り返しその名がみえる。創建は成化年間(1465〜1487)と伝えられる。縁起では、銘苅村の翁子が天久野で気高い女人と法師に出会い、女人が中腹の洞窟のあたりで消えるのを見て王に奏上したところ、国王が臣下に命じて洞窟へ香を供えさせると自然に火がついたため社殿を造営したという。のちに「我は熊野権現なり。女人は国家の守護神・弁財天である」との神託があったと伝わる。御祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊。昭和19年(1944)の空襲で社殿を焼失し、戦後は御嶽形式で祀られたが、昭和47年に本殿を建立、本土復帰と同じ5月15日に宗教法人となった。

所在地
沖縄県那覇市泊3丁目19-3
御祭神
伊弉冉尊、速玉男尊
系統
熊野
長野県厄除け方除け

秋葉神社

あきばじんじゃ

長野市の繁華街・権堂町に鎮座する秋葉社。秋葉信仰は静岡県の秋葉神社の祭神である火之迦具土神を火防の神として仰ぐもので、長野市内でも各地に小祠として祀られてきた。『長野市誌』によれば、権堂町の当社は西後町・十念寺境内の秋葉神社の御分身を勧請して建てられたと伝えられる。その十念寺の秋葉社は、酒屋の菊屋が秋葉三尺坊を祀って秋葉堂として建立したものと伝わり、三尺坊が酒を買いに来た折に主人が名のある修験者だろうと酒代を受け取らなかったところ、火難よけの御符などを授けられ、以後長く菊屋が栄えたという伝承が残る。また当社は、現在西町にある西方寺が権堂町にあった時代の秋葉堂を移したものともいわれる。主に花街の信仰を集め、現在のような立派な社殿が建てられたのは明治に入ってからである。

所在地
長野県長野市鶴賀2231
御祭神
軻遇突智神
系統
愛宕
埼玉県厄除け方除け

秋葉神社

あきはじんじゃ

社伝では、聖武天皇の天平年間(729〜749)の創建と伝えられる古社。もとは駿河国に飽波神社として鎮座し、のちに遠江国へ移され、さらに当地へ遷されたと伝わる。主祭神は火之迦具土大神で、天照大神・素戔嗚尊・市杵島姫命・菅原道真ら十数柱を併せ祀る。江戸時代には指扇村三千石を知行した旗本山之内家が陣屋を当地に置き、守護神として三代にわたり崇敬した。慶安年間(1648〜1652)の頃から霊験の評判が高まり、火防・盗賊除け・病気平癒の神として関東一円の崇敬を集め、社号標には「火産霊神 関東総本社秋葉神社」と刻まれる。現在の本殿は寛文元年(1661)の建立で、八棟三手先造りの屋根と、四面を埋め尽くす豪壮な彫刻を備える。春秋の例祭には関東各地から参拝者が訪れる。

所在地
埼玉県さいたま市西区中釘818
御祭神
火之迦具土大神
系統
愛宕
富山県勝負運厄除け

宇佐八幡宮

うさはちまんぐう

JR城端線福光駅の西、旧福光町の市街地に鎮座する。社伝によれば天平勝宝2年(750年)、大伴家持が越中守であった頃にその子・大伴持豊が福光城において、石黒庄の総社として豊前の宇佐から分霊を勧請したことに始まるという。古くから痘瘡除けの守護神として広く信仰を集め、寛仁元年(1017年)には別当寺である寛仁寺が建立された。春の福光春季例大祭は220年以上の歴史をもつ祭礼で、厄年の男性が神輿を担いで丸1日かけて市街地を巡行する行事として知られる。

所在地
富山県南砺市福光6865
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

若宮八幡宮

わかみやはちまんぐう

応永年間(1394〜1428)、佐竹氏12代の佐竹義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、太田城内に守護神として祀ったのが始まりと伝わる。以後は佐竹氏歴代の祈願所となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ移封された際には、分霊が大館城の守護神として奉持された。江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、慶長14年(1609)に初代藩主徳川頼房の病気平癒祈願が成就したと伝えられる。水戸藩が領内の八幡社を整理した「八幡改め」の際にも存続を許された四社の一つに数えられ、宝永5年(1708)に現在地へ遷座した。祭神は仁徳天皇にあたる大鷦鷯尊で、倉稲魂命を併せ祀る。境内には樹齢500年を超えるケヤキの巨木群があり、最大のものは高さ約30m、幹周約8.5mで茨城県の天然記念物に指定されている。

