七五三の祈祷は多くの神社で受け付けていますが、予約の要否・初穂料・祈祷を受けられる時間帯は神社ごとに異なります。11月15日前後は混雑しやすいため、写真撮影や着付けとあわせて余裕のある日程で申し込むと安心です。
七五三の時期・年齢の数え方・初穂料の目安・当日の流れは、詳しい解説記事でまとめています。
公式情報で七五三の祈祷やお祝いに対応していることが確認できる神社を200社紹介。初穂料や予約の要否は神社ごとに異なるため、事前確認の参考にできます。
七五三の祈祷は多くの神社で受け付けていますが、予約の要否・初穂料・祈祷を受けられる時間帯は神社ごとに異なります。11月15日前後は混雑しやすいため、写真撮影や着付けとあわせて余裕のある日程で申し込むと安心です。
七五三の時期・年齢の数え方・初穂料の目安・当日の流れは、詳しい解説記事でまとめています。
この一覧は、公式サイトなどで七五三の祈祷やお祝いへの対応が確認できた神社を掲載しています。掲載されていない神社でも七五三の祈祷を受け付けている場合が多いため、参拝を希望する神社には個別に確認することをおすすめします。
公式情報で七五三との関連が確認できた神社をまとめています。
明治39年(1906年)、出雲大社教の布教のため広島県出身の神職・宮王勝良が渡布し、ホノルルで開教したのが始まりとされる。明治40年(1907年)に最初の社殿が建てられ、大正11年(1922年)には出雲大社を模した大社造の社殿が完成した。太平洋戦争開戦後の1941年、分院長らはFBIに拘束されて米本土に抑留され、教団は解散、社地・社殿は市郡当局の管理下に置かれた。戦後1952年から返還運動が続けられ、1961年に教団側の勝訴によって社殿が戻り、1969年に竣工大祭が斎行された。大國主大神とハワイ産土神を主祭神とし、沖縄県出身移民の氏神など複数の御分霊も合祀する。出雲大社の分社として「出雲大社ハワイ分院」とも称される。
社伝によれば、安閑天皇元年(531年)、物部姓礒部氏がその氏神である経津主神を祀ったことに始まり、後に機織や農耕の神とされる比売大神をあわせ祀るようになったと伝わる。1400年以上の歴史を持つ上野国一之宮で、延喜式にも名神大社として名を連ねる古社である。現在の社殿は寛永12年(1635年)、3代将軍徳川家光の命により造営されたもので、江戸初期の漆塗り極彩色の建築として国の重要文化財に指定されている。参道を上った先の総門から石段を下った位置に社殿が鎮座する、全国でも珍しい「下り宮」としても知られる。
三宅八幡宮は、創建の詳しい年代を伝える記録が残っていないが、江戸時代中期には現在のような姿ですでに存在していたと伝わる。境内には古くから奉納されてきた子育て祈願の絵馬124点が伝わり、2009年3月11日には国の重要有形民俗文化財に指定された。
三嶋大社は大山祇命・積羽八重事代主神を祀る神社。商売繁盛・家内安全のご利益で知られ、不明(奈良時代に記録あり)に創建された由緒ある神社です。
三嶋神社(京都・上馬町)は大山祇大神・天津日高彦火瓊々杵尊・木花咲耶姫命を祀る、京都市東山区の神社。うなぎを神使とする「うなぎ神社」としても知られ、子授け・安産の信仰を集めています。
社伝によれば、上之村神社はもとは久伊豆神社と称し、応永年間(1394~1428年)に忍城主・成田五郎家時によって社殿が再興されたと伝わる。江戸時代には大山祇神を主祭神としていたが、明治2年(1869年)に社名を上之村神社と改め、事代主命を主祭神に、大己貴命・大山祇神を配祀神とするようになった。中世には忍城主成田氏の氏神として栄え、忍城落城後は徳川氏の庇護を受けたとも伝わる。境内には摂社の大雷神社があり、その本殿と上之村神社本殿はともに埼玉県指定有形文化財、参道の木製鳥居は熊谷市指定文化財で市内最大級の規模を誇る。
上杉神社は上杉謙信公を祀る神社。開運招福・諸願成就のご利益で知られ、1871年(明治4年)に創建された由緒ある神社です。
上賀茂神社は賀茂別雷大神を祀る神社。厄除け・方除けのご利益で知られ、678年(天武天皇7年)に創建された由緒ある神社です。
上野天満宮は、平安時代中期に陰陽師・安倍晴明の一族がこの地に住み、菅原道真公を慕ってその御神霊を祀ったことに始まると伝えられる。名古屋三大天神の一社として崇敬され、学問成就・合格祈願の天神信仰を今に伝えている。
下鴨神社は賀茂建角身命・玉依媛命を祀る神社。縁結び・安産のご利益で知られ、紀元前90年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
世良田東照宮は正保元年(1644年)、天海僧正が3代将軍徳川家光の命を受け、日光東照宮から神像・神宝・社殿を移して創建したと伝わる。世良田の地は、徳川家が自らの遠祖と称した新田氏庶流・世良田氏の発祥地とされ、隣接する長楽寺には世良田義季をはじめとする一族の墓所十数基が残る。徳川家にとってゆかりの深い土地であることから、家康公を祀る東照宮が営まれたと伝わる。
大分県中津市の中津城址に鎮座し、「豊前の国のお伊勢様」として親しまれている神社です。伊勢神宮より天照大御神・豊受大御神の御分霊を奉迎鎮祭しており、今も地域の信仰を集めています。
丹生都比売神社は丹生都比売大神等を祀る神社。諸災守護・安産のご利益で知られ、不明(1700年以上前)に創建された由緒ある神社です。
明治天皇崩御の際に殉死した乃木希典大将と乃木静子夫人を祀る神社。1923年創建。乃木将軍の旧邸宅(乃木邸)が境内に保存されている。毎年9月13日の例大祭には多くの参拝者が訪れる。
久伊豆神社は、古くから久伊豆大明神として崇められてきた神社で、大国主命・言代主命を主祭神とする。創建年代は不詳ながら、平安時代中期以降には武士や地域の人々から崇敬を受け、国造り・縁結び・福の神として信仰されてきた。
推古天皇の御代、秦氏の久能忠仁が久能山を開き、観音菩薩を安置する補陀落山久能寺を建てたのが山の歴史の始まりと伝わります。元和2年(1616)に徳川家康公が75歳で没すると、遺命によりこの地に埋葬され、2代将軍秀忠公の命により翌元和3年(1617)に社殿が造営されて東照宮として創建されました。権現造・総漆塗・極彩色の御社殿は、江戸初期を代表する建築として国宝に指定されています。
亀山八幡宮(下関)は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る山口県下関市唐戸地区の八幡宮。勝負運・厄除けのご利益で知られ、関門海峡に近い下関の鎮守として親しまれています。
亀山八幡宮(佐世保)は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后などを祀る長崎県佐世保市八幡町の八幡宮。佐世保中心部に鎮座する、勝負運・厄除けのご利益で知られる神社です。
亀山八幡神社(呉市安浦町)は、広島県呉市安浦町内海北に鎮座する八幡神社。市有形文化財の本殿は江戸初期の特徴を残す、瀬戸内沿岸・島嶼部を代表する建造物です。
亀岡八幡宮(仙台)は、宮城県仙台市青葉区川内亀岡町に鎮座する八幡宮。伊達氏ゆかりの神社で、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祀ります。
亀岡八幡宮(逗子)は、神奈川県逗子市逗子に鎮座する八幡宮。同名の仙台・市谷の亀岡八幡宮や、中津の亀岡八幡神社と区別するため、逗子の地名を付けて整理しています。
太宰府天満宮の神官で菅原道真公の末裔にあたる菅原大鳥居信祐が、正保3年(1646年)に神託を受けて飛梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため諸国を巡ったのち江戸の本所亀戸村にたどり着き、村にあった天神の小さな祠に神像を祀ったのが始まりと伝えられる。四代将軍徳川家綱は明暦の大火からの本所復興事業に際して現在の社地を寄進し、寛文2年(1662年)10月25日、太宰府天満宮にならって社殿・回廊・心字池・太鼓橋が整えられた。古くは「東宰府天満宮」「亀戸宰府天満宮」とも呼ばれ、本社である太宰府天満宮に対して東国天満宮の宗社として崇敬を集めてきた。御祭神は天満大神(菅原道真公)で、相殿に菅原家の祖神である天菩日命を祀る。境内は梅・藤・菊の名所として知られ、季節ごとにまつりが催される。
亀戸香取神社は、東京都江東区亀戸に鎮座する「スポーツ振興の神」として知られる香取神社。経津主神を祀り、勝矢祭の由緒から勝負運・スポーツ祈願で参拝される社です。
弘仁年間(810~824)、嵯峨天皇の勅命により創建されたと伝わります。延喜式神名帳に記された式内社の論社とされ、下総国二宮として朝廷からの崇敬を受けました。江戸時代には徳川家康から朱印地10石が与えられています。治承4年(1180)、当地に住み着いた藤原師経が祖先の藤原時平を相殿に合祀したと伝わり、現在の社殿は安永年間(1772~1781)の再建で、大きな唐破風を持つ権現造です。
五社神社は、曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守により城内に創建されたと伝わります。徳川家康が浜松城主であった天正7年(1579)、秀忠公誕生に際し産土神として崇敬され、翌天正8年(1580)に現在地へ遷座しました。一方の諏訪神社は、延暦10年(791)に坂上田村麻呂が東征の折に創建したと伝え、弘治2年(1556)に曳馬城下へ遷座し、同じく秀忠公の産土神として崇敬されました。両社殿はかつて「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ」と謡われた壮麗な建築でしたが、昭和20年(1945)の戦災で焼失。昭和37年(1962)に両社が合祀され、昭和57年(1982)竣工の現社殿に奉斎されています。
