ご利益

開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中61-80件を表示しています。

三重県開運

名居神社

ないじんじゃ

創祀年代は不詳です。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に大和を中心とする大地震があり、四方に「なゐの神(地震の神)」を祀らせたと記されており、伊賀国におけるその一社が当社であると伝えられてきました。延喜式神名帳の伊賀国名張郡「名居神社」に比定される式内社で、旧社格は村社です。「なゐ」は本来「地」を意味する古語で、近世には地祇大明神・国津大明神と呼ばれ、国津神である大己貴命が主祭神とされるようになりました。元伊勢の伝承地の一つにも数えられます。境内には興玉神社と山神社が祀られ、皇大神宮と橿原神宮の遙拝所も設けられています。

所在地
三重県名張市下比奈知2092
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
茨城県開運

村松大神宮

むらまつだいじんぐう

社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興されて水戸藩主の参拝もありました。近代以降も地域と深く関わり、昭和31年(1956年)以降は日本原子力研究所への用水分水に協力しています。

所在地
茨城県那珂郡東海村村松1番地
御祭神
天照皇大神、天手力男神
沖縄県開運

金武宮

きんぐう

琉球八社の一つに数えられる神社で、独立した社殿を持たず、金武観音寺の境内地下にある鍾乳洞そのものを御神体とする点に大きな特色があります。創建の年代を伝える確かな記録は残っていませんが、『琉球国由来記』の記述から、尚清王の治世にあたる1527年から1555年の間と推定されています。補陀落山を求めて海を渡ってきた日秀上人が琉球各地を巡るなかでこの洞窟を霊地と定め、自ら彫った三尊を権現の正体として祀ったのが始まりと伝えられます。祭神は熊野権現にあたる伊弉冉尊・速玉男命・事解男命です。洞窟は日秀洞と呼ばれ、龍神信仰の地として複数の拝所が設けられてきました。神職を置かず観音寺の住職が管理してきたため、琉球王府からの経済的援助を受けなかった点でも他の琉球八社と異なります。近代の社格制度では無格社に位置づけられました。

所在地
沖縄県国頭郡金武町金武222
御祭神
伊弉冉尊、速玉男命
富山県健康祈願開運

籠渡白山社

かごどはくさんしゃ

富山県に鎮座する白山系の神社です。健康祈願・開運のご利益で知られます。

所在地
富山県南砺市籠渡1183
系統
白山
和歌山県開運

荒島神社

あらしまじんじゃ

紀伊半島中央部、日高川の上流にあたる旧龍神村甲斐ノ川(現在の田辺市龍神村甲斐ノ川)に鎮座する。創建の年代は明らかでない。この一帯は明治22年(1889年)に甲斐ノ川・小家・福井の三地区が合わさって下山路村となった地域で、当社は古くからその氏神として祀られてきた。秋には旧村域の三地区が獅子舞と神輿を繰り出す祭礼が営まれ、山間の集落の結び付きを今に伝えている。なお和歌山県の文化情報アーカイブでは、社名を「荒嶋神社」とも表記する。

所在地
和歌山県田辺市龍神村甲斐ノ川603
島根県開運

由良比女神社

ゆらひめじんじゃ

島根県隠岐郡西ノ島町浦郷に鎮座する式内社で、隠岐国の一の宮とされる。主祭神は須勢理姫命で、地元では由良比女大神と称される。社伝では仁明天皇の承和9年(842年)に官社に預かり、延喜式神名帳に由良比売大明神として載るほか、『袖中抄』や『土佐日記』にもその名が見えるという。承和15年および陽成天皇の元慶元年(877年)には丁重な祈祷が行われ、平安時代末期には隠岐国一の宮と定められた。安政2年(1855年)には島前一統の祭りとすることが決議され、明治5年(1872年)10月に郷社に列した。漁業神・海上守護の神として島内の崇敬を集め、家内安全・海幸守護・海上安全・病気平癒などの御神徳で知られる。