所在地
茨城県常陸太田市宮本町2344
御祭神
大鷦鷯尊(仁徳天皇)、倉稲魂命
系統
八幡
大阪府勝負運厄除け

澤田八幡神社

さわだはちまんじんじゃ

藤井寺市沢田に鎮座する旧村社で、祭神は品陀和気命(応神天皇)。江戸時代初期に、近隣の誉田八幡宮から八幡神を勧請したものと伝わる。太閤検地によって沢田村が誉田八幡宮の神領となり、のちにその神領が隣接する古室村へ配置換えされた際、村人たちの意思で改めて八幡神を迎えたのが始まりとされる。拝殿には明暦元年(1655年)11月付の棟札が残り、旧地から一町ほど西の現在地へ遷宮したことが記されている。安永6年(1777年)付の棟札もあり、江戸期に複数回の造替が行われたことがわかる。明治5年(1872年)に村社に列格した。1922年(大正11年)に開通した近鉄南大阪線が町中を避けて敷設された結果、線路が参道を横切ることになり、境内に踏切がある神社として広く知られている。

所在地
大阪府藤井寺市沢田4丁目2-3
御祭神
品陀和気命
系統
八幡
宮城県開運厄除け

名取熊野三社

なとりくまのさんしゃ

紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世以降は伊達氏の崇敬を受け、永正11年(1514年)の伊達稙宗以降、歴代当主と仙台藩主から寄進や奉納を重ねて受けました。三社の中心となった熊野神社の本殿は熊野造の特徴を持つ宮城県指定有形文化財で、春秋の例祭に奉納される熊野堂神楽・熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財です。

所在地
宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
御祭神
速玉男尊、伊弉冉尊
系統
熊野
静岡県勝負運厄除け

守山八幡宮

もりやまはちまんぐう

狩野川の西にそびえる守山の東麓に鎮座する。社伝では大化3年(647年)に大山祇神を祀って創建されたとされ、延喜7年(907年)に豊前の宇佐八幡宮から八幡神を勧請して合祀し、守山八幡宮と称するようになったと伝わる。治承4年(1180年)8月、伊豆に流されていた源頼朝が以仁王の令旨を受けて平家追討を祈願し、当社の社前で挙兵したと伝えられる。頼朝はこの地から、配下が襲撃した目代・山木兼隆の館が焼ける火煙を望み、緒戦の成就を知ったという。現在の本殿は寛永9年(1632年)に久能城主・榊原照久が造営したもので、源氏再興の出発点となった社として知られている。

所在地
静岡県伊豆の国市寺家1204-1
御祭神
誉田別命、大山祇命
系統
八幡
愛知県勝負運厄除け

鳴海八幡宮

なるみはちまんぐう

名古屋市緑区、旧鳴海村の氏神として祀られてきた神社。創建年代は不詳だが、貞永元年(1232年)に久野家の初代が社職に就いたという記録が伝わり、境内には樹齢千年を超えると伝えられる大楠が御神木としてそびえる。この大木の存在から、当社が平安時代以前にさかのぼる古社である可能性が指摘されている。『延喜式』神名帳の尾張国愛智郡「川原神社」の比定社の一つにも挙げられている。長く八幡社と呼ばれてきたが、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で社殿が被害を受け、昭和43年(1968年)に本殿・拝殿を新築した際に鳴海八幡宮と改称した。主祭神は品陀和気命(応神天皇)で、息長帯日売命(神功皇后)ほか計五柱を祀る。

所在地
愛知県名古屋市緑区鳴海町字前之輪23
御祭神
品陀和気命、息長帯日売命
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

水戸八幡宮

みとはちまんぐう

文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化財に指定されている。日光連山や久慈の山並みを望む高台にあり、茨城百景・茨城観光百選・市民が選ぶ水戸百景にも選ばれている。

所在地
茨城県水戸市八幡町8-54
御祭神
誉田別尊、息長足日売尊
系統
八幡
岐阜県厄除け開運

日吉神社

ひよしじんじゃ

弘仁8年(817年)、東国への布教のため東山道を下った伝教大師最澄が、地元郡司の帰依を受けて近江・日吉大社の大宮(大己貴大神)・二宮(大山咋大神)・宇佐宮・樹下宮の四社を勧請し創建したと伝えます。のちに慈覚大師円仁が客人宮・牛尾宮・三宮の三社を加え、山王七社として七柱を祀る形が整いました。平安期以降は延暦寺領・平野荘の鎮守として崇敬を集め、岐阜県独自の社格である金幣社に列しています。室町時代後期に建てられた三重塔は国の重要文化財、本殿は岐阜県指定重要文化財で、神輿および百八燈明台は岐阜県指定重要有形民俗文化財。三重塔は令和6年(2024年)7月に火災で被災しましたが修復工事が行われ、令和8年(2026年)3月に修復完了報告祭が営まれました。

所在地
岐阜県安八郡神戸町神戸1
御祭神
大己貴大神、大山咋大神
系統
日吉
愛媛県勝負運厄除け

日招八幡大神社

ひまねきはちまんだいじんじゃ

松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に入国した佐々木盛綱(高綱とも伝える)が戦いに臨んだ際、勝敗が決しないまま日没が迫るなか当社に祈願して軍扇で入日を招くと日が差し戻り勝利したという故事から、日招八幡宮と改めたと伝える。明治5年(1872年)に郷社に列した。平成12年(2000年)の火災で本殿・拝殿を焼失したが、平成27年(2015年)に社殿が再建されている。