明治5年(1872年)、明治天皇の思し召しにより創建され、翌年に官幣中社に列した神社。祭神の宗良親王は後醍醐天皇の第四皇子で、幼少期に出家して比叡山天台座主を務めたが、南北朝の動乱のなかで還俗し、一品中務卿征東将軍としてこの井伊谷を本拠に50年余りにわたり吉野朝(南朝)のために各地を転戦した。和歌にも秀で、『新葉和歌集』の編纂にあたったほか自撰家集『李花集』を残している。元中2年(1385年)8月10日、73歳でこの地に没したと伝えられる。昭和5年(1930年)には昭和天皇の親拝を受けた。歌才にちなむ学徳成就・合格、逆境を越えて長寿を保った事績にちなむ長寿・除災開運、道開き・交通安全の神として信仰されている。
今戸神社の創建は1063年(康平6年)と伝わる。奥州鎮守府将軍であった源頼義・義家父子が、奥州の安倍貞任・宗任討伐に際して戦勝を祈願し、鎌倉の鶴岡と浅草今之津(現在の今戸)に京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされ、当初は「今戸八幡」と称した。江戸時代には三代将軍徳川家光により官材を賜り、寛永13年(1636年)に再建されている。1937年(昭和12年)に隣接していた白山神社を合祀し、社名を「今戸神社」に改めた。大正12年の関東大震災、昭和20年の東京大空襲でいずれも社殿を焼失したが、昭和46年(1971年)11月に氏子・崇敬者の浄財により現在の社殿が造営された。近年は招き猫発祥の地の一つとされるほか、新選組・沖田総司終焉の地との言い伝えも残るが、後者については異説も指摘されている。
仙台東照宮は徳川家康公を祀る神社。開運・勝負運のご利益で知られ、1654年(承応3年)に伊達忠宗公によって創建された由緒ある神社です。
兵庫県赤穂市の御崎に鎮座する、赤穂市内唯一の延喜式内社。一千年以上前の延喜式神名帳にその名を載せる古社で、主祭神の伊和都比売大神は御崎の地名から「御崎明神」とも称され、朝廷や国司の尊崇を受けたと伝わる。もとは社前沖合の御前岩(八丁岩)の上に祀られていたが、天和3年(1683)に赤穂藩主・浅野長矩が現在地に遷した。海に向かって鳥居が立つ景勝の地にあり、古くから航海安全・大漁祈願の神、また縁結びの神として信仰を集める。境内には恵比須社と金比羅社が祀られている。
伊奈波神社は五十瓊敷入彦命を祀る神社。縁結び・勝負運のご利益で知られ、古墳時代に創建された美濃国三宮の由緒ある神社です。
伊弉諾神宮は、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る淡路国一宮。国生み神話で淡路島を生んだ伊弉諾尊が余生を過ごした幽宮の旧跡と伝えられる。古くから国生みの島・淡路を象徴する神社として崇敬されてきた。
伊佐須美神社は伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命を祀る岩代国一之宮・会津総鎮守。延喜式の名神大社に列し、国幣中社を経て、現在も会津を代表する古社として崇敬されています。
住吉大社は底筒男命・中筒男命を祀る神社。航海安全・お祓いのご利益で知られ、211年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
佐嘉神社は鍋島直正公・鍋島直大公を祀る神社。開運・商売繁盛のご利益で知られ、1884年(明治17年)に創建された由緒ある神社です。
元郷氷川神社は、室町後期に岩槻方の武将・平柳蔵人が武蔵国一宮氷川神社を勧請して創建したと伝えられる。平柳領十五か村の本村であった元郷に社を建て、地域の安寧を祈ったことに始まり、数百年にわたり鎮守として崇敬されてきた。
八坂神社は素戔嗚尊・櫛稲田姫命を祀る神社。厄除け・疫病退散のご利益で知られ、656年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
鳩森八幡神社の創建には、いにしえの瑞祥にまつわる伝承が残る。かつてこの地の森にたびたび瑞雲が現れ、村人が分け入ると多くの白い鳩が西へ飛び立ったといい、この不思議な出来事にちなんで祠が建てられ「鳩森」と名付けられたと伝わる。貞観2年(860年)、関東巡教中の慈覚大師円仁がこの地に立ち寄った際、村民の願いを受けて神功皇后と応神天皇の御尊像を祀り、「正八幡宮」として崇敬されるようになったという。現在も応神天皇・神功皇后の二柱を御祭神とする。社殿は弘化2年(1845年)に上棟した欅造りであったが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、戦後の復興を経て平成5年(1993年)に戦前の姿へと復元された。戦火をくぐり抜けたご神木の銀杏は、今も境内で命をつないでいる。境内には都内最古とされる富士塚(鳩森八幡神社富士塚)や将棋堂もあり、多くの参拝者に親しまれている。
六所神社は、崇神天皇の時代に出雲地方から移住した氏族が柳田郷を開き、祖神である櫛稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊を石神台に祀ったことに始まると伝えられる。古くは柳田大神と称され、相模国府域の信仰を担った。
社伝によると、景行天皇58年に皇子・稲背入彦命が大和国穴師の地に八千矛神を祀ったのが始まりとされる。近江国高穴穂宮への遷都に伴い穴太へ遷り、欽明天皇の御代を経て養老2年(718年)、現在の野洲市五条の地に社殿を造営し鎮座したと伝わる。御祭神の八千矛神は大国主神の別名で、手名椎神・足名椎神を配祀する。延喜式神名帳に名神大社として名を連ねる古社で、近江国屈指の格式を誇り、1915年には県社に列せられた。境内の鳥居と楼門は足利尊氏の寄進と伝えられ、平安時代の作庭とされる池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されている。2018年には鎮座1300年の節目を迎えた。
岡山市北区高松稲荷に所在する日蓮宗の寺院で、正式には最上稲荷山妙教寺と称し、最上尊信仰発祥の地・総本山とされる。寺伝では天平勝宝4年(752年)、報恩大師が孝謙天皇の病気平癒を祈願した際に、白狐に乗った最上位経王大菩薩が背後の山中にある八畳岩へ降臨したと伝える。延暦4年(785年)には桓武天皇の病気平癒祈願が成就し、勅命によって現在地に龍王山神宮寺が建立された。その後、備中高松城の水攻めによって伽藍を焼失したが、慶長6年(1601年)に花房公が日円聖人を招いて復興させた。明治の神仏分離令に際しては特別に神仏習合の祭祀形態が認められたため、鳥居や神宮形式の本殿など、神仏習合時代の姿を数多く今に伝えている。祈祷本尊の最上位経王大菩薩は五穀豊穣・商売繁盛・開運など多くの福徳を備えるとされ、1200年以上にわたって信仰を集めてきた。
出雲大社は大国主大神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、神代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
出雲大神宮は、丹波国一宮として崇敬される古社。大国主命と三穂津姫命を主祭神とし、社伝では出雲信仰と深く関わる元出雲の社として伝えられている。御蔭山を神体山とし、古くから縁結び・長寿・金運の信仰を集めてきた。
函館八幡宮は品陀和気命・住吉大神を祀る神社。厄除け・航海安全のご利益で知られ、1445年(文安2年)に創建された由緒ある神社です。
前鳥神社の社名は、平安以前の地名「さきとり」に由来するとされる。奈良時代の天平7年(735)の記録に大住郡埼取郷が見え、畿内から移り住んだ氏人が御祭神の遺徳を偲び、清浄な地に祀ったことが始まりと考えられている。
劔神社は素盞嗚大神を祀る越前二の宮。奈良時代より祈願の霊場として尊ばれ、織田信長公が氏神として崇敬した社としても知られる。
北口本宮冨士浅間神社は木花開耶姫命・天孫彦火瓊瓊杵尊を祀る神社。安産・火防のご利益で知られ、110年(景行天皇40年)伝承に創建された由緒ある神社です。
北野天満宮は菅原道真公を祀る神社。学業成就・厄除祈願のご利益で知られ、947年(天暦元年)に創建された由緒ある神社です。
千葉神社は、平安時代に関東を治めた武将・平良文が妙見菩薩(北斗妙見)に篤く祈願し、戦のたびに加護を得たと伝わることに始まる。良文を祖とする千葉氏の三代目・平忠常が、長保2年(1000年)に香取山の一画に妙見の分霊を祀る祠を建て、「北斗山金剛授寺」として中興したのが起源とされる。第66代一条天皇が眼病平癒を祈願したところ回復したとの言い伝えから、勅願所として綸旨と寺号を賜ったという。千葉氏と縁の深い源頼朝は自筆の願文や太刀を奉納して武運を祈り、日蓮上人も参籠して妙見を法華経守護の神と讃えたと伝わる。徳川家康も篤く崇敬し、社領二百石を寄進するとともに、十万石の大名に準じる格式を与えたとされる。明治2年(1869年)の神仏分離令により、長く続く妙見大祭の神輿渡御の様式を保つため「千葉神社」と改称し、今日に至る。
南宮大社は金山彦命を祀る神社。金運・金属業守護のご利益で知られ、神代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
厳島神社は宗像三女神を祀る神社。海上安全・交通安全のご利益で知られ、593年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
吉備津彦神社は大吉備津彦命を祀る神社。厄除け・五穀豊穣のご利益で知られ、推古天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
吉備津神社は大吉備津彦大神を祀る神社。安産・長寿のご利益で知られ、仁徳天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
善知鳥神社は宗像三女神(多紀理毘売命・市寸島比売命を祀る神社。交通安全・海上安全のご利益で知られ、大同年間(806年 - 810年)に創建された由緒ある神社です。
主祭神は南北朝時代の武将・楠木正行で、正平3年(1348)の四條畷の戦いで正行とともに殉じた一族・将士24柱を配祀する。正行は楠木正成の嫡男で、「小楠公」とも呼ばれる。伝えによれば、正行は吉野で後村上天皇に拝謁したのち、如意輪堂に一族の名と辞世の歌を記して出陣し、高師直の軍と戦って弟の正時と刺し違え、23歳で没した。明治に入り、住吉平田神社の神主・三牧文吾らがこの地に神社の創建を願い出て、明治22年(1889)に勅許と社号が下された。地元の人々は境内地や金品を寄進し、土運びや石積みにも奉仕して、明治23年4月5日に鎮座祭が行われた。飯盛山の麓に鎮座し、山頂には出陣する姿の正行の銅像が立つ。