所在地
島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
御祭神
須勢理姫命
熊本県開運

八代神社

やつしろじんじゃ

熊本県八代市妙見町に鎮座し、「妙見宮」の名で親しまれる。社伝によれば妙見神は680年(白鳳9年)の秋、中国の明州から亀蛇(きだ)の背に乗って海を渡り、八代郡竹原津に上陸したと伝えられる。その後、益城郡の千代松峯を経て758年に八代郡横嶽の嶺へ移って上宮が開かれ、795年に桓武天皇の勅願で上宮の社殿が、1160年に二条天皇の勅願で中宮が、1186年に後鳥羽天皇の勅願で下宮が創建されたという。信仰は北極星と北斗七星を仰ぐ星辰信仰に発し、のちに天之御中主神・国常立尊と習合した。1622年には加藤氏により殿宇が造営され、明治初年の神仏分離で白木山神宮寺の十五坊が廃されて八代神社となった。

所在地
熊本県八代市妙見町405
御祭神
天之御中主神、国常立尊
東京都開運

靖國神社

やすくにじんじゃ

明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称して今日に至る。社号には国を靖んじる、すなわち平和な国家を築くという願いが込められている。幕末から明治維新にかけての動乱で国事に殉じた人々をはじめ、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、先の大戦などで国のために命を落とした軍人・軍属のほか、従軍看護婦や学徒、文官、民間人を含む246万6千余柱を祀る。東京都千代田区九段北に鎮座し、境内には戦没者の遺書や遺品を展示する遊就館、資料を所蔵する靖國偕行文庫が置かれている。

高知県開運

山内神社

やまうちじんじゃ

高知市鷹匠町に鎮座し、土佐藩主山内家の歴代当主を祀る。前身は文化3年(1806年)、10代藩主豊策の時に藩祖・山内一豊とその夫人見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るため高知城内に建てられた藤並神社である。明治4年(1871年)の廃藩置県の年、最後の藩主で初代知藩事の山内豊範が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所があった現在地に社殿を造り、3代忠豊から14代豊惇までの霊を祀った。昭和7年(1932年)には幕末維新に功績のあった15代豊信(容堂)と16代豊範を顕彰する神社を新たに造ることとなり、両公を除く歴代藩主の霊を藤並神社へ移したうえで、昭和9年4月に「別格官幣社山内神社」が創建された。昭和20年の戦火で両社とも焼失したが、昭和45年に社殿を再建して藤並神社と合併し、藩祖夫妻以下歴代藩主を合祀した。平成2年には高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷し、平成14年には容堂公の銅像を境内に建立している。

新潟県開運

度津神社

わたつじんじゃ

新潟県佐渡市羽茂飯岡に鎮座し、五十猛命を祭神として、交通の守護神として島民の信仰を集めてきた。延長5年(927年)に完成した『延喜式』神名帳に記載される佐渡の式内社9社の一つで、佐渡国の一ノ宮と称する格式の高い神社である。文明2年(1470年)の洪水によって社地や古文書などが流失したため、現在の位置に移ったとされ、そのため詳しい由緒や縁起は明らかになっていない。境内は鬱蒼とした木々に囲まれ、二之鳥居から神門を経て、菊の御紋を掲げた荘厳な拝殿へと進む構えとなっている。初詣スポットとしても知られ、正月には島内各所から多くの人が参拝に訪れる。

所在地
新潟県佐渡市羽茂飯岡550-4
御祭神
五十猛命
開運

和霊神社

われいじんじゃ

愛媛県宇和島市和霊町に鎮座し、宇和島藩祖・伊達秀宗の家老を務めた山家清兵衛公頼命を主祭神とし、その子の治郎・丹治・美濃、家従の塩谷内匠とその子の帯刀・勘太郎を配祀する。清兵衛公は、宇和島十万石を賜った若い秀宗を案じた伊達政宗が、自らの信頼する家臣として家老に抜擢し随伴させた人物である。相次ぐ戦乱と領主の悪政で疲弊していた宇和島において、藩費の節約、租税の軽減、産業の奨励、武備の充実などを逐次進め、民生を安定させて藩政を大きく刷新した。その徳望が生き神のごとく仰がれた一方で一部の藩士の反感を買い、元和6年(1620年)6月29日夜に凶刃に倒れる。のち藩主・藩士から領民に至るまでその御霊を慰めようと小祠を建て、承応2年(1653年)6月23・24日に朝廷の承認を経て山頼和霊神社として正式に祀られた。昭和20年7月28日の宇和島空襲で社殿を焼失したが、昭和26年に本殿が再建され、日本各地の和霊信仰の総本社として崇敬を集めている。

