ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中41-60件を表示しています。

大阪府開運

蒲田神社

かまたじんじゃ

大阪市淀川区東三国に鎮座する氏神社。社伝では南北朝時代、この地の有力者であった佛生院又三郎が播磨国室津の「室の明神」の分霊を迎え、村の鎮守として祀ったことに始まると伝わる。あわせて、上賀茂社の分霊を船で室の宮へ移す途中につむじ風に遭い、この地で風待ちをした縁で当社にも勧請したという古伝も残る。祭神は食物と稲を司る宇賀御魂神と、雷除け・厄除けの神である別雷神。明治5年(1872年)に村社に列し、明治42年(1909年)12月、一帯が蒲の茂る田園であったことにちなんで現在の社名に改められた。境内には樹齢650年以上と伝わる楠の切り株が安置され、その上に小さな祠が祀られているほか、樹齢数百年の楠が数本現存している。

所在地
大阪府大阪市淀川区東三国2-18-12
御祭神
宇賀御魂神、別雷神
長野県開運

塩釜神社

しおがまじんじゃ

松本城下の西、城山のふもとにあたる蟻ケ崎に鎮座する社で、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市)の分霊を勧請した分社にあたる。勧請の年代は明らかでないが、慶安4年(1651年)より前と考えられており、現存する本殿は明和5年(1768年)の造営と記録されている。祭神の塩土老翁命は人々に製塩を教えたと伝わる神で、海路の神・塩の神として信仰される。松本では安産守護の神としても崇敬され、底を抜いた柄杓を奉納して安産を願う習わしが伝えられてきた。旧社格は無格社で、夏の例祭は花火が上がる地域の祭りとして親しまれている。境内には境内社の八坂神社のほか、道祖神や歌碑が残る。

所在地
長野県松本市蟻ケ崎1-4-34
御祭神
塩土老翁命
鳥取県開運

下山神社

しもやまじんじゃ

霊峰大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮の境内社。鳥取県神社庁の伝えるところでは、元徳2年(1330年)、備中国浅口郡の郡司であった渡辺源五郎照政が智明権現社(現在の奥宮)へ参詣した帰路に討たれ、下山の地に葬られたことに始まるという。その後の神託により智明権現社から六尺下がった所に社が営まれ、以来霊験あらたかな社として信仰を集めた。現在の社殿は文化2年(1805年)の建立で、正面三間の入母屋造・檜皮葺。再建にあたっては石見国津和野藩の亀井家が寄進したと伝わり、蟇股などに亀井家の四つ目結紋があしらわれている。大神山神社奥宮の社殿とあわせて国の重要文化財に指定されている。

所在地
鳥取県西伯郡大山町大山1
御祭神
渡辺照政命
東京都開運

元赤城神社

もとあかぎじんじゃ

牛込総鎮守として知られる赤城神社(新宿区赤城元町)が最初に祀られた旧鎮座地にあたる社。社伝によれば鎌倉時代後期の正安2年(1300年)、上野国赤城山麓の大胡(現在の群馬県前橋市)から牛込へ移り住んだ豪族・大胡彦太郎重治が、本国の鎮守である赤城神社の分霊をこの地に奉斎したことに始まるという。室町時代の寛正元年(1460年)、太田道灌によって社が牛込台へ遷されると、旧地に残された里人が小祠を建てて元赤城大明神と称し、この場所の神威を守り伝えた。明治のはじめに現在の社名へ改められている。昭和20年(1945年)5月25日の空襲で境内の建物を焼失したが再建され、現在は赤城神社が兼務する住宅街の小さな鎮守として祀られている。

所在地
東京都新宿区早稲田鶴巻町568
御祭神
磐筒雄命
系統
赤城
愛知県開運

星宮社

ほしみやしゃ

社伝では舒明天皇9年(637年)の創建と伝わる古社。この地に星が降り、それを祀ったのが始まりという伝承があり、落下した隕石を神格化したものとみる説もある。祭神の天津甕星神は、記紀で葦原中国平定の際に最後まで抵抗したとされる星の神で、『愛知郡誌』は国常立命と香々背男神の二柱を祭神とする。かつては現在の笠寺小学校付近に鎮座していたが、星崎城の築城にあたって現在地へ移されたと伝えられる。星崎の岬の突端にあたる地で、里人が灯した常夜燈が灯台の役目を果たしたとも伝わる。境内には上知我麻社・下知我麻社をはじめ九つの社が鎮座し、熱田神宮の境内社である上知我麻神社・下知我麻神社の元宮とする説もある。