土佐国一之宮の土佐神社は味鋤高彦根神・一言主神を祀る神社。縁結び・国家安泰のご利益で知られ、崇神天皇の時代に創建された由緒ある神社です。
報徳二宮神社は、二宮尊徳翁を祀る小田原城址の神社。明治27年(1894)に尊徳翁の遺徳をたたえて創建され、明治42年に本殿・幣殿を新築し、拝殿改築と神苑整備で現在の社地景観を整えた。平成6年には創建百年記念奉告祭を斎行した。
多度大社は天津彦根命を祀る神社。雨乞い・厄除けのご利益で知られ、雄略天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
西暦580年頃の創建と伝えられる和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつ。主祭神の多治速比売命は女神で、厄除・安産・縁結びの神として崇敬が篤く、本殿には素盞嗚尊と菅原道真公も合わせ祀られている。現在の本殿は天井裏の墨書や棟札から天文10年(1541)の再建と分かる室町時代の建造物で、龍・雲・波・海藻・貝類などの精緻な彫刻で知られ、昭和24年(1949)に国の重要文化財に指定された。境内には坂上社・鴨田社など多数の末社があり、あわせて荒山宮(こうぜんのみや)と呼ばれる。昭和38年(1963)の泉北ニュータウン造成に伴い境内が整備され、神社周辺は堺市の荒山公園として約50品種・約1,100本の梅林が広がる梅の名所となっている。
天慶元年(938)、武蔵介に任ぜられた源経基が国土豊穣・万世安穏を祈願するため、近江の多賀大社から分祀し勧請したと伝わる。文応元年(1260)には北条時頼が巡行の折にこの地で病に倒れ、古鏡を奉納して祈願したところ治癒したことから、社領七反歩を寄進して祈願所としたという。祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊の夫婦神で、良縁成就や子孫繁栄などの御神徳で知られる。明治26年(1893)に郷社へ昇格。新選組(甲陽鎮撫隊)解散の地としても知られ、境内には樹齢400年余の大銀杏の御神木がそびえる。8月の例大祭は八幡・八雲神社の「下の祭」に対して「上の祭」の別名で親しまれ、八王子まつりでの渡御で有名な宮神輿「千貫神輿」(市指定有形文化財)を有する。
延暦3年(784年)、桓武天皇の長岡京遷都に際し、藤原氏の氏神である奈良・春日大社の神々を小塩山の東麓のこの地に祀ったのが始まりとされ、「京春日」の別称をもつ。平安京へ遷都した後も朝廷の崇敬は続き、国家の大事に奉幣を受ける二十二社の一つに数えられた。嘉祥3年(850年)には、藤原冬嗣を祖父にもつ文徳天皇が社殿を造営し、翌仁寿元年(851年)に初めて勅祭が行われて、春秋二季の祭典が定められた。藤原氏の娘が后妃となるよう祈る社でもあり、寛弘2年(1005年)には中宮彰子が父・藤原道長や紫式部らを伴って参詣したと伝わる。本殿四殿に建御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比賣大神を祀り、紫式部の氏神の社としても知られる。
大和神社は、日本大国魂大神・八千戈大神・御年大神を祀る大和の古社。古代から朝廷の祭祀に関わり、国家鎮護の神として崇敬された。戦艦大和ゆかりの社としても知られ、現在も大和国の古い信仰を伝えている。
大宮氷川神社は素戔嗚尊・奇稲田姫命を祀る神社。縁結び・家内安全のご利益で知られ、紀元前473年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
大崎八幡宮は応神天皇・仲哀天皇を祀る神社。厄除け・必勝祈願のご利益で知られ、1607年(慶長12年)に創建された由緒ある神社です。
兵庫県赤穂市、旧赤穂城内の大石内蔵助屋敷跡に鎮座する神社。明治天皇の宣旨を契機として明治33年(1900年)に神社創立が公許されたが、造営資金が集まらず着工は明治43年(1910年)にずれこみ、大正元年(1912年)11月に四十七義士命を祀る神社として鎮座した。主祭神は大石内蔵助良雄以下四十七義士命と、討ち入り前に自刃した中折の烈士・萱野三平命。あわせて赤穂藩主浅野長直・長友・長矩の三代と、その後に赤穂を治めた森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀する。大石邸庭園には、元禄7年(1694年)に大石内蔵助が笠間から勧請したと伝える大石稲荷社が鎮座する。かつて藩民の信仰を集めた七つの古社は平成12年(2000年)に境内社合祀殿へまとめられ、山鹿素行命を祀る山鹿社や天満宮、八田社などが並ぶ。大願成就の神として広く信仰を集めている。
三輪山を御神体とする日本最古の神社のひとつ。本殿を持たず、拝殿から三輪山を直接拝む形式をとる。大物主大神を祀り、酒造りの神としても知られる。創建は有史以前とされる。
大阪天満宮は菅原道真公を祀る神社。学業成就・厄除けのご利益で知られ、949年(天暦3年)に創建された由緒ある神社です。
大鳥神社は、東京都目黒区下目黒に鎮座し、目黒区内で最も古い祈願所の一つとされる神社である。社伝によれば、景行天皇の御代にすでに国常立尊を祀る社がこの地にあり、その後、東国平定に向かった日本武尊がこの地に立ち寄って戦勝と部下の眼病平癒を祈願したところ願いがかなったという。日本武尊の没後、その御霊が白鳥となってこの地に舞い降りたと伝わることから「鳥明神」として祀られるようになり、大同元年(806年)に社殿が造営されたとされる。御祭神は日本武尊を主神とし、国常立尊・弟橘媛命を相殿に祀る。室町時代に描かれた最古級の江戸図とされる「長禄の江戸図」にも「鳥明神」の名で記され、江戸時代には江戸近郊の主要な九社「江戸九社」の一つに数えられた。社紋には鳳凰が用いられている。
大鷲神社は「花畑おとりさま」の名で親しまれ、酉の市発祥の地として知られる。創建の年代は定かではないが、平安時代後期、奥州へ向かう新羅三郎源義光がこの社前で戦勝を祈願したとの伝承が残る。応徳年間(1084年頃)から、酉の日に行われる祭礼が賑わいを見せるようになったと伝わり、江戸時代には花又村の鎮守として崇敬を集めた。祭神である日本武尊の命日が11月の酉の日にあたると伝えられることから、この日に神恩感謝の祭りが営まれるようになり、後に近隣の農民が鎮守に鶏を奉納した収穫祭という形で発展したとされる。この門前で開かれた市が、現在全国各地で行われている「酉の市」の起源になったといわれている。
大麻比古神社は大麻比古大神・猿田彦大神を祀る神社。方除・厄除のご利益で知られ、神武天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
太宰府天満宮は菅原道真公を祀る神社。学業上達・厄除けのご利益で知られ、919年(延喜19年)に創建された由緒ある神社です。
宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建の由来になったと伝える。京都府の説明によれば、本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材を用いた一間社流造の三殿からなり、神社建築としては日本最古の本殿とされる。拝殿(国宝)は鎌倉時代前期に伐採された桧を使った優れた建物遺構である。「古都京都の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。御神徳は学業成就・武運隆昌・家内安全で、祭神名の「菟」にちなみうさぎの授与品でも知られる。
社伝によれば、天平感宝元年(749年)、孝謙天皇の勅願所として創建されたと伝わる、古い歴史を持つ神社である。「厄除八幡」「厄神さん」の通称は、神護景雲3年(769年)の故事に由来する。宇佐八幡宮への勅使として派遣された和気清麻呂が、道鏡の放った刺客に襲われた際、どこからか現れた巨大な猪が清麻呂を守り難を逃れさせたと伝えられ、これにちなみ厄除けの神として篤く信仰されるようになった。村上天皇の勅宣を受け、応和年間(961〜964年)には大規模な社殿の造営が行われたが、天正6年(1578年)の三木合戦の兵火により焼失。現在の社殿は天正16年(1588年)に再建されたものである。主祭神は品陀別命(八幡大神)で、脇座に息長足媛命・仲姫命を祀る。
宮地嶽神社は息長足比売命・勝村大神を祀る神社。開運・商売繁盛のご利益で知られ、約1700年前(伝承)に創建された由緒ある神社です。
宮崎神宮は神日本磐余彦天皇(神武天皇)を祀る神社。開運・国家安泰のご利益で知られ、神代の時代の創建とされる由緒ある神社です。
寒川神社は寒川比古命・寒川比女命を祀る神社。八方除・厄除けのご利益で知られ、雄略天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
小国神社は、大己貴命を祀る遠江国一宮。欽明天皇16年(555)の鎮斎と伝えられ、遠江国の総鎮守として崇敬された。広大な社叢に鎮座し、縁結び・開運・産業守護の神として信仰を集める。
武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。
居多神社は越後国一宮として知られる古社で、大国主命・奴奈川姫・建御名方命・事代主命を祀る。弘仁四年(813)に朝廷から従五位下、貞観三年(861)には従四位下を賜り、延長五年(927)の延喜式神名帳にも記載された式内社である。中世以降は越後国司や越後守護上杉家、上杉謙信からも篤く保護され、越後一宮として崇敬を集めてきた。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が越後に配流された際、上陸してまず参拝したと伝わる神社としても知られ、境内には聖人にまつわる「越後七不思議」の一つ、片方にしか葉を付けない片葉の葦が群生する。