滋賀県開運

馬見岡綿向神社

うまみおかわたむきじんじゃ

滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命を祀る。社伝では神武天皇の御代に、出雲国から天穂日命に供奉して来た彦健忍雄心命が東方に聳える綿向山に開拓の祖神を迎え祀ったのが起こりで、欽明天皇6年(545年)に山頂へ祠を建てたのが創祀と伝える。平安初期の延暦15年(796年)に里宮として現在地へ遷され、『延喜式』神名帳にみえる馬見岡神社の論社とされる。以来、蒲生上郡の総社・日野の大宮として当地の産土神と仰がれ、鎌倉から安土桃山期にはこの地の領主であった蒲生氏一族が氏神として庇護し、江戸時代には全国に名をはせた日野商人の財力に支えられて出世開運の神として崇敬を集めた。現在の本殿は宝永4年(1707年)に氏子中の寄進により建立されたもの。標高1,110mの綿向山山頂に祀る奥之宮・大嵩神社では、20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が今も続けられている。

所在地
滋賀県蒲生郡日野町村井705
御祭神
天穂日命、天夷鳥命
奈良県開運

畝尾都多本神社

うねおつたもとじんじゃ

奈良県橿原市木之本町に鎮座し、「哭沢の神社(なきさわのもり)」とも呼ばれる。祭神の哭沢女神(泣沢女神)は、『古事記』において国生みの最後の段階で伊邪那美神が火の神・火之迦具土神を生んで亡くなったのを、伊邪那岐神が悲しんで泣いた涙から生まれた女神と伝えられる。当社は社殿(神殿)を持たず、玉垣で囲んだ空井戸を御神体とするのが大きな特色で、境内には末社の八幡神社が鎮座する。また、桧隈女王が「哭沢の 神社に神酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ」と詠んだと伝わる万葉歌碑が境内に建てられている。『延喜式』神名帳の十市郡にもその社名がみえる古社で、天香久山の麓に鎮まる畝尾坐健土安神社とは至近の位置関係にある。

所在地
奈良県橿原市木之本144
御祭神
泣沢女神
奈良県開運

畝尾坐健土安神社

うねおにますたけはにやすじんじゃ

奈良県橿原市下八釣町、天香久山の北西麓・赤埴山の麓に鎮座する。祭神は健土安比売神で、公式には天児屋根命を併せ祀るとする。『延喜式』神名帳十市郡の「畝尾坐健土安神社 大、月次新嘗」に比定される式内大社で、近世には天照大神社と称した(旧村社)。『日本書紀』神武天皇即位前紀には、天皇が天香山の埴土を取って多くの平瓫を造り、自ら斎戒して諸神を祭って国土を安定させ、土を取った所を「埴安」と名づけたとあり、当社はその埴安に鎮まる土の霊とされる。天平2年(730年)には神戸の租稲九十束のうち四束が祭神料に充てられ(『大倭国正税帳』)、天安3年(859年)1月27日に従五位下から従五位上へ昇叙された(『日本三代実録』)。神社と天香久山の間には赤埴山と呼ばれる小丘があり、埴安伝承地の石碑が建つ。令和元年からは天香山神社とともに、神武天皇の埴採りの神話にもとづく神事を毎年斎行している。

所在地
奈良県橿原市下八釣町138
御祭神
健土安比売命
大阪府商売繁盛金運

露天神社

つゆのてんじんしゃ

大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。

所在地
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
御祭神
大己貴大神、少彦名大神
系統
天神
埼玉県厄除け病気平癒