所在地
愛知県名古屋市南区本星崎町字宮西616
御祭神
天津甕星神
大阪府開運

星田神社

ほしだじんじゃ

創建年代は詳らかでない。社伝によれば、古く境内に一本の大杉があり、そこに交野物部氏の祖神である饒速日命を「交野大明神」として祀ったのが起こりとされる。天文4年(1535年)の奥書をもつ神名帳に交野大明神の名が見え、正平21年(1366年)銘の石塔も伝わっていたという。宝永年間(1704〜1711年)に磐船神社から住吉四神の神霊が遷され、現在の本殿が建立された。以後は底筒男命・中筒男命・表筒男命と神功皇后を祀り、総称して住吉大神と称して、航海守護や産業・住居の守護、安産の神として崇敬されている。もとの祭神である交野大明神は境内の交野社(古宮)に祀られ、毎年6月19日に古宮祭が営まれる。

所在地
大阪府交野市星田2丁目5-14
御祭神
底筒男命、中筒男命
熊本県開運

宝来宝来神社

ほぎほぎじんじゃ

平成16年(2004年)春、南阿蘇村河陰の土地造成中に重機が大きな岩に当たり、取り壊そうとすると重機が繰り返し故障したという出来事に始まると伝えられる。工事に携わっていた人物が夢のお告げに従って宝くじを買ったところ当選したことから岩を掘り出して祀り、その話が広まって岩は「当銭岩」と呼ばれるようになった。当選者らの寄進によって宝来宝来神社として建立された。社名は「陽幸和福招金萬宝来(ようこうわふくしょうきんまんほうらい)」の御神言に由来する。境内には御神体の当銭岩のほか、ぽっくり天狗、夫婦白蛇、大龍神、縁結び宝来観音など多くの祠や神像が寄進によって整えられ、金運祈願の社として県内外から参拝者を集めている。

所在地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村河陰2909-2
御祭神
当銭岩
岩手県開運

日高神社

ひたかじんじゃ

社伝では弘仁元年(810年)、嵯峨天皇の勅命によって当地に勧請されたのが創建とされる。坂上田村麻呂による胆沢城造営から8年後にあたり、胆沢鎮守府を守る神社として朝廷の神々を祀ったと伝えられる。社名については、この地が古く日高見国と呼ばれその中心であったことに由来するという説のほか、前九年の役で源頼義が祈願したところ雨が止んで日が高く昇り、安倍貞任を討ったという伝承に因むとの説もある。以後、藤原秀衡、源頼義・義家、伊達氏らの崇敬を受け、寄進や改築が重ねられた。現在の本殿は寛永9年(1632年)に留守宗利が改築したと伝わる三間社流造銅板葺で、平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定されている。

所在地
岩手県奥州市水沢日高小路13
御祭神
天御中主神、火産霊神
栃木県開運

平出雷電神社

ひらいでらいでんじんじゃ

社伝によれば仁和2年(886年)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊を迎えて創建されたという。主祭神は別雷之大神で、開拓・殖産のほか雷除け・嵐除け・災難除け・勝運の神として、古くから「雷電様」の名で親しまれてきた。応仁の乱の兵乱で社殿は荒廃し、正徳年間には廃頽するに至ったが、当時の領主・平出孝政が領民とともに浄財を募って本殿を再建した。天保5年(1834年)に再改築され、元治2年(1865年)には「雷電宮」の称号を受けている。7月第4日曜日の夏大祭では豊年を祈願する梵天奉納神事が行われ、地域の夏の行事として続いている。

所在地
栃木県宇都宮市平出町3848
御祭神
別雷之大神、誉田別之命
静岡県開運

比奈多乃神社

ひなたのじんじゃ

創建年代は不詳だが、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に遠江国城飼郡の小社「比奈多乃神社」として載る式内社で、少なくともそれ以前の鎮座と考えられる。祭神の建比奈鳥命は天穂日命の子とされ、建比良鳥命と同一視される神で、国譲りの場面で経津主命とともに活躍したと伝えられる。中世には「天馬駒神社」と称され、神仏習合の時代には近隣の華厳院の鎮守社として祀られた。明治11年(1878年)に式内社としての社名である比奈多乃神社へ復している。掛川市南部の丘陵に鎮座し、徳川・武田両氏が争った高天神城跡に建つ高天神社とはごく近い位置にある。高天神社を式内比奈多乃神社の後裔とする説もあるが、地元では当社をその後裔としている。