京都市北部の京北地域、旧山国郷に鎮座する延喜式内社です。社伝では光仁天皇の宝亀年間(770〜780)の鎮座と伝えられ、延暦13年(794)の平安遷都にあたって大内裏造営の用材がこの郷から徴されたため一帯が御杣料地と定められ、修理職の官人が本殿を造営し、和気清麻呂が祭主を務めたといいます。以後、大嘗祭の悠紀殿・主基殿の用材を調える役も担いました。長和5年(1016)には三条天皇から正一位を賜り、御祈願所として菊花の紋章を許されたと伝わります。源平の争乱や元弘の乱でたびたび社殿を失いましたが、細川頼之の執奏により応永6年(1399)に復旧し、このとき足利義満が奉納した丸に二つ引きが以後の神紋となりました。慶長元年(1596)に後陽成天皇によって再建され、明治6年(1873)に郷社、明治33年(1900)に府社へ列格。幕末に官軍として東征した山国隊ゆかりの社としても知られます。
崇徳天皇の永治元年(1141年)、摂津国の住人で現在の宮司家の祖にあたる小山田清寧が勧請したと伝えられる。元亀2年(1571年)、その子孫が御神体を奉じて平泉へ向かう途中に小牛田で宿を取ったところ、御神体を持つ者が動けなくなり、この地に鎮まることを望んでいると考えて住み着いたという口伝が残る。天正3年(1575年)に祠を建てて御神体を鎮め、寛文2年(1662年)には仙台藩が小牛田駅を開くのに合わせて間口9間・奥行4間の社殿を造営し遷座した。1700年代には男性中心の山神代参講と女性中心の山神代参婦人講が結ばれ、安産・子授けの神として東北一円から北海道まで信仰が広がった。明治41年の大火で全焼した後、大正6年(1917年)に現在の斎の台へ遷座している。
岸和田城の東側に鎮座する城下の総鎮守。南北朝時代に京都の八坂神社から素戔嗚尊を勧請して牛頭天王社と称し、岸和田村の鎮守としたのに始まると伝わる。のちに小出秀政が岸和田城を築いた際に八幡大神(品陀別命)を合祀し、明治維新に際して岸城神社と改称した。岸和田だんじり祭の起源には諸説あり、当社は延享2年(1745)に町方が当社の祭礼へ献灯提灯を揚げたことに始まると伝えて「岸和田祭発祥の宮」と称している。宮入りでは、こなから坂を駆け上がるだんじりの姿が名物となっている。岸和田城の別名・千亀利(ちきり)城にちなみ、縁結びの神としても信仰される。
川越氷川神社は素盞鳴尊・奇稲田姫命を祀る神社。縁結び・夫婦円満のご利益で知られ、541年(欽明天皇2年)伝承に創建された由緒ある神社です。
市谷亀岡八幡宮は、東京都新宿区市谷八幡町に鎮座する八幡宮。文明11年(1479年)に太田道灌が江戸城西方の守護として鶴岡八幡宮の分霊を勧請したことに始まります。
社伝では第十一代垂仁天皇の御代の創建と伝え、延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳に武蔵国多摩郡の式内社として名を連ねる多摩地方有数の古社である。当初は少名毘古那神一柱を祀っていたが、文明9年(1477)に多摩川の洪水を避けて「古天神」と呼ばれる旧地から現在地へ遷り、そのとき菅原道真公を配祀した。江戸時代に甲州街道が整備されると上石原・下石原・上布田・下布田・国領の五宿が成立し、当社はその総鎮守として「五宿天神」と崇められた。明治22年(1889)に布田五宿が飛田給・上ヶ給と合併して調布町となってからは、調布町の総鎮守となっている。境内には豊臣秀吉が発した「太閤の制札」が伝わる。
常磐神社は、水戸藩主の徳川光圀公と徳川斉昭公を祀る神社。明治初年に両公の遺徳を慕う人々により創建され、明治6年に県社、のち別格官幣社に列した。偕楽園に隣接し、水戸学と水戸藩の歴史を伝えている。
常陸国出雲大社は大国主大神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、1992年(平成4年)に創建された由緒ある神社です。
平塚三嶋神社は大山祇命・事代主大神を祀る、神奈川県平塚市夕陽ケ丘の神社。湘南のえびす様として親しまれ、商売繁盛・家内安全・開運招福の信仰を集めています。
天平年間、遠江国司であった桜井王が国の安寧と繁栄を祈願し、国府庁舎内に八幡神を祀ったのが始まりと伝わる。延喜式内社には数えられなかったものの、歴代の国司に守られ続けてきた。中世には足利氏や今川氏からも篤い崇敬を受け、徳川家康は磐田御殿での鷹狩りの折に参詣し、関ヶ原合戦への出陣に際してもこの地から発したと伝えられる。江戸時代には2代将軍徳川秀忠が鳥居を、末娘の東福門院が本殿を寄進するなど幕府とも縁が深く、寛永12年(1635)には現在の楼門と社殿が再建された。明治22年の鉄道開通以降は中泉の総氏神として、今も地域の人々に守られている。
広島県廿日市市の篠尾山に鎮座する天満宮。承久2年(1220年)に藤原親実が厳島神社の神主として着任し、守護神として天神を祀ったことに始まり、天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を勧請して篠尾山に社殿を構えたと社伝は伝える。親実は厳島神社の造営のため鎌倉から多くの職人を伴っており、その子孫がこの地に定住したことが廿日市の町の発展の基礎になったとされる。慶安5年(1652年)には町民から寄進を集めて社殿が再建された。明治17年(1884年)の火災で社殿を焼失したが、明治22年(1889年)に再建され現在に至る。学問の神である菅原道真を祭神とすることから、合格祈願の参拝者が多い。
平安時代初期、坂上田村麻呂が東夷東征の折に岩木村へ宇佐八幡宮の分霊を勧請し、戦勝を祈願したのが始まりと伝わる。御祭神は誉田別命・息長足姫命・比売女神。慶長十七年(1612)、二代藩主津軽信牧の治世に、それまで大浦城の鎮守として崇められていた八幡宮が現在地へ遷座した。本殿と唐門は桃山様式を伝える代表的な神社建築として昭和十一年に国宝指定を受け、現在は国の重要文化財に指定されている。
彌彦神社は天香山命を祀る神社。縁結び・仕事運のご利益で知られ、和銅年間(708年 - 715年)以前に創建された由緒ある神社です。
創立の年月は火災で記録を失い不詳。社伝によれば、神功皇后が西征の途中に二見浦へ船を寄せて船子を集め兵糧を調えた際、土地の人々が食物を献じたことに由来し、神饌を調える場所を意味する「御厨」が社名になったと伝える。伊勢神宮の御厨(荘園)であったとする説もある。貞観年間(859〜877)に八幡宮を勧請し、延喜元年(901)に大宰府へ左遷される途上の菅原道真が船を二見浦へ寄せて社地に上陸したという所縁から、寛和年間(985〜987)に天満宮を勧請したと伝わる。長暦年間(1037〜1040)に現在地の「卯の花の森」へ遷り、以後は誉田別命・菅原道真・素盞嗚命の三座を相殿に祀る。道真が一夜を明かしたという「仮寝の岡」の伝承が残り、船頭や回船業者など海運関係者の信仰も集めてきた。境内には紅梅・白梅があり、紅梅は2月上旬から中旬、白梅は2月中旬から3月上旬に見頃を迎える。
社伝では天文4年(1535年)ごろ、嶺村の鎮守として創祀されたと伝えられます。当初は小さな祠でしたが、江戸時代後期の天保年間(1830〜44年)に木曽御嶽山で修行した一山行者がこの地を訪れ、当社が木曽御嶽大神の示現の社であることを説いて信仰を広めました。一山行者は木曽御嶽講の四代目行者に数えられ、その教化によって江戸から関東一円に崇敬者が急増し、天保2年(1831年)に現在の社殿が建立されています。「嶺の御嶽神社に三度参れば木曽御嶽山に一度参ったのと同じ」と言われるほど賑わったと伝わります。御祭神は国常立命ほかで、社殿は彫工・藤原篤意による九面の彫刻が背面と側面を飾り、浦島太郎や養老の滝など、仁義礼智信忠孝悌になぞらえた説話が刻まれています。
『播磨国風土記』にその名が見える式内社で、祭神は大国主神の別名とされる葦原志許男神を祀る。社名は、祭神がこの地に杖を刺し植えて形見(御形見)としたという伝承に由来すると伝わり、但馬の神・天日槍命と境を定めたという説話でも知られる。若き日に根の国での試練を乗り越えた祭神の神話にちなみ、人生の節目や試練の折に心を鎮めて新たな歩みを祈る社として崇敬されてきた。室町時代後期に建立された本殿は国の重要文化財に指定されている。
千葉県船橋市前原に鎮座し、素戔嗚尊を祀る。前原は成田街道沿いに開かれた近世の村で、摂津国出身の天野四郎兵衛が開墾請負人となり、延宝元年(1673)に代官伊奈忠常の検分を受けて開村した。開拓当初の暮らしは厳しく、上東野新助が江戸鍛冶橋の行者・釈仙竜を伴って大和の大峰山から蔵王権現を勧請し、前原開拓地3か村の守護神として祀ったのが当社の起こりと伝わる。明治維新の際に蔵王権現の名を改めて御嶽神社となった。御神体である木造蔵王権現三尊立像は鎌倉時代中期以前の造像とみられ、昭和33年(1958)に千葉県の有形文化財に指定されている。社殿は火災と再建を経て現在に至り、前原地区の氏神として親しまれている。
和銅二年(709)、東国鎮護の神として祀られたのが始まりと伝わり、延喜式内社の稗田神社にあたるとも伝えられる。幾度かの遷座を経て寛永五年(1628)に現在地へ鎮座し、明治三十年に御田八幡神社と改称された。三田・高輪・芝浦・港南一帯の氏神として、1300年を超える歴史の中で地域の信仰を集め続けている。
創建については諸説あり、御香宮縁起では貞観四年(862)に境内から香りのよい水が湧き出た奇瑞により清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと伝え、一方で弘仁十四年(823)に神功皇后の神託によって創建されたとも伝わる。主祭神の神功皇后は応神天皇の生母で、安産・子育ての神として篤く信仰される。天正十八年(1590)には豊臣秀吉が戦勝祈願のため太刀と願文を奉納し社領を寄進、慶長十年(1605)には徳川家康が社殿を再興した。元和八年(1622)には水戸徳川家初代の徳川頼房が伏見城の大手門を表門として寄進しており、現在の本殿・拝殿は江戸初期の建築として重要文化財に指定されている。