所在地
愛媛県松山市保免西1丁目4番3号
御祭神
市杵島姫命、湍津姫命
系統
八幡

厄除け神社を都道府県から探す

47都道府県から、厄除けに関連する神社を地域別に探せます。

厄除けとは

厄除けは、人生の節目に訪れる「厄年」の災いを祓い、心身の安寧を願うご利益。日本人にとって最も身近な祈祷の一つで、毎年1月から節分にかけては全国の神社が厄除け祈祷で賑わいます。

厄年は中国の陰陽道に由来し、平安時代に貴族社会で定着、江戸時代には庶民にも広まりました。「災いの予防」というより「人生の節目を意識し、身を慎む期間」として伝統が続いてきたのが特徴です。

厄年早見表(数え年)

男性: 前厄 24歳 / 本厄 25歳 / 後厄 26歳、前厄 41歳 / 本厄 42歳(大厄) / 後厄 43歳、前厄 60歳 / 本厄 61歳 / 後厄 62歳

女性: 前厄 18歳 / 本厄 19歳 / 後厄 20歳、前厄 32歳 / 本厄 33歳(大厄) / 後厄 34歳、前厄 36歳 / 本厄 37歳 / 後厄 38歳

特に男性42歳と女性33歳は「大厄」と呼ばれ、心身の変調・社会的責任の増大が重なりやすい年齢として古くから警戒されてきました。3歳・61歳の還暦に厄除けを意識する地域もあります。

厄年にやってはいけないこと

伝統的には「新しいことを始めない」「大きな決断を避ける」「派手なことを慎む」とされます。具体的には転職・起業・新築・引っ越し・大きな投資は本厄の年は避けるのが慣わし。ただ、現代では「神社で祓ってから踏み出す」「節目だからこそ気を引き締める」という前向きな捉え方も一般的になっています。

参拝のポイント

厄除け祈祷は1月1日〜節分(2月3日頃)の間に受けるのが伝統的。年明け直後は混雑するため、1月中旬〜下旬の落ち着いた時期を選ぶ人も多いです。御祈祷の初穂料は5,000円〜10,000円が標準で、特別祈祷や昇殿祈祷では20,000円〜30,000円。 服装は「神様に失礼にならない」程度のきれいめが推奨され、ジーンズ・サンダル・露出の多い服装は避けます。所要時間は祈祷で20〜30分。前厄・本厄・後厄の3年間それぞれお参りするのが伝統で、家族で受ける場合は連名で祈祷可能です。 参拝後は授与された御札を家の神棚または南向き高い場所に祀り、1年後にお礼参りで返納します。

よくある質問

厄年の数え方は数え年ですか満年齢ですか?

神社では伝統的に「数え年」で数えます。生まれた年を1歳とし、毎年元旦に1歳加える数え方です。たとえば2026年1月1日時点で満24歳の男性は数え25歳となり、本厄の年に当たります。1月1日を境に厄年が変わるため、年明け早々の参拝が良いとされる理由はここにあります。

厄年は何歳ですか?早見表が知りたい

男性の本厄は数え25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳。男性42歳・女性33歳は特に大厄と呼ばれます。前後1年は前厄・後厄として3年連続でお参りする習慣があります。神社により若干の差異があるので、参拝先の表記もご確認ください。

厄年にやってはいけないことは何ですか?

伝統的には転職・起業・新築・引っ越し・大きな投資など「新しいことを始める」のを避けるとされます。ただし現代では「事前に厄除け祈祷を受けて踏み出す」考え方も広まっており、絶対に避けるべきという固定観念は薄れつつあります。

厄除けはいつ行くのが正解ですか?

1月1日〜節分(2月3日頃)が伝統的な参拝期間。特に節分までに済ませるのが理想とされます。混雑を避けたい場合は1月中旬以降がおすすめ。仕事や家族の都合で行けない場合は、年内のいつでも問題ありません。

厄除けと厄払いの違いは?

ほぼ同義で使われますが、厳密には「厄除け」は災いを近づけない予防的な祈り、「厄払い」は既についた厄を祓い清める祈祷とされます。神社によって用語が異なり、いずれも目的は同じです。寺院では「厄除」が主に使われます。

厄年でないのに厄除け祈願をしても良いですか?

もちろん問題ありません。厄年以外でも人生の節目(結婚・転職・引越し前後・大きな手術前など)、悪いことが続いた時、八方塞がりの年などに厄除けを受ける人は多くいます。

家族で厄除け祈祷を受けられますか?

受けられます。家族全員の名前と生年月日を申し込み用紙に書けば、まとめて祈祷してもらえる神社がほとんど。初穂料は人数分というより一家族としての金額になることが多く、5,000円〜10,000円程度が目安です。