所在地
静岡県掛川市上土方落合837
御祭神
建比奈鳥命
アメリカ縁結び開運

ハワイ出雲大社

はわいいずもたいしゃ

明治39年(1906年)、出雲大社教の布教のため広島県出身の神職・宮王勝良が渡布し、ホノルルで開教したのが始まりとされる。明治40年(1907年)に最初の社殿が建てられ、大正11年(1922年)には出雲大社を模した大社造の社殿が完成した。太平洋戦争開戦後の1941年、分院長らはFBIに拘束されて米本土に抑留され、教団は解散、社地・社殿は市郡当局の管理下に置かれた。戦後1952年から返還運動が続けられ、1961年に教団側の勝訴によって社殿が戻り、1969年に竣工大祭が斎行された。大國主大神とハワイ産土神を主祭神とし、沖縄県出身移民の氏神など複数の御分霊も合祀する。出雲大社の分社として「出雲大社ハワイ分院」とも称される。

所在地
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市 215 North Kukui Street, Honolulu, HI 96817
御祭神
大國主大神、ハワイ産土神
系統
出雲
滋賀県開運

波久奴神社

はくぬじんじゃ

滋賀県長浜市高畑町に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建の年代は明らかでない。配祀の物部守屋大連については、用明天皇2年(587年)の争いで蘇我馬子に敗れた守屋が漆部小坂を伴って自らの領地であった当地へ逃れ、追跡を避けるため同年10月に小谷山東峡の岩窟へ隠れ、その後は萩の茂る高畑の地に草庵を結んで「萩生翁」と名を偽りながら里人を教化したという伝承が残る。没後、里人がその徳を偲んで祠を建て「正一位萩野大明神」と崇めたのが起こりと伝えられる。明治14年(1881年)に郷社に列格し、明治34年(1901年)には物部守屋大連を合祀した。本殿は三間社流造。

所在地
滋賀県長浜市高畑町296
御祭神
高皇産霊神、物部守屋大連
山口県開運

志都岐山神社

しずきやまじんじゃ

山口県萩市の萩城跡、指月公園内の高台に鎮座する神社。萩藩主毛利家の祖霊を祀り、明治11年(1878年)に山口の豊榮神社・野田神社から分祀するかたちで、萩城本丸跡に創建された。祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の五柱で、あわせて初代秀就から十二代元徳までの歴代萩藩主が祀られている。萩城は慶長9年(1604年)に毛利輝元が築いた居城で、明治7年(1874年)に建物が解体されたのち、その本丸跡が神社の境内として整えられ、総面積およそ20万平方メートルが指月公園として公園化された。境内に自生するミドリヨシノは山口県の天然記念物に指定されている。

所在地
山口県萩市堀内(萩城跡指月公園内)
御祭神
毛利元就、毛利隆元
中国開運

大連神社

だいれんじんじゃ

明治40年(1907年)10月1日、関東州大連市に日本人居留民の総氏神として創建された神社。昭和19年(1944年)に旅順へ官幣大社関東神宮が鎮座するまでは、関東州における中心的な神社として広く崇敬を集めた。昭和20年8月の終戦とソ連軍の進攻を受け、昭和22年(1947年)3月、元宮司の水野久直が御神体と神宝を日本へ持ち帰り、福岡市の筥崎宮に仮奉安した。その後、水野が山口県下関市の赤間神宮宮司に就任したことから、昭和28年(1953年)5月に同社の神苑へ小祠を建てて御神体を遷した。やがて伊勢神宮の式年遷宮に際して古殿一棟を賜り、造営事業を始めて神域を拡張。さらに昭和55年(1980年)、貝島太市より日の本神社の社殿を譲り受け、関門海峡を望む現在地へ永代鎮座した。

所在地
山口県下関市阿弥陀寺町4-1(赤間神宮境内)
御祭神
天照皇大神、大国主大神
アメリカ開運

ハワイ石鎚神社

はわいいしずちじんじゃ

愛媛県西条市の石鎚神社の石土毘古神を祭神として、大正2年(1913年)2月17日に創祀されたと伝えられます。大正6年(1917年)10月22日にはハワイの神社として初めてハワイ県政府から非営利法人の認可を受け、同年11月24日にホノルル市サウス・キング通りの現在地へ遷座しました。昭和2年(1927年)に木村富次が2代宮司となりホノルル神道連盟に加盟。昭和16年(1941年)12月の太平洋戦争開戦にともない木村宮司はFBIと憲兵隊に拘束されてアメリカ本土へ移送され、敵国財産管理局に接収された社殿は昭和29年(1954年)5月に返還されて祭祀が再開されました。昭和35年(1960年)には1階ホールに葵幼稚園を開設(昭和56年閉鎖)、昭和38年(1963年)には広島から宮大工を招いて本格的な社殿を建築し、昭和40年(1965年)には加藤神社を合祀して加藤清正公を相殿に祀っています。