四日市市羽津の氏神で、罪・穢れを祓い去る祓戸四神の一柱である気吹戸主神を主祭神とし、伊邪那岐命・伊邪那美命ほか九柱を合わせ祀る。社伝では垂仁天皇の御代の鎮座と伝え、古くは「高野御前」と称した。壬申の乱の際、のちの天武天皇が吉野から桑名へ向かう途次、迹太川のほとりで伊勢の皇大神宮を遥拝し、その際に「シデ」(御幣)を垂らして禊祓いを行ったことから「志氐」の名が起こり社名になったと伝わる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に載る式内社で、明治維新までは羽津・吉沢・別名・八幡・鵤の各村の総社とされた。明治6年に郷社、明治39年に神饌幣帛料供進社と定められ、明治40年以降は白須賀の神明社・住吉社、八幡の八幡神社、別名の長谷神社・荒神社など周辺各字の神社を合祀した。昭和6年には県社に列している。
成海神社は日本武尊を主祭神とし、宮簀媛命・建稲種命を配祀する名古屋市緑区の古社。熱田神宮の東に位置することから「東宮大明神」とも呼ばれ、鳴海の産土神として崇敬されてきた。
大分県竹田市拝田原に鎮座し、通称「こうとうさま」と呼ばれる稲荷社。保食大神を主神に、猿田彦神・大宮女命を祀る。稲荷神社としての創祀は元和2年(1616)と伝え、400年を超える歴史を持つ。それ以前からこの地に「こうとうさま」の信仰があったとされ、近隣には1500年ほど前の横穴墓群が残る。江戸時代、岡藩12代藩主・中川久昭が江戸屋敷で「稲荷狐頭源大夫」と名乗る神霊の告げを受けて危難を免れたと伝えられ、その縁で中川氏から「扇の森」の社号を賜り、扇森稲荷神社と称するようになった。佐賀県の祐徳稲荷神社、熊本県の高橋稲荷神社とともに九州三大稲荷の一つに数えられる。国道57号沿いに立つ高さ17mの大鳥居は大分県内で最も高く、地域のランドマークとなっている。
大山積神は古くからこの地に鎮まり、和銅2年(709)8月に雷神・高おかみ神が大三島から迎えられて以来、郡一の宮として崇められてきたと伝わる。この三柱を祭神とし、健御名方神を相殿に祀る。
新田神社は、神亀山(しんきさん)と呼ばれる亀の形をした山の上に鎮座する。社伝によれば、天照大神から地上を治めるよう命を受けた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂峰に降臨したのち川内の地に至り、「千台(せんだい)」と呼ばれる高殿を築いて住まったと伝わり、これが「川内」の地名の由来とされる。また瓊瓊杵尊が川内川から水を引いて新しく田を開いたことにちなみ、「新田」の社号が付けられたという。平安時代の古文書には「新田宮」の名で登場し、承安三年ごろの火災で社殿を焼失した後、山頂に再興されたと伝わる。慶長年間には島津義久によって現在の社殿の基が造営され、明治18年には国幣中社に列せられた。大正9年には皇太子時代の昭和天皇が参拝し、以後も皇族の参拝を重ねている。
文安元年(1444年)、伊勢神宮を篤く信仰していた太田黒孫七郎が天照大神の託宣を受け、翌文安2年(1445年)に伊勢の神を当地へ勧請して創建したと伝わる。孫七郎は菊池氏六代隆直の末裔とされ、伊勢へ足しげく参宮したことから「飛行孫七郎」と呼ばれた逸話が残る。天正年間(1573〜1592年)に佐々成政によって社殿が焼かれたが、のちに加藤清正が再興して崇敬を寄せ、細川家の代になると手厚い保護を受けた。幕末には思想家の林桜園がこの宮を深く崇敬し、宮部鼎蔵ら門下生も信仰を注いだ。敬神党(神風連)の首領・太田黒伴雄が祠官太田黒伊勢守に入婿して神主を務め、神風連の変の挙兵にあたって神意を問う宇気比が行われた社でもある。境内には伴雄が身を清めたと伝わる「みそぎの井戸」が残る。旧社格は郷社で、地元では「伊勢宮さん」と親しまれている。
日光二荒山神社は二荒山大神(大己貴命・田心姫命を祀る神社。縁結び・安産のご利益で知られ、767年(神護景雲元年)に創建された由緒ある神社です。
日光東照宮は徳川家康公を祀る神社。大願成就・厄除けのご利益で知られ、1617年(元和3年)に創建された由緒ある神社です。
弘仁8年(817年)、東国への布教のため東山道を下った伝教大師最澄が、地元郡司の帰依を受けて近江・日吉大社の大宮(大己貴大神)・二宮(大山咋大神)・宇佐宮・樹下宮の四社を勧請し創建したと伝えます。のちに慈覚大師円仁が客人宮・牛尾宮・三宮の三社を加え、山王七社として七柱を祀る形が整いました。平安期以降は延暦寺領・平野荘の鎮守として崇敬を集め、岐阜県独自の社格である金幣社に列しています。室町時代後期に建てられた三重塔は国の重要文化財、本殿は岐阜県指定重要文化財で、神輿および百八燈明台は岐阜県指定重要有形民俗文化財。三重塔は令和6年(2024年)7月に火災で被災しましたが修復工事が行われ、令和8年(2026年)3月に修復完了報告祭が営まれました。
日枝神社は大山咋神を祀る神社。厄除け・安産のご利益で知られ、1478年(文明10年)伝承に創建された由緒ある神社です。
明治神宮は明治天皇・昭憲皇太后を祀る神社。家内安全・縁結びのご利益で知られ、1920年(大正9年)に創建された由緒ある神社です。
春日大社は武甕槌命・経津主命を祀る神社。国家無事・交通安全のご利益で知られ、768年(神護景雲2年)に創建された由緒ある神社です。
普天満宮は普天満女神(熊野権現)を祀る神社。縁結び・航海安全のご利益で知られ、琉球王国時代に創建された由緒ある神社です。普天満宮洞穴は天然の鍾乳洞。
有鹿神社は、奈良・平安のころ相模国府を守護する神社として広い社地と社殿を有したと伝えられる。室町期の戦乱で荒廃したが、海老名耕地の用水を守る水引祭の復興を通じて再び崇敬を集め、海老名総鎮守として信仰されてきた。
札幌八幡宮は応神天皇・神功皇后を祀る神社。厄除け・勝負運のご利益で知られ、1878年(明治11年)に創建された由緒ある神社です。
社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興されて水戸藩主の参拝もありました。近代以降も地域と深く関わり、昭和31年(1956年)以降は日本原子力研究所への用水分水に協力しています。
来宮神社は大己貴命・五十猛命を祀る神社。縁結び・禁酒禁煙のご利益で知られ、和銅年間(708年 - 715年)伝承に創建された由緒ある神社です。
東京大神宮は天照皇大神・豊受大神などを祀る神社。縁結び・家内安全のご利益で知られ、1880年(明治13年)に創建された由緒ある神社です。
松原八幡神社は、天平宝字7年(763年)に妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と記された霊木を拾い上げ、それを祀ったことに由来すると伝わる。宇佐神宮からの勧請とされ、平安時代には松原荘が石清水八幡宮の社領となり、その別宮として位置づけられた。中殿に品陀和気命(応神天皇)、左殿に息長足姫命(神功皇后)、右殿に比咩大神(比咩三神)を祀る。
松尾大社は、大山咋神と市杵島姫命を祀る京都西部の古社。古代には松尾山の磐座を神体として祀った信仰に始まるとされ、大宝元年(701)に秦忌寸都理が社殿を造営したと伝えられる。平安京遷都後は王城鎮護の社として崇敬された。
社伝では鎌倉時代の文暦元年(1234年)に京都・松尾大社の御分霊を勧請して創建したと伝える。旧来は「田中社」「田中の神社」などとも称された。戦国時代には小田原北条氏の勇将・北条綱成の崇敬が篤く、江戸時代に大山詣りが盛んになると、その道中に当社へ立ち寄って参拝する慣習が生まれた。祭神の大山咋神は治水・開拓・土木・建築・商業・養蚕・醸造・酒造など諸産業の祖神として崇められ、現在も技工職能の向上、山川開拓の守護の神社として親しまれている。末社には地神・疫神・疱瘡神の三柱を祀る。
河内国一之宮とされる枚岡神社の起こりは、神武天皇の即位3年前と伝わる。東征の途上、天皇の命を受けた天種子命が国土平定を祈り、霊地とされる神津嶽(かみつだけ)に磐境を設けて天児屋根命と比売御神を祀ったのが始まりという。白雉元年(650)に平岡連らによって山麓の現社地へ遷り、神護景雲2年(768)に二神が春日の地に迎えられて春日神社(現・春日大社)に祀られたことから「元春日」と呼ばれる。宝亀9年(778)には春日から武甕槌命と経津主命(斎主命)を迎えて四殿となった。延喜式神名帳では名神大社に列し、明治4年(1871)に官幣大社となっている。鎌倉時代には西大寺の叡尊が蒙古襲来に際して当社で敵国降伏を祈ったと伝えられる。
柞原八幡宮は応神天皇・神功皇后を祀る神社。厄除け・勝負運のご利益で知られ、825年(天長2年)に創建された豊後国一之宮の由緒ある神社です。
橘諸兄の母である橘三千代が、酒解神と酒解子神を祀って酒造の安全と子孫の繁栄を祈願したのが始まりと伝えられ、創建は奈良時代の750年頃とされる。当初は南山城の井手のあたりに鎮座していたが、嵯峨天皇の皇后である檀林皇后(橘嘉智子)が現在の梅津の地へ遷したという。皇后がこの社に祈って皇子を授かったと伝わることから授子・安産の神として信仰を集め、境内の「またげ石」は子授けの石として今も知られる。酒解神を祀ることから醸造の守護神としても崇敬され、4月中酉日の献酒報告祭(中酉祭)、11月上卯日の醸造安全繁栄祈願祭(上卯祭)が営まれる。ほかにも嵯峨天皇祭・檀林皇后祭・橘清友公祭など、橘氏ゆかりの人々を偲ぶ祭典が受け継がれている。
椿大神社は猿田彦大神・天之鈿女命を祀る神社。交通安全・導きのご利益で知られ、紀元前3年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
榛名神社は、榛名山中に鎮座する上野国の古社。用明天皇元年の創建と伝えられ、火産霊神と埴山姫神を祀る。山岳信仰と修験の霊場として栄え、奇岩に囲まれた神域で開運・五穀豊穣・商売繁盛の信仰を集めてきた。
橿原神宮は神武天皇・媛蹈韛五十鈴媛命を祀る神社。国家安泰・開運招福のご利益で知られ、1890年(明治23年)に創建された由緒ある神社です。
武田神社は武田信玄公を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、1919年(大正8年)に創建された由緒ある神社です。