調神社

つきじんじゃ

さいたま市浦和区岸町に鎮座し、地元では「つきのみや」と親しまれる。社伝『調宮縁起』によれば第10代崇神天皇の勅命による創建と伝わり、伊勢神宮へ納める調(貢)物の初穂を収めた倉庫群の中に造営されたため、貢物の搬出入の妨げとなる鳥居を設けないとされる。確かな文献では延喜5年(905年)に編纂が命じられた『延喜式神名帳』に武蔵国四十四座の一社として記載される。御祭神は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊。「調(つき)」が「月」と同じ読みであることから、月の動物とされた兎が神使とされ、中世の月待信仰と結びついて江戸時代には月読社とも呼ばれた。南北朝期の延元2年(1337年)に足利尊氏の命で一色範行が荒廃した社殿を復興し、天正18年(1590年)の小田原兵乱で再び焼失したが徳川家康の関東入部後に再建された。現社殿は安政6年(1859年)竣工の総欅権現造である。

所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
御祭神
天照大御神、豊宇気姫命
系統
八坂
大阪府開運

積川神社

つがわじんじゃ

延喜式内社で、中世以前には和泉国内でも有数の大社として和泉五社の一社に数えられた古社。牛滝川の上流に鎮座し、水利の神として流域の人々の信仰を集めた神社であったと考えられている。現在の本殿は豊臣秀頼が再建したと伝えられ、三間社流造・正面千鳥破風付・桧皮葺の建築で、国の重要文化財に指定されている。このほか鎌倉期の木造男女神像8体と、熊野街道沿いの遥拝鳥居に掲げられ白河院の宸筆と伝わる木造扁額が大阪府指定文化財となっており、淀殿の寄進と伝わる神輿も伝存する。岸和田市域を代表する式内社として、現在も地域の信仰を集めている。

所在地
大阪府岸和田市積川町350
御祭神
生井神、栄井神
和歌山県開運厄除け

鬪雞神社

とうけいじんじゃ

社伝によれば、允恭天皇8年(419)に熊野権現をこの地に勧請し「田辺の宮」と称し奉ったのが起源とされる。別の古文書では天武天皇の時代(684)に十二殿を構え「新熊野證誠十二所大権現」と称したとも伝わり、本殿の裏手にある仮庵山は古くから龍神信仰の中心地、あるいは祭祀の場・御神体として信仰されてきた。平安時代後期には別当・長範によって熊野三所権現が勧請され、1147年に第18代熊野別当・湛快が就任した際には天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称したという。社名は、源平合戦の折に熊野別当・湛増が紅白7羽の鶏を闘わせて神意を占い、白(源氏)が勝ったことから源氏に加勢して熊野水軍を率いたという『平家物語』の故事に由来する。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産に追加登録されており、社殿は国の重要文化財。

所在地
和歌山県田辺市東陽1-1
御祭神
熊野三所神
系統
熊野
奈良県開運

立石海神社

たていしかいじんじゃ

奈良県吉野郡下市町の立石に鎮座する、立石の産土神。下市町の資料によれば、『神社記』の天保3年(1832)6月の調査には、当社の祭神は雨の神として祀られる氏神であり「竜王宮社」と名づけられていたと記され、その後に石神社を合祀して「海神社」と称するようになったと伝えられる。もとは下立石の垣内にあった八大竜王と、上立石字石神にあった石神の二社を合わせ祀ったもので、本殿に向かって右が八大竜王、左が石神であると地元では伝えている。社前の右側には稲荷神社も合祀されている。山上に鎮座する旧村社で、水の神・雨の神への信仰が集落の暮らしと結びついてきた神社である。

所在地
奈良県吉野郡下市町大字立石1260
御祭神
八大龍王
大阪府厄除け病気平癒

須佐之男命神社

すさのおのみことじんじゃ

大阪府に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は須佐之男命、天児屋根命、事代主命。厄除け・病気平癒・開運のご利益で知られます。

所在地
大阪府摂津市千里丘3丁目15-15
御祭神
須佐之男命、天児屋根命
系統
八坂

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。