所在地
2020 S. King St., Honolulu, Hawaii, USA(アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市サウス・キング通り2020番地)
御祭神
石鎚毘古命、加藤清正公
長野県開運

安曽神社

あそじんじゃ

創祀年代は不詳です。独鈷山の麓、塩田平の古安曽に鎮座し、鈴子・石神・柳沢の三地区の産土神として崇敬されてきました。社伝では崇神天皇の御代に国家安泰を祈願して各地に社が建てられた際、「阿曾山舎社阿曾大明神」の勅額が奉納されたと伝えます。清和天皇の貞観年間(860年頃)には信濃権守の岑嗣が阿曽山舎社を再建し、仁和4年(888年)にも勅額が奉納されたといいます。寿永年間(1185年頃)に源頼朝が諸国の神社を修理させた折、地頭の芳沢光綱が地主神・石上布留社の境内に社を建てて遷座しました。明治29年9月に郷社に列格。諏訪の神を祀ることから神紋は梶で、境内には二階建ての随身門が残ります。

所在地
長野県上田市古安曽1500
御祭神
健南方富命、大己貴命
系統
出雲
茨城県開運

堀出神社

ほりでじんじゃ

寛文3年(1663年)8月13日、前浜村と平磯村の境界をめぐる争いの折、路上の吹きはげた場所に備前焼の忌垣に囲まれた窪みが見つかり、掘ったところ石室が現れて刀・槍・鉾・矢などが出土したと伝えられます。これらは水戸城へ送られ「磯前明神の本体」と判断されました。地元の願いを受けて岡見吉為が小社を建て、のちに寺社奉行の取り計らいで藩の許可を得て社殿が造営され、寛文11年(1671年)8月13日に遷宮式が行われました。掘り出された御神体にちなむ社名で、学問・厄除けの八幡さまとして信仰されてきました。令和元年(2019年)には境内に黄金の鳥居が連なる「ほしいも神社」が創建され、参拝者を集めています。

所在地
茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178
御祭神
誉田別尊
三重県開運

平群神社

へぐりじんじゃ

創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己貴命、素戔嗚命、大山津見命、倭建命が合祀されました。

所在地
三重県桑名市志知3693
御祭神
平群木菟宿禰、武内宿禰
系統
出雲
三重県開運

比自岐神社

ひじきじんじゃ

創祀年代は不詳で、延喜式神名帳の伊賀国伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社です。祭神の比自岐神は、かつてこの地を治めた伊賀比自岐和気氏の祖神とされ、垂仁天皇の庶子である円目王の妃を出した一族として朝廷とのつながりも伝えられます。天王宮、大森神社という別称もありました。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で社殿をことごとく焼失し、慶長9年(1604年)に再建されています。明治末の一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座していた33社を合祀し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。社前には「右いせみち、左うへの道」と刻まれた道標が残り、伊勢参宮街道の一つが当地を通っていたことを伝えています。

所在地
三重県伊賀市比自岐683
御祭神
比自岐神、天児屋根命
岡山県開運

備中国総社宮

びっちゅうのくにそうじゃぐう

創建年代は不詳ですが、平安時代末期、備中国に赴任した国司が国内すべての神社を巡拝する手間を省くため、国府の近くに国内324社の神々を勧請して祀ったのが始まりと伝えられます。「総社」という地名もこれに由来します。室町時代には細川氏・毛利氏の崇敬を受け、戦火で社殿を焼失したのち正長2年(1429年)に再建。天正年間に再び焼失し、貞享4年(1687年)に再建されると彩色二十四孝の絵馬が奉納され、地元の豪商たちの寄進を集めて栄えました。明治5年(1872年)11月に県社に列格。昭和52年に本殿を焼失しましたが昭和54年に再建されています。境内には長い回廊や出雲式とされる神池・神島、近隣に類を見ない太さのオガタマノキがあり、平成6年には総社(跡)が総社市の重要文化財に指定されました。

所在地
岡山県総社市総社2丁目18-1
御祭神
大名持命、須世理姫命

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。