気多大社は大己貴命を祀る神社。縁結びのご利益で知られ、崇神天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
氣比神宮は伊奢沙別命など七柱を祀る神社。海上安全・農漁業の守護のご利益で知られ、702年(大宝2年)に創建された由緒ある神社です。
江島神社は宗像三女神を祀る神社。金運・芸道上達のご利益で知られ、552年(欽明天皇13年)伝承に創建された由緒ある神社です。
沖縄縣護國神社は沖縄県出身の英霊を祀る神社。国家安泰・勝負運のご利益で知られ、1938年(昭和13年)に創建された由緒ある神社です。
創建時期不詳の古社で、延喜式内社。社伝では神功皇后がこの地に行啓した際に清水が湧き出し、これを霊泉「和泉清水」として祀ったことが「和泉」の国名・地名の由来になったと伝わる。古くは「井八幡神社」「井戸ノ森八幡」とも称された。主祭神は神功皇后・仲哀天皇・応神天皇で、神功皇后に従った45座の神々を合祀し計48座を祀る。境内には和泉国の主要五社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)を勧請した和泉五社総社が鎮座し、和泉国総社としての歴史を持つ。豊臣秀吉が和泉清水の水を大坂城へ運ばせ茶の湯に用いたという逸話も残る。
波上宮は伊弉冉尊・速玉男尊を祀る神社。国家鎮護・航海安全のご利益で知られ、不明(琉球王国時代)に創建された由緒ある神社です。
香川県三豊市三野町、瀬戸内海に浮かぶ小島(津島)に鎮座し、素戔嗚命を祀る。お椀を伏せたような岩島は古くは「ねずみ島」と呼ばれ、その上に銅板葺の本殿が建つ。三豊市によれば宝永3年(1706年)に富山安兵衛が社殿を造営したと伝えられ、眺望の良さから浮世絵師二代安藤広重の絵にも描かれた。社に伝わる話では、ねずみ島の沖で美しい声で歌う女が巫女に「我は海中に住める神、名は津島神」と託宣し、里人が鳥居を建てて島を祀ったのが起こりとされる。牛馬が疫病で多く倒れた年にこの里だけ被害がなかったことから江戸時代は牛馬の神として信仰され、大正時代中頃からは流行り病から子どもを守る神として参拝が広がり、現在は「子どもの守り神」として全国から家族連れが訪れる。昭和8年(1933年)に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となって津島橋が架けられ、昭和27年(1952年)に社名を「津島神社」から「津嶋神社」に改めた。
社伝によれば推古天皇36年(628)、隅田川で漁をしていた檜前浜成・武成兄弟の網に聖観世音菩薩像がかかり、郷土の文化人・土師真中知がこれを拝したことが浅草寺の草創とされる。のちに真中知の子孫が観音の夢告を受け、観音堂の傍らにこの三人を神として祀ったのが当社(三社権現社)の起源と伝わる。現在の社殿は慶安2年(1649)に三代将軍徳川家光が寄進したもので、度重なる火災や関東大震災、戦災を免れて当時の姿を残し、昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定された。明治の神仏分離で三社明神社と改称、明治6年(1873)に浅草神社と定められ、今も「三社様」と呼ばれ親しまれている。
湊川神社は楠木正成公を祀る神社。国家安泰・開運招福のご利益で知られ、1872年(明治5年)に創建された由緒ある神社です。
照国神社は島津斉彬公を祀る神社。事業成功・学業成就のご利益で知られ、1863年(文久3年)に創建された由緒ある神社です。
熊野那智大社は熊野夫須美大神を祀る神社。結び・諸願成就のご利益で知られ、仁徳天皇5年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
熱田神宮は熱田大神を祀る神社。国家安泰・家内安全のご利益で知られ、113年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
元亀元年(1570)より神明社がこの地に祀られていたと伝わり、古文書には正徳元年(1711)以前に「伊勢山」と呼ばれる現在の境内地に社殿または小祠があったことが記されている。文政9年(1826)の再建に際して志村文之丞が四国の金刀比羅宮の御祭神を勧請し、神明社・琴平社の合社が建てられた。昭和55年(1980)に「琴平神社」と改称。「柿生のこんぴらさん」として厄除け・商売繁盛の信仰を集めてきた。平成19年(2007)6月26日に放火で社殿を焼失し、平成23年(2011)に本殿が竣功して御神霊が鎮座した。焼失した拝殿の天井には渡辺崋山筆と伝えられる花鳥山水の板絵63枚があったが、再建にあたり宮司が古写真をもとに油彩で復元している。
生田神社は稚日女尊を祀る神社。縁結び・健康長寿のご利益で知られ、201年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
白山神社は菊理媛尊・伊弉諾尊を祀る神社。縁結び・家内安全のご利益で知られ、902年(延喜2年)に創建された由緒ある神社です。
白峯神宮は、代々鞠と和歌の宗家であった公家・飛鳥井家の邸宅跡に鎮座する。御祭神として崇徳天皇と淳仁天皇、蹴鞠の神である精大明神を祀る。境内には樹齢数百年と伝わる霊木「小賀玉の木」がそびえ、京都御所にほど近い立地にありながら、静けさを保つ社として知られている。
盛岡八幡宮は品陀和気命を祀る神社。厄除け・五穀豊穣のご利益で知られ、1680年(延宝8年)に創建された由緒ある神社です。
真清田神社は天火明命を祀る神社。出世開運・子孫繁栄のご利益で知られ、紀元前628年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
石上神宮は布都御魂大神を祀る神社。健康長寿・百事成就のご利益で知られ、崇神天皇7年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
石清水八幡宮は応神天皇・比咩大神を祀る神社。厄除け・必勝祈願のご利益で知られ、860年(貞観2年)に創建された由緒ある神社です。
石鎚神社は、石鎚毘古命を祀る霊峰石鎚山総本宮。口之宮本社・中宮成就社・奥宮頂上社・土小屋遥拝殿の四社を中心に、家内安全・厄除開運・当病平癒などの信仰を集めている。
神田明神は大己貴命・少彦名命を祀る神社。商売繁盛・縁結びのご利益で知られ、730年(天平2年)に創建された由緒ある神社です。
福岡縣護國神社は福岡県出身の英霊を祀る神社。国家安泰・勝負運のご利益で知られ、1868年(明治元年)に創建された由緒ある神社です。
福島稲荷神社は倉稲魂命を祀る神社。商売繁盛・縁結びのご利益で知られ、940年(天慶3年)に創建された由緒ある神社です。
社伝では大同3年(808年)、富士山本宮浅間大社の御分霊を奉斎したことに始まると伝える富士信仰の古社。祭神は木花咲耶姫命・瓊々杵尊・猿田彦命の三柱で、木花咲耶姫命は安産・子育て、瓊々杵尊は国土平安・家内安全・産業発展、猿田彦命は道開き・交通安全・厄難除けの神として信仰されている。源頼朝や千葉氏の崇敬が厚かったとの記録が残る。約6400坪におよぶ広い神域には松林が広がり、境内には厳島神社・稲荷神社・三峯神社・香取神社・大宮神社・八坂神社・小御嶽神社・小室神社・神明神社・若宮神社など多くの境内社が鎮座し、それぞれの例祭が年間を通じて営まれている。7月14日・15日の夏の大祭は「家内安全 安産子育大祭」として斎行され、14日の前夜祭、15日の本祭を経て22日に例祭終了奉告祭が行われる。
竈門神社は、太宰府政庁の鬼門(北東)にあたる宝満山を神体山として祀る古社である。社伝によれば、天武天皇2年(673年)に山中で修行していた心蓮上人が「われはこれ玉依姫の霊、この山中に居すること年久し」との神託を受けたことを機に、上宮が建立されたと伝わる。主祭神の玉依姫命は「魂と魂を引き寄せる」神徳を持つとされ、縁結び・方除け・厄除けの神として信仰されてきた。遣隋使・遣唐使など大陸へ渡る人々が航海の安全を祈願して登拝した霊山としても知られる。803年に従五位上、1106年には正一位を授けられ、平安時代編纂の『延喜式』にも名神大社として記載されるなど、朝廷からも篤く崇敬された。明治28年(1895年)には官幣小社に列せられている。
笠間稲荷神社は宇迦之御魂神を祀る神社。商売繁盛・五穀豊穣のご利益で知られ、651年(白雉2年)伝承に創建された由緒ある神社です。
筥崎宮は応神天皇・神功皇后を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、921年(延喜21年)に創建された由緒ある神社です。
社伝では和銅5年(712)の創建と伝わる古社で、主祭神は保食神。もとは地名の野久ヶ原にちなみ野久稲荷と称した。平安時代中頃、平忠常の乱平定に向かう源頼信が戦勝を祈願したところ、明け方に箭(矢)の形をした白雲が現れて敵方へ飛んだため大勝し、これに感謝して社殿を寄進し「箭弓稲荷」と改めたと伝わる。江戸時代には松山城主や近郷の庶民の信仰を集め、文政4年(1821)には7代目市川團十郎が境内に團十郎稲荷を勧請した。権現造の社殿は本殿・幣殿が天保6年(1835)に上棟し、拝殿は天保11年(1840)までに竣工したもので、「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」として令和6年(2024)1月に国の重要文化財に指定された。「やきゅう」の音の縁で野球関係者の参拝が多いことでも知られる。
箱根神社は箱根大神を祀る神社。開運・交通安全のご利益で知られ、757年(天平宝字元年)に創建された由緒ある神社です。
社伝では推古天皇2年(594年)、この地の有力者・伊福部連駁田彦が神託を受けて創祀したと伝える。神託とともに稲種と水田を授かって耕したところ一粒万倍の大豊作となり、そこから一帯が「イイボ(粒・飯穂・揖保)」と呼ばれるようになったという伝承が残る。社名の「粒坐」は「粒(揖保の郡)に坐す」の意で、揖保の地名の語源ともされる。主祭神は天照国照彦火明神で、稲穂が熟して赤らむ「穂明かり」に由来する稲作・五穀豊穣の神として信仰されてきた。『延喜式』神名帳に載る名神大社にして朝廷の崇敬も厚く、近代社格では県社に列した。伊和神社・海神社とともに播磨三大社と称される。明治12年(1879年)に神仏分離を受けて現在の社号に復し、龍野の町を見下ろす日山(白鷺山)に鎮座している。
荒川区南千住に鎮座し、南千住・三河島・町屋(荒川区)と台東区三ノ輪にまたがる61ヶ町を氏子区域とする、区内で最も広い鎮守。社伝によれば平安時代の延暦14年(795年)、修験道の祖・役小角の高弟である黒珍が、住居の東にあった小塚の奇岩を霊場として崇め祈っていたところ、素盞雄大神・飛鳥大神の二柱が降臨して神託を授けたため一祠を建てたのが始まりとされる。この奇岩は現在も境内に「瑞光石」として祀られ、周辺の旧地名「小塚原」や近隣小学校の名に冠された「瑞光」の由来になっている。享保3年(1718年)の類焼で両社が焼失した後、享保12年(1727年)に二柱を相殿とする瑞光殿が新たに建てられた。素盞雄大神の別名が牛頭天王であることから「お天王さま」と呼ばれ、松尾芭蕉『奥の細道』矢立初めの句碑が建つ境内は「飛鳥の杜」と称されて江戸の文人墨客のサロンともなった。平成7年に御鎮座1200年祭が斎行されている。
湯河原町の東部、吉浜海岸を望む吉浜地区の鎮守として祀られてきた神社です。社伝では元和6年(1620年)12月11日の創立と伝えられ、須佐之男神に伊弉諾神・伊弉冊神を合わせ祀ります。明治6年に村社に列せられ、その後は地区内の稲荷神社や熊野神社を合併しましたが、これらは戦後に分離されました。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が被害を受けたため、昭和15年(1940年)に現在地へ移転し境内を拡張しています。8月1日の例祭に奉納される「吉浜の鹿島踊り」は神奈川県指定の無形民俗文化財で、国の選択無形民俗文化財にもなっています。祭礼に用いられる飾り屋台は町指定有形民俗文化財に指定されており、境内には道祖神も伝わります。
弘仁13年(822)、嵯峨天皇が当地(神山)に行幸し頓宮を構えて一夜を過ごしたことに由来する。崩御後の承和10年(843)、皇子の源融が追悼のため頓宮跡に嵯峨天皇を祀る社殿を建立し「神野太神宮」と号したのが御本社の前身。昌泰4年(901)、菅原道真が大宰府へ左遷される途上、当地に咲く紅梅を眺めるため船の艫綱を円座状に敷いて座った故事から「綱敷」の社名が起こった。正暦4年(993)、道真への正一位追贈を機に、神野太神宮と道真を祀る梅塚天満宮を合祀し、御本社・御旅社の体制となった。この紅梅が「梅田」の梅の字の由来、「北野天神」の呼称が繁華街「キタ」の語源になったとも伝わる、梅田・キタの氏神。嵯峨天皇を主祭神として祀る神社は全国唯一とされる。
創始年代は不詳だが、寛政7年(1795)の『因幡志』には吾勝尊(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)と瓊瓊杵尊の二座を祀ると記され、「日知り(聖)の神」への信仰から聖大明神と称されたと考えられている。現在の本殿は宝永7年(1710)の改築で、細部に種々の彫刻が施された県保護文化財。安永5年(1776)には神階正一位を授かった。文化10年(1813)に拝殿を造替、明治3年(1870)に境内の恵比寿社(事代主神)を合祀してほぼ現在の姿となった。鳥取市中心市街地の商店街の大半を氏子とし、春祭に隔年で行われる神幸祭は県指定無形民俗文化財。平成23〜26年(2011〜14)には社殿の保存修理が行われた。
創建の詳しい経緯は記録の散逸により不明だが、社に伝わる神具の銘から元禄2年(1689年)にはすでに祀られていたことが分かる。江戸時代前期から中葉にかけて、播州明石郡山田村の総鎮守として六社大明神の社を建て、六柱の神を祀ったのが創始とされる。明治初年の神仏分離令により明神号が廃されて六社神社となり、明治7年(1874年)2月に現在の社名である舞子六神社と改称した。明治10年(1877年)には落雷による火災で社殿を焼失し、のちに再建されている。明石海峡を望む高台に鎮座し、「まいこむの宮」の呼び名でも親しまれている。
船跡森 三島神社は大山祇命を祀る、愛媛県八幡浜市保内町宮内の古社。宝亀5年(774年)に大山祇神社の分霊を勧請して創建されたと伝わり、保内郷の総鎮守として崇敬されています。
芝大神宮は天照大御神・豊受大御神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、1005年(寛弘2年)に創建された由緒ある神社です。
菟橋神社は、社伝によれば697年(文武天皇の時代)の創建と伝わる古社で、927年編纂の『延喜式神名帳』にも「加賀国能美郡...小菟橋神社」として記載されている。当初は能美郡得橋郷小野村に鎮座していたが、中世末に上小松村へ遷り、江戸時代初期に加賀藩主・前田利常が小松城に入った際、城内の兎橋御門内に奉遷された。慶安4年(1651年)には現在地の浜田に新たな社殿が造営されたと伝わる。莵橋大神とともに諏訪大神(建御名方命・八坂刀売命)を祀り、地元では「お諏訪さん」と呼ばれて親しまれている。
別名を大貞八幡宮といい、承和年間(834〜848年)の創建と伝わる古社。境内の三角池(御澄池)を御神体として内宮とし、社殿を外宮と称する点に特色がある。養老4年(720年)の隼人の反乱では、この池に自生する真薦で編んだ枕状の御験を神輿に奉じて征討軍が向かったと伝えられ、八幡総本宮である宇佐神宮と深い関わりを持つ。御祭神は応神天皇・比売大神・息長帯比売命。現在の神門は元和8年(1622年)に中津藩主細川忠興が造営した三間一戸の二重門で、平面規模に比して背が高く、初重に裳階を付けて釣合をとる。他に類例のない江戸時代初期の珍しい形式として、昭和63年に国の重要文化財に指定された。平成7年から9年にかけて解体修理が行われ、造営当初の姿へ復元されている。内宮である三角池と外宮の社殿は大分県の史跡および天然記念物に指定されている。
藤崎八旛宮は応神天皇・神功皇后を祀る神社。厄除け・勝負運のご利益で知られ、935年(承平5年)に創建された肥後国一之宮の由緒ある神社です。
西宮神社はえびす大神を祀る神社。商売繁盛・福徳円満のご利益で知られ、不明(平安時代に記録あり)に創建された由緒ある神社です。
和銅6年(713)、元明天皇の御代に宇土の総鎮護として創建されたと伝わる古社。当初は春日大神と住吉大神を祀り、平安時代の1048年に八幡大神を合わせ祀って「三宮大明神」と称され、今も「三宮さん」の名で親しまれる。天正16年(1588)、キリシタン大名であった宇土城主・小西行長により社殿を焼かれたが、慶長6年(1601)に加藤清正が現在地に再興し、その後は肥後熊本藩主細川家代々の保護を受けた。明治4年(1871)に西岡神宮と改称。境内には神の宿る岩「磐座 百官石」があり、例祭で奉納される御獅子舞は熊本県指定の無形民俗文化財となっている。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで鎮座する上社本宮・上社前宮、下社春宮・下社秋宮の四宮からなる信濃国一宮である。『古事記』の国譲り神話において、出雲から信濃へと移り住んだ建御名方神が国を治めたことに由来すると伝わり、御鎮座の正確な時期は不明ながら千五百年から二千年前に遡るとされ、日本最古級の神社の一つに数えられる。持統天皇5年(691年)には朝廷から勅使が遣わされ、国家安全と五穀豊穣が祈願された記録が残る。鎌倉時代の源頼朝、戦国時代の武田信玄をはじめ、武運長久を願う武将たちから篤く崇敬され、江戸幕府の歴代将軍も社領を寄進するなど、時代を超えて信仰を集めてきた。
諏訪大社 上社本宮は建御名方神・八坂刀売神を祀る神社。勝運・家内安全のご利益で知られ、神代(古事記)に創建された由緒ある神社です。
諏訪大社 下社秋宮は建御名方神・八坂刀売神を祀る神社。勝運・家内安全のご利益で知られ、神代(古事記)に創建された由緒ある神社です。
沖縄県那覇市繁多川に鎮座し、明治以前に琉球国府から特別の扱いを受けた官社「琉球八社」の一社。社号は『琉球神道記』(1608年)に「尸棄那権現」、『琉球国由来記』(1713年)に「姑射山権現」と記される。近世沖縄の権現信仰では、末吉宮を熊野新宮、普天満宮を熊野那智、当宮を熊野本宮に見立てて信仰された。社伝によれば、洞窟内に安置された賓頭盧が夜ごと光を放つのを大阿母志良礼が信仰したところ願いが叶い、尚元王(1556〜72年)の長子・尚康伯の病気平癒にも霊験があったため、王子が私財を投じて宮と神応寺を創建したという。尚賢王の代からは毎年1月・5月・9月の吉日に国王の行幸が始まった。社殿はもと洞窟内にあったが湿気で腐朽し、康煕19年(1680年)に洞外へ移して瓦葺とした。戦前の社殿は戦災で焼失し、昭和43年12月に復興、平成25年12月に新社殿が竣工している。
赤坂氷川神社は東京都港区赤坂に鎮座する、厄除・縁結びの信仰が篤い氷川信仰の古社。徳川吉宗が造営した社殿が震災・戦災を免れて残り、東京十社の一社にも数えられます。
赤間神宮は安徳天皇を祀る神社。水難消除・家内安全のご利益で知られ、1191年(建久2年)に創建された由緒ある神社です。
道明寺天満宮は、菅原道真公・天穂日命・覚寿尼公を祀る天満宮。土師氏・菅原氏ゆかりの地に鎮座し、1400年以上の歴史を伝える。道真公の叔母にあたる覚寿尼公の寺であった道明寺とも深い関わりを持つ。
野木神社は栃木県野木町に鎮座し、創建は仁徳天皇の時代にさかのぼると伝わる約1600年の歴史を持つ古社である。社伝によれば、下毛野国造として赴任した奈良別王が、応神天皇の皇太子であった莵道稚郎子命の遺骸を奉じてこの地に祀ったのが始まりとされる。主祭神の莵道稚郎子命に、誉田別命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・宗像三女神を配祀する。延暦年間には、蝦夷征伐からの帰途にあった坂上田村麻呂が神の助けを得たとして、現在の社地に社殿を造営し遷座したと伝えられる。鎌倉時代には源頼朝・源実朝ら源氏の篤い信仰を受けたとされ、江戸時代には火災で社殿を焼失したが、その後古河藩主の寄進によって再建された。現在の社殿と拝殿は2019年に栃木県の有形文化財に指定されている。
公式サイトの社伝によれば、永久元年(1113年)11月20日、この地の開発にあたって大神を勧請し氏神として奉ったのが起源とされる。境内に伝わる御影石の建石には「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三乙未年三月」(1115年)の年紀があることから、平安時代末期には鎮座していたとみられる。祭神は恵美須大神(事代主大神)・天照皇大神・八幡大神の三柱で、創建以来「えびす様」として信仰されてきた。大阪湾が深く入り込んでいた時代にこの地を開いたのは漁業を営む人々だったと伝わる。元亀元年(1570年)には三好氏が野田城を築き、当社を城の守護神として武士の信仰も集めた。江戸時代には商都大坂の発展とともに「福の神」として商人の崇敬を受けるようになった。
釧路一之宮厳島神社は市杵島姫命を祀る神社。縁結び・航海安全のご利益で知られ、1869年(明治2年)に創建された由緒ある神社です。
鎮西大社諏訪神社は建御名方神・八坂刀売神を祀る神社。厄除け・縁結びのご利益で知られ、1625年(寛永2年)に創建された由緒ある神社です。
祭神は菅原道真公。長岡の地は道真公が生前、在原業平らと詩歌管弦を楽しんだゆかりの地で、大宰府左遷の途上に立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁により、公自作と伝わる木像を祀ったのが創立とされる。創立年月は不明だが、応仁の乱の兵火で社殿を焼失し、明応7年(1498)に再建された記録が残る。寛永15年(1638)には八条宮智忠親王により境内東側の八条ヶ池が築造された。現在の本殿は昭和16年に平安神宮の社殿を移築したもので、京都府・長岡京市の有形文化財に指定されている。「天神さん」と呼ばれ、学問・受験の神として親しまれる。
岐阜市長良に鎮座する天満宮で、菅原道真を祀る。社伝によれば、承久年間に京都の北面の武士から美濃国の目代に任じられた斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする斎藤氏が、崇敬していた京都・北野天満宮の神霊を氏神として勧請したのが始まりで、およそ800年前にさかのぼるという。寛正年間(1460〜1466)に斎藤利藤が本殿を造営し、天正16年(1588)には池田輝政が社壇を築いて寄進した。慶長年間の社殿再建後も修復と造替が重ねられ、現在の本殿は享和元年(1801)、拝殿は嘉永5年(1852)の建築である。江戸時代に長良が尾張藩領となると歴代藩主や支藩・高須藩主の崇敬を受け、長良三郷の惣社として庶民の信仰も集めた。約4,500坪の広い境内には、道真ゆかりの梅をはじめ多くの樹木が茂る。
神功皇后が三韓からの帰途、石津浜での戦勝祈願の折に老漁師が献上した鯛を吉祥とし、塩土老翁の御魂を祀るよう詔したのが創建と伝わる古社。延喜式神名帳に記載された和泉国大鳥郡の式内社で、塩土老翁神・素盞嗚神・生国魂神の三柱を祀る。天永4年(1113)には三つの村の神社を併合して現在の形となった。「大寺さん」の通称で堺の人々に親しまれ、天正14年(1586)には豊臣秀吉から朱印状を受け、明治35年(1902)に府社に昇格した。大寺縁起や伏見天皇宸翰御歌集、短刀銘吉光など多くの文化財を所蔵し、安産・開運厄除の神社として信仰されている。
開成山大神宮は天照大御神・豊受大神を祀る神社。厄除け・家内安全のご利益で知られ、1876年(明治9年)に創建された由緒ある神社です。
防府天満宮は菅原道真公を祀る神社。学業成就・家内安全のご利益で知られ、904年(延喜4年)に創建された由緒ある神社です。
社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代々両職を務めた。鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も整い栄えたが、永禄3年(1560年)松永久秀の攻略で社殿を焼失し慶長年間に再建。江戸時代は隅田荘十六か村の産土神として紀州徳川家の崇敬を受けた。文政2年(1819年)に再び焼失し同5年に再建されている。明治の神仏分離で神宮寺の大高能寺が分離され、大正5年に県社となった。境内には国宝「人物画象鏡」の記念碑が立つ。
承平元年(931)、朱雀天皇の御代に創建されたと伝わる古社で、火雷之命を祀る。古くは「雷電社」「雷電大明神」と記録され、当初は築島と呼ばれた海辺の地にあった。永禄2年(1559)に築島へ落雷した際、その場にいた12名の女性が柏槇の大木が身代わりとなって助かったという言い伝えが残る。天正9年(1581)に領主・朝倉能登守が現在地(追浜本町)へ遷座し、宝永4年(1707)には酒井雅楽守が社殿を再建、寛政11年(1799)には郷村あげての雨乞い祈祷で雨が降ったと記録される。現社殿は昭和33年(1958)竣工。災難除け・気象に関わる安全守護・学業成就の神、追浜一帯の氏神様として信仰され、境内には樹齢約500年の大銀杏(三浦半島古木銘木50選)がそびえる。
霧島神宮は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊を祀る神社。国家安泰・家内安全のご利益で知られ、540年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
青島神社は彦火火出見命・豊玉姫命を祀る神社。縁結び・安産のご利益で知られ、不明(平安時代に記録あり)に創建された由緒ある神社です。
靖国神社は護国の英霊を祀る神社。国家安泰・平和祈願のご利益で知られ、1869年(明治2年)に創建された由緒ある神社です。
静岡浅間神社は木花開耶姫命・大山咋命を祀る神社。縁結び・安産のご利益で知られ、901年(延喜元年)に創建された由緒ある神社です。徳川家康公が幼少期を過ごした地。
風浪宮は少童命を祀る福岡県大川市の古社。「おふろうさん」と親しまれ、海上守護・勝運の神として信仰される筑後地方の大社。
香椎宮は、仲哀天皇9年(200)に神功皇后が祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀ったことに始まると伝えられる。養老7年(723)の神功皇后の神託を受けて社殿造営が始まり、神亀元年(724)に竣工した両宮は香椎廟と称された。
後三条天皇の延久年間(1069〜74年頃、約940年前)に創建されたと口伝される古社。紀州熊野本宮の神主が全国行脚の途中でこの地に留まり、熊野の神々を祀ったのが始まりと伝わる。「高い丘を作って人々を救え」との夢告を受けた神主が村人とともに社殿の裏山に土を盛ったと伝えられ、安政の大地震の際には里人がこの丘に避難して津波の難を逃れたという。この塚が「高塚」の地名の由来になったとの説もあり、防災と地域救済の記憶を今に伝える。祭神は伊佐奈伎命・事解之男命・速玉之男命の熊野三神で、「開運みちびきの大神」として信仰される。
文武天皇の勅願により、紀州熊野三社のうち新宮にあたる熊野速玉大社の分神を高松山へ勧請したのが始まりで、大宝元年(701年)9月のこととされる。社伝によれば、藤原不比等の娘・宮子が幼少より熊野三社を篤く信仰し、文武天皇の皇后となって懐妊した際に熊野へ誓願したところ、無事に皇子(のちの聖武天皇)が誕生した。これを喜んだ天皇・皇后が東国に三所の社を建てることとし、北は山続き、南は海を望むこの地を新宮の宮地と定めたのが高松神社である。西の三熊野神社(本宮)、北の小笠神社(那智)と合わせて遠州の熊野三山を成す。御祭神は伊弉冊尊・速玉男命・亊解男命。源頼朝が伊豆配流の折に当社へ祈願したという伝説も残り、以来1300年にわたり地域の氏神として信仰されてきた。
高瀬神社は大己貴命を祀る神社。縁結び・医療のご利益で知られ、景行天皇の時代(伝承)に創建された由緒ある神社です。
鳥出神社は三重県四日市市富田に鎮座し、日本武尊と事代主神を祀る富田地区の総氏神である。日本武尊は勝負の神として、事代主神はえびす神として海上安全・商売繁盛の神徳で信仰されてきた。かつて漁業で栄えた富田の人々にとって、海の安全と大漁を見守る神社として篤く崇敬され、地域の暮らしと深く結びついた歴史を伝えている。
釧路市西部の鳥取地区に鎮座する、開拓の歴史とともに歩んできた神社です。明治17年(1884)から18年にかけて、旧鳥取藩の士族とその家族あわせて500人余りが団結して移住し、この地に鳥取村を開きました。故郷の名を村名とした移住者たちは、開拓の心のよりどころとして明治24年(1891)に大国主大神の御分霊を勧請し、産土神として当社を創祀しました。移住者の子孫によって「きりん獅子舞」「傘おどり」「北の開拓者」といった鳥取ゆかりの芸能が受け継がれ、例祭や開拓者への報恩行事で奉納されています。昭和59年(1984)には移住百年を記念し、鳥取城を模した資料館「鳥取百年館」が境内に建てられ、士族移住者が携えた品々や鳥取藩池田家ゆかりの資料が展示されています。
鶴岡八幡宮は応神天皇・比売神を祀る神社。勝運・厄除けのご利益で知られ、1063年(康平6年)に創建された由緒ある神社です。
鹽竈神社は塩土老翁神・武甕槌神を祀る神社。海上安全・安産祈願のご利益で知られ、不明(神代)に創建された由緒ある神社です。
鹿児島神宮は天津日高彦穂穂出見命・豊玉比売命を祀る神社。縁結び・五穀豊穣のご利益で知られ、神代の時代の創建とされる大隅国一之宮の由緒ある神社です。
決まりはありません。氏神様や、家族に縁のある神社、写真映えや境内の雰囲気で選ぶ家庭もあります。予約の要否や初穂料は神社ごとに異なるため、事前に確認してください。
神社によって異なります。11月15日前後の土日祝日は混雑しやすいため、予約制でなくても早めの時間に行く、平日を選ぶなどの工夫がおすすめです。
そのようなことはありません。この一覧は確認できる情報をもとにしたもので、掲載がない神社でも七五三の祈祷を受け付けていることが多くあります。参拝を希望する神社に直接確認